神護寺 in 高雄山 寺宝の虫干しに伴う特別展覧会へ 観光 旅行

かーめるん

京都は高雄山の神護寺へ行ってきました。 → 高尾山神護寺(オフィシャルサイト)

目当ては5月の1日~5日に開催される、寺宝の虫干しに伴う特別展覧会です。貴重な美術品や史料を専門の施設(美術館や博物館など)に預けている寺社は多いです。しかし、虫干しの期間はそれらが戻ってきます。

今回の神護寺の虫干しでは、国宝の「源頼朝像」「平重盛像」(前者はよく教科書に載っているあの肖像画です)や、重要文化財である「神護寺略記」「紺紙金字一切経」などが展示されました。

しかし、その展覧会以上に印象深かったものが、以下の2つです。

  • お寺の方による丁寧なプレゼンテーション
  • 神護寺周辺の景観の美しさ

まず、神護寺金堂では、お寺の方から神護寺の歴史や寺宝に関する丁寧な説明を受けることができます。

金堂には本尊の薬師如来像を始めとする多くの仏像が祀られていますが、それらの寺宝についても、実際に実物を示しつつ詳細を教えていただきました。お寺によりけりですが、これだけ親切な案内をしていただけるところは珍しいのではないかと思います。

そもそも、金堂内の見学の自由度は驚くほど高く、非常に間近からじっくりと仏像を鑑賞できます。こんなに近づいていいものかと若干畏れ多いくらいです。マナー厳守は当然としても、のびのびとした気持ちでゆっくりと拝観できて本当に楽しかったです。

また、高雄と言えば真っ赤な紅葉、真っ赤な紅葉と言えば秋です。しかし新緑の季節、瑞々しい緑色の紅葉に彩られた高雄山も相当に美しかったです。

マジメな話、この時期の紅葉は青空によく映えて本当に綺麗です。葉が密に重なり合い、まるで繊細な緑のタペストリーのようにも見えます。ドッシリと佇む古い木造建築と陽光に淡く透ける緑の紅葉のコントラストは、山道を必死に登ってきた参拝者の目を喜ばせます。

神護寺金堂

とにかく周囲が緑、緑、緑なので、のんびりと歩いているだけでリフレッシュできました。暑くも寒くもなく、よく晴れていて気持ちよかったです。初夏の高雄観光神護寺参拝、オススメです。

以下は、高雄山神護寺へのアクセス、神護寺の概要、神護寺敷地内のあれこれなどについての説明・感想です。

神護寺の沿革

恥ずかしながら、参拝するまで神護寺の来歴や関係者についての知識はまったくありませんでした。しかし、後述するお寺の方から、基本的な事柄について説明していただきました。その後調べたことも含め、自分用のメモとして簡単に書いておきます。簡単にと言いつつ長いです。

「もう知ってる」という方はこの項目は飛ばしてください。「How to get to 高雄」以降、アクセスおよび施設の感想です。

まず、神護寺に深い縁を持つのは和気氏、並びに和気清麻呂公です。日本史を学んだ方なら、なんとなく名前を覚えているのではないでしょうか。

日本史の教科書における和気清麻呂の出番は大きく分けて二つです。

一つ目は、「宇佐八幡宮神託事件」
称徳天皇の寵愛を受けた道鏡という僧が、あわや皇位を継承しかけた事件です。この事件で宇佐八幡宮へ神託を確かめに行き、道鏡の野望を阻んだのが和気清麻呂です。この行いは時の天皇の怒りに触れ、和気清麻呂は一時的に左遷されてしまいます。

二つ目は、「平安京遷都の進言」
称徳天皇が身罷られてから、皇統は天武天皇の子孫から天智天皇の子孫へと移り変わりました。和気清麻呂は政界への復帰を果たし、天智系の桓武天皇のブレーンとして活躍したと言われています。平安京への遷都を進言し、その造営に尽力した功績は広く知られています。

さて、神護寺は「神願寺」「高雄山寺」が合併してできた寺です。正式名称を、「神護国祚真言寺」と言います。神願寺、高雄山寺ともに和気清麻呂が建立したと神護寺HPには書かれています。

神願寺は官寺として河内にあったそうですが、その詳しい所在は明らかではありません。高雄山寺は古くから現在の神護寺と同じ土地にあり、和気氏の菩提寺としての性格が強かったそうです。新しい仏教の確立に心を砕いた和気清麻呂の子たち(弘世、真綱、仲世)により、この高雄山寺には最澄や空海が招かれて活動しました。

唐から帰った空海が行った「高雄灌頂」*は、日本宗教史における重要記録である「灌頂暦名」とともに有名です。*灌頂=密教の入門儀式。

神護寺が誕生したのは、824年のことです。以後真言宗の根本道場の一つとして高い地位を保っていましたが、度重なる火災などによって平安末期にはひどく衰退してしまいます。

『平家物語』に当時の神護寺についての記述がありますが、控えめに言って廃寺状態だったそうです。建物はボロボロ、住持の僧はなく、立ち入るものと言えば霞、霧、雨露、日光月光くらい……という。

これを憂えたのが、12世紀後半に活躍した文覚という僧です。文覚はかつて北面武士でした。展覧会で肖像画を見ましたが、顎骨のしっかりとした豪胆そうな顔立ちの方です。

神護寺の現状を知った文覚は早速復興事業に取りかかり、その過程で後白河法皇に荘園の寄進を迫りました。ところがこの強訴は法皇の怒りに触れ、文覚は伊豆に流されてしまいます。

しかし、ここからが面白いところで、文覚は同時期に伊豆にいた源頼朝と親しくなるのです。『平家物語』には、文覚が頼朝に決起を促し、後白河法皇に平家追討の院宣を迫ったという記述があります。

かくして源頼朝、のちに後白河法皇の援助を取り付けた復興事業は軌道に乗り、文覚の弟子たちの代に、神護寺の復興は果たされました。文覚自身は再び罪を得て配流され、鎮西で亡くなったそうです。なかなかに波乱万丈な生涯です。

以上、中世までの神護寺の沿革でした。その後たびたびの焼失に見舞われつつも、現在も多くの寺宝が伝えられています。和気氏や文覚上人など、聞き覚えのある人名が出てくる興味深い歴史でした。

How to get to 高雄

神護寺は高雄山にあります。今回は、京都市バスを利用して高雄へ行くことにしました。京都市バスは、市内の一定区間は一律230円で回れるのが特徴です。均一区間を回るだけで、市内の観光名所はおおむねカバーできるのではないでしょうか。

しかし、高雄はその一定区間の外に位置しています。そのため、始発の停留所から高雄までの料金は片道520円(大人)です(2016年5月時点)。

高雄へ向かう市バスは8号系統のみです。今回は始発の「四条烏丸」から8号系統に乗車しました。

四条烏丸は京都市内を巡る多くのバス系統が合流し、また始発バスが出発する停留所です。他の停留所に比べると規模が大きく、行き交う人もたくさん。高雄行の8号系統の始発もまたこの四条烏丸です。

ちょっとした注意として、乗車したときに整理券を取るか、あるいは駅の改札のようにICカードでタッチしておきましょう。アナウンスがあるので気づくと思いますが、京都市バスに慣れている方はうっかり忘れるということもあり得ます(普段の行動範囲が大抵230円区間に収まるから)。

神護寺へ至る道

午前零時くらいに終点の「高雄」に到着しました。近くには旅館やお食事処がちらほら。

神護寺への道は、バスから降りて左手に進んだところにあります。大きな石柱の奥の階段からスタートです。このあたりからすでに、周囲一帯が緑に包まれて美しかったです。

神護寺 途中の山道

どんどん階段を降りていくと、橋が見えてきます。「高雄橋」といい、「清滝川」にかかっています。河原では家族連れが水遊びをしていていかにも涼しげでした。

高雄橋を渡ると、すぐに神護寺へ通じる石段が見えてきます。

神護寺参道

そして、ここからがつらいところです。神護寺は、海抜900m以上の高所に位置するお寺です。当然、長く険しい石段を登って行かなければなりません。石段はいわゆるつづら折りっぽい感じで楼門へと続いています。

普段まったく運動しないわけでもなく、山寺には時々足を運んでいるのですが、神護寺へ続く石段は難敵という印象でした。特に最初の定食屋さんに着くまでの石段は脚にきました(参道にはお食事処が3つほどあります)。傾斜がとりわけきつく、その区間の石段を抜けるとぐっと楽になったことを覚えています。

神護寺境内の建物など

参道を登り、ようやく神護寺の楼門に到着しました。

神護寺楼門

境内の拝観料は600円。特別展覧会の見学には、別途800円の拝観料が必要です。楼門の向かって左手に受付カウンター、右手に特別展覧会会場の入り口がありました。

まず、大師堂という建物は有名です。弘法大師空海がお住まいになっていた場所ですね。

神護寺大師堂

中には「板彫弘法大師像」が本尊として祀られています。こちらは11月に特別拝観が行われているようです。

次に広い石段を上がっていくと、神護寺金堂が悠然と構えています。

神護寺金堂正面

とても立派な建物です。内部の見学は自由。御朱印などはこちらでお願いできます。この金堂内部の感想については、次の項目で詳しく書きます。

金堂の裏手から石段を上がっていくと、多宝塔という建物があります。ここには「五大虚空蔵菩薩像」が祀られ、春季と秋季に特別拝観が行われています。

また金堂から出て右手へ進んでいくと、地蔵堂と、かわらけ投げができる開けた場所があります。

神護寺 かわらけ投げ

青空と緑の山並みのコントラストが鮮やかです。近くの売店でかわらけを買い求め、思い切り放り投げることができます。

最後に金堂に向かって右裏手から、和気清麻呂公や文覚上人のお墓にお参りに行くことができます。前者は右手、後者は左手の道です。時間の関係上、和気清麻呂公のお墓にしか行けませんでした。

楼門傍の境内案内図で確認したのですが、文覚上人のお墓はけっこうな山の上にある様子です。実際に行ってはいないので、本当は楽に行けるのかもしれませんが。

このお墓へのお参りの道が、個人的にはかなり印象的でした。境内は人数が少なめとは言え参拝客が絶えず居たのですが、このお参り道に足を踏み入れると、人気がまったく無くなるわけです。人の話し声や騒々しい音もさっと消え、ただ木々がざわめくばかり。

金堂の裏手ということもあって、そもそも人の訪れが少ない様子でした。こういった状況に直面すると、やっぱり山林は怖いなとほとんど本能的に思います。

この道を進んでいて驚いたのは、道が苔むしていることでした。柔らかな苔の道ができているのです。

神護寺山林2

木々や道の端ならまだしも、人が通る真ん中まで苔が生えているってなかなか珍しい気がします。それだけ人の出入りが少ないということなのでしょうか。また、写真でもチラッと見えている通り、道の右手はかなりの急斜面です。道が狭い箇所もあるので、うっかり足を滑らせたら大変なことになりそうでした。

黙々と道を進み、石段を何度か登り、やっと目的地に到着。かなり高所にあります。石段を登ると開けた場所になっていて、左手のこんもりとした丘の上に、木々に囲まれるようにして墓石が立っていました。

墓全体は木の柵で囲まれ……ているのですが、なぜか肝心の出入り口が開いていました。いいのかなこれと思いつつ、柵の手前でお参りをすませて引き返しました。不思議と陰気な雰囲気はなく、比較的明るい場所でした。

帰る途中にまた苔の道に差し掛かると、光の加減で綺麗なコントラストを見ることができました。高雄山のあたりは、杉の名所でもあるらしいですね。

神護寺山林

神護寺境内はとてもきれいで管理が行き届いているのですが、山間に入るとやはり少し雑然とした雰囲気があります。こういう雰囲気は山寺ならではなので、個人的には好きです。

必見必聴! 金堂内部と説明会

上でも書きましたが、金堂内部は自由に見学することができます。そして、ちょうど金堂に入ってすぐの畳に座り、お寺の方から神護寺についての説明を受けることができました。

説明の途中に金堂に入ってお話を聞くことも可能です(ただしそっと入ること)。説明は一定の時間を置いて何度か行われるらしいので、途中で入ってきて最初の方を聴けなかった……という方も安心です。

内容は、神護寺の本尊や周囲の仏像、神護寺の沿革、その他有名な寺宝などの説明です。それほど長くはないですが内容は濃かったです。慣れていらっしゃるのか、順序立って分かりやすく聞き取りやすいプレゼンテーションでした。あまりに淀みないのでずっと聴き入ってしまいました。

説明の後、聴かせてもらったことを反芻しつつ金堂内部を見て回りました。「源頼朝像」の複製画(ほぼ同じ大きさ)や曼荼羅の写真など、興味深く拝見しました。

個人的に気になったのは、状態が悪いため非公開になっている「三絶の鐘」でした。序詞を橘広相が、銘文を菅原是善が、揮毫を藤原敏行それぞれ担当した鐘だそうです。

当代随一の三人が関わったのでこう呼ばれています(菅原是清は、菅原道真の父です)。ロマンがありますね。

また、金堂には多くの仏像が安置されています。

まず、中央奥に御本尊の薬師如来立像。非常に有名な仏像であり、日本で二番目に国宝指定を受けた彫刻だそうです。最初に眺めたとき、「見覚えがある」と思いました。おそらく教科書か何かで見たのだと思います。

茅の木の一木造、むっちりとした太腿と威厳のある表情が印象的。「どっしり」という擬音が飛び出してきそうな安定感のある立像です。しかし、少し左足を前に出しているせいか、これから足を踏みだしそうな動きを感じさせる彫刻でもあります。妙な色気があるのは、正中線が少しずれたポージングのせいでしょうか。

薬師如来像の両脇には、日光菩薩像月光菩薩像が控えています。そして、2つの像の更に両脇には、十六体の立像がずらりと並んでいます。左右それぞれ八体ずつ、十二神将四天王が睨みを利かせているのです。

説明を受けて初めて知ったのですが、薬師三尊と十二神将、四天王の並びはきちんと決まっているそうですね。日光菩薩像は正面向かって右、月光菩薩は左といった風に。

特にへえーと思ったのは十二神将の並びでした。人が多かったのできちんと聞き取れたか心もとないですが、全体は以下のような並びだったと思います。※上:金堂奥、下:本堂・見学通路です。

広目 申未午 月光 薬師 日光 子丑寅 多聞
増長 酉戌亥 菩薩 如来 菩薩 巳辰卯 持国

日光菩薩像の向かって右奥から、時計回りに「子丑寅卯辰巳」月光菩薩像の向かって左奥から、反時計回りに「午未申酉戌亥」です。

本当は十二神将にせよ四天王にせよ、本尊を円く囲むのが普通なのだそうです。しかし、神護寺金堂は奥行きの問題から、ほぼ横並びに並べざるを得ないとのことでした。

十二神将像は、それぞれの頭の上に担当する干支の動物が乗っていて、どことなくユーモラスでした。たとえば申の像は顔が真っ赤だし、巳の像はとぼけた表情で自分の頭の上を気にしています。彫刻家の遊び心が感じられるつくりです。

十二神将は、そのほとんどが室町時代の応仁の乱で焼失したそうです。そのため現存しているものは、江戸期に作り直されたものが多いらしいです。

その他、中央の仏像群の両側に、四体の大きな像が二体ずつ並んでいます。これらは大阪の豪商さんが一人で寄進されたらしく、大黒天や弁財天、地蔵菩薩など、その方が信仰されていた仏様ばかりだそうです。

仏像の手前に集まって説明を受けていると、さながら修学旅行気分で楽しかったです。

特別展覧会

境内でのんびりしすぎて、特別展覧会会場に入ったのは終了1時間前のことでした。

三つの部屋に、六十七の寺宝が展示されていました。貴重なものが多く、食い入るように見ている方は多かったです。

個人的に印象に残ったのは、まず第一室の和気廣虫(法均尼)の肖像画でした。和気清麻呂のお姉さんで、「宇佐八幡宮信託事件」の登場人物の一人です。一目見て、なんて可愛いお婆さんなんだろうとマジマジと見つめてしまいました。あれは想像図なのでしょうか。表情がとても柔和で穏やかでした。

同じく第一室の、「虫払定文書」にはこういうものがあるのかと驚きました。確かに寺宝の管理は昔からずっと欠かせないわけで、こういった法規が早い段階でできていても不思議ではないんですよね。

次に第二室ですが、二つの「涅槃図」「文覚上人像」「和気清麻呂公伝記」「十如是 飛白体(弘法大師筆 写)」あたりを時間をかけて見ました。

「涅槃図」は昔から好きで、動物がたくさん書かれているのが個人的にはツボです。貴賤問わず集まった人々の描き分けも巧妙で、見ていて飽きません。

「文覚上人像」は先ほど書いた通り、タフそうな顔つきが印象的でした。

「和気清麻呂公伝記」は、眺めていると不思議と内容が分かる気がして面白かったです。漢字はそういう意味で優れた文字だと思います。

そして、「十如是 飛白体(弘法大師筆 写)」は、なんだこれはが第一印象でした。うねっていたり擦れていたり蛇腹っぽくなっていたり、どうやって書いたのかイマイチ見当がつきません。もうとにかく常軌を逸した文体で、これを最初に書いた空海もそれを頑張って写した人も凄いと思いました、色々な意味で。

最後に第三室は、経文や書状を中心に、国宝「源頼朝像」などが展示されていました。

その中でちょっと変わり種だったのは、灌頂時の僧の似絵が描かれていた文書でした。要するに、坊主頭の人の絵が何人か描かれています。絵に味があって上手かったです。

静かに鑑賞できる展覧会でした。内容も良かったです。

*****

前情報を(展覧会以外)ほとんど仕入れていなかったのですが、高雄山神護寺は本当にいい場所でした。おそらく秋の行楽シーズンは人でごった返しているのでしょうが、今回はゆったりと見学・参拝することができました。

まとめると、初夏の高雄山は本当にオススメです。英気を養えたので、機会があればまた行きたいなと思います。

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