『ドキドキ文芸部!』 ギャルゲ×サイコロジカルホラー 感想 レビュー 【Doki Doki Literature Club!/DDLC】

2019年10月03日
海外・Steam系 0

萌え系ギャルゲーの顔をしたサイコロジカルホラーなビジュアルノベル、『Doki Doki Literature Club!』(DDLC/ドキドキ文芸部!)の感想、考察記事です。ネタバレを含みます。制作者はTeam Salvato様。作品の公式サイトはこちらです。 → Doki Doki Literature Club!

『ドキドキ文芸部!』(Doki Doki Literature Club!/DDLC) 感想 レビュー ※ネタバレ注意 スクショ タイトル画面

ドキドキ文芸部!

高校の文芸部に入部した主人公が、4人の可愛い女の子と親交を深めていく恋愛ゲームです。ただし、楽しい日常は長くは続きません。
登場キャラクターは4人、CG数は10枚。R-13、流血・嘔吐シーンあり。刺激が強くショッキングな描写が含まれています。精神的にクるホラーが苦手な方は、プレイするのを避けた方がいいかもしれません。

2017年公開のゲームです。その約1年後に初めてプレイしました。簡単に感想を書くと、すごく面白かったです。プレイヤーの精神を縦横に揺さぶってくる、挑戦的かつ刺激的なゲームでした。本国アメリカのみならず海外でもカルト的な人気を集めている作品ですが、実際にプレイしてその事実に深く納得しました。

DDLCを象徴するのは、サイコロジカルホラー(精神・心理的な恐怖を喚起してプレイヤーを不安にさせるホラー作品のジャンル)とメタフィクション要素(例:「ここはゲーム世界である」とゲーム内のキャラクターが発言する)の2点だろうと思います。その2点において、このゲームは実に見事な仕事をやり遂げています。

しかしそれのみならず、DDLCはギャルゲーとしても素晴らしい作品だと思います。愛すべき魅力的な人格と、プレイヤーの共感や愛着を呼び起こす繊細な言動。人の心理に訴えかけることを重視した作品だけあって、登場人物の心のひだが巧みに描き出されていました。

最終的には文芸部の4人全員のことが大好きになりました。サヨリもユリもナツキもモニカも超kawaiiです。

以下はゲームのレビュー&感想です。考察っぽい話も含みます。また、ストーリー・エンディングの核心的なネタバレに言及しています。未見の方はご注意ください。

『Doki Doki Literature Club!』のあらすじ

最初に、『ドキドキ文芸部!』(Doki Doki Literature Club!)のあらすじを書きます。

アニメやマンガが好きな主人公は、特定のクラブに所属することなく高校生活を送っていました。そんな主人公の将来を案じた幼なじみのサヨリは、彼を「文芸部」に誘います。天真爛漫で世話焼きな彼女は、友人たちと一緒に新しく立ち上げた文芸部で副部長を務めていました。

ドキドキ文芸部! Doki Doki Literature Club DDLC スクショ かわいい子だらけ

ドキドキ文芸部!

しぶしぶ放課後に文芸部を訪れた主人公は、所属メンバーが可愛い子ばかりであることに気づきます。可愛らしい容姿と勝気な態度がトレードマークのナツキ、臆病でミステリアスな読書家ユリ、そして部長を務める成績優秀で人気者のモニカ。メンバーの誰かと親密になれるかもしれないと感じた主人公は、文芸部に入部することを決意します。

主人公の加入により、文芸部の人間関係には変化が生じます。モニカの提案でそれぞれ詩を作って共有し、時に論争しつつも徐々に仲を深めていくメンバー。文化祭に向けての準備も始まり、部活動の内容は充実していきます。

ドキドキ文芸部! Doki Doki Literature Club DDLC スクショ サヨリの不調

ドキドキ文芸部!

しかし何もかもがうまく進む中で、なぜかサヨリは日に日に元気をなくしていきます。サヨリを案じつつも、彼女の心のうちを掴み切れずに戸惑う主人公。はたして彼は、「文芸部」で過ごす時間を通して幸せを見つけることができるのでしょうか。

DDLCに仕掛けられた2つのトリック

『ドキドキ文芸部!』(以下DDLC)の最大の魅力は、話の筋とゲームデザインの両方に潜んでいる強烈なギャップではないかと思います。そしてそのギャップを一言で言い表すと、「DDLCは美少女ギャルゲーの顔をしたサイコロジカルホラーなビジュアルノベルだ」という説明になります。

DDLCはプレイヤーに対し2つのトリック(どんでん返し)を仕掛けてくるゲームです。1つ目は、平穏で楽しい日常が突如として崩壊し、不気味なバグ演出の果てにゲームの中からキャラクターがプレイヤーを見返してくるという展開&構成。2つ目は、ギャルゲーの見た目をしているだけで、そもそもノベルゲーであるというゲームのデザイン。この2つの落差にプレイヤーは翻弄され、恐怖し、精神をじわじわといたぶられていくことになるのです。

というわけで、この項目ではDDLCの魅力である上記2つのギャップについて詳しく書きたいと思います。繰り返しになりますが、以下には核心的なネタバレが含まれます。

ポップなギャルゲーを装ったサイコロジカルホラーもの

DDLCのタイトル画面を眺めると、パステル調のポップな色遣いや制服を着た可愛い女の子たちが印象に残ります。「可愛い女の子と仲良くなれる、学園・青春ものの楽しいギャルゲなんだろうな」と誰もが予想するのではないのでしょうか。

しかし、「可愛い女の子と戯れる恋愛ゲーム」という見た目は、いわばDDLCの偽りの姿。このゲームの実態は、メタフィクション要素を効果的に盛り込んだサイコロジカルホラーなノベルゲームだと言えます。

「サイコロジカルホラー」というのは、視聴者やプレイヤーの精神に働きかけることで恐怖を喚起するようなホラー作品を指す言葉です。身体の反応とも絡んだ瞬間的・反射的な恐怖体験をさせるのではなく、長時間にわたってプレイヤーを不安定な状況に置くことで、じわじわと精神を攻めていくタイプとでも言えばいいのでしょうか。簡単に書くと、「怖っ!ビビった!」ではなく、「何これ、マジ怖い……」系のホラーです。

この感情や心理面から恐怖を引き出すDDLCの作風と絡んで、モニカは下記のような発言をしています。

「人間の本能を利用して怖い思いをさせられるのって楽しくもなければ感動もないわ」
「私が思うに、ほんの少しだけおかしいことこそ一番怖いことだと思うの」

ドキドキ文芸部!

ほんの少しだけおかしいことこそ一番怖いこと。この言葉は、DDLCのホラーの本質を的確に表したものだと思います。なんてことのない平凡な日常を過ごす中で、ふとした瞬間にぬぐいがたい違和感を覚える……そのほころびを見つけたときの「何かおかしい」「いつもと違う」という感覚こそが、確かに人間にとって一番恐ろしいものかもしれません。

そして、日常のほころびをいくつも認識することで、想像する力を与えられているプレイヤーは先の展開への不安を育てることになります。たとえば文化祭当日にサヨリの家に向かう途中、彼女との不穏なやりとりを思い出し、最悪の想像をしてしまうわけです。

表向き平穏だったDDLC世界をクラッシュさせる1周目のラストシーンは、それまで積み上げられた不安な気持ちがあってこそ、プレイヤーにより悲痛な衝撃をもたらすのではないかと思います。

ここからはすごく個人的な感想です。DDLCを遊んでいて「似ているな」と感じた作品が2つあります。1つ目はアニメ化・映画化された有名作である『ひぐらしのなく頃に』、2つ目は『A Date in the Park』という海外のフリーゲーム。どちらもDDLCと同じく、「平和な日常の中でふと垣間見える不穏なサイン」と「日常が突然崩れ去って狂気の非日常へと移り行く展開」が印象的な作品です。

DDLCと上記2作品に共通する魅力は、来たる崩壊の瞬間を盛り上げるべく「何かがおかしい」描写を巧妙に含ませつつ、しかし日常パートをことさらに楽しく平穏なものとして描くことで、平和な日常と猟奇的な非日常の落差を強調している点だと言えます。

※『A Date in the Park』(ポルトガルを舞台にした公園散策アドベンチャーゲーム)の感想・攻略記事も書いています。

≪関連記事:『A Date in the Park』 公園で奇妙なデートを楽しむアドベンチャーゲーム 感想 攻略

特に1周目ラストにサヨリを発見した瞬間、私は『ひぐらしのなく頃に 鬼隠し編』における竜宮レナ(ひぐらしのヒロイン)の豹変シーン(それまで気配として感じられるのみだった狂気が一気に顕在化し、日常が完全に崩れ去る重要な場面)をパッと思い出しました。親しくしていたヒロインの知らない一面を見せつけられたことによって、主人公(とプレイヤー)の世界への信頼は大きく揺るがされ、ストーリーもまた非日常へと落ち込んでいきます。

サヨリの死もまた、日常と非日常とを不可逆的に分かつ非常に重要なイベントだと言えるのではないでしょうか。もちろん、DDLCの真の狂気があらわになるのはユリの死以降のことです。ただ、プレイヤーが曲がりなりにも馴染んでいたDDLCが決定的に崩れ去ったのは、サヨリが物言わぬ抜け殻となって現れたあの瞬間ではなかったかと個人的には思います。

「部活に入って可愛い女の子たちと仲良くなる」という日常パートの筋書き的にも、DDLCとひぐらしはよく似ているなーと思いました。パッと見のキャラの属性も意外に似通っている印象です(部長がポニテだったり、近所に住む身近な女の子が世話焼きなドジっ子で実はワケありだったり、ツンデレないわゆるロリ枠が家庭的な問題を抱えていたり)。

ひぐらしもDDLCも、あえてキャラの外面を典型的なものにしている(そうすることでキャラの内面やその後の展開とのギャップを演出する)作品なので、この類似は一定必然と言えるのかもしれません。

恋愛ADVの見た目をしたビジュアルノベル

攻略とも絡む話ですが、DDLCは恋愛ADV(キャラを攻略して個別エンドを目指す)の見た目をしたノベルゲーム(基本的には一本道のストーリーを鑑賞する)です。

ギャルゲーや乙女ゲームの場合、攻略したいキャラに応じた行動・発言を選択することで好感度を上げたり、イベントを消化したりしてキャラエンディング(例:バッドエンド、ハッピーエンドなど)に向かう……という流れが一般的です。1人のキャラエンドを見た後は再び最初からスタートし、別のキャラを攻略することができます。

しかしDDLCには、およそ「キャラエンド」と言うべきものが用意されていません。選択肢によって一定の分岐はあり、キャラごとに一枚絵やイベントが用意されているものの、それらが個別のエンディングに結びつくことはありません。

たとえサヨリと仲良くしても1周目にはああいうことになり、ユリと仲良くしても2周目にはそういうことになり、モニカに至っては通常は親しくなる「ルート」自体が用意されていないのです(これはモニカ本人が話している通りです)。

また、通常の恋愛ゲームでは、ある時点(A)からプレイし始めてエンディングを迎えると、再び最初のポイント(A)からプレイできることが多いと思います。

DDLCでもプレイヤーは何度かタイトル画面に戻され、固定されたポイント(主人公が文芸部を見学する前)から再びストーリーを開始することになります。あたかも恋愛ゲームでそれまでの攻略をリセットし、一からストーリーを始めるときのように。

しかしそれは、「今までの進行をリセットしている」ように見せかけているだけです。タイトル画面の変化から分かるように、プレイヤーが戻されるのは本当の意味での「最初のタイトル画面」ではなく、すでに進行しているストーリーの途中のポイントです。

ドキドキ文芸部! DDLCと通常の恋愛ゲームの比較解説 furige tabi com

上記の画像は、一般的な恋愛ゲームとDDLCの進行を比較したものです。DDLCのストーリーは重大イベントによってその前後が明確に区分されていて、いったん先のフェイズに進んでしまう(重要イベントを見終えてタイトル画面に強制的に移動する)と、それより前の固定ポイントには戻れなくなります。

そして、それぞれのフェイズでラストを迎えると、見かけ上のセーブデータはその都度消去されます(フェイズによってはセーブ自体不可能に)。

そして本当の「最後」を迎えると、DDLCは必ず進行不能になります。つまり、再起動してもゲームを遊ぶことができなくなるのです(最後のメッセージで画面が固定される)。

したがって、DDLCは通しでプレイすることを想定した、一本道のストーリーラインを持つノベルゲームだと言えます(スペシャルエンドが用意されている点はADVっぽいですが、単に選択肢を工夫するたけでなく、セーブ&ロードを駆使しなければいけない点がやはり特殊)。

「一本のストーリーが4つのフェイズに区切られている」と考えると、DDLCの概観は掴みやすいと思います。つまり、章区切りのビジュアルノベルに、一度先に進むと前の章は読めない&前の章のセーブデータも消去される……といった制限が設けられているような感じですね。

タイトル画面は「最初から」を意味するA地点にアクセスできるポイントではなく、現在1~4のどのフェイズにいるかを表す“顔”にすぎません。

プレイしているときは、ゲームを初めてスタートした時からサヨリの死までを「1周目」、サヨリの消失からユリの死~モニカのDDLC改変までを「2周目」、ジャスト・モニカな空間が崩壊するまでを「3周目」、モニカの消失からDDLC終焉までを「4周目」……という風にざっくりと分類していました。

1周目がほのぼの学園ギャルゲフェイズ、2周目がバグやホラー表現てんこ盛りのガワだけ日常フェイズ、3周目が黒幕兼ヒロインとの語らいの時間、そして4周目が本当の意味でDDLCが終了するフェイズです。

ちなみに「○周目」と言ってはいますが、上に書いた通り「周回プレイする」という意味合いの「○周目」ではありません。ゲーム起動~サヨリ事件までに選ぶ場合を除けば、DDLCにおける「ニューゲーム」はいわばフェイクです。

個別エンドのあるギャルゲかと思ったら、実は「DDLCとのお別れ」という一点に収束する物語である。それがこのゲームに仕掛けられた2つ目のトリックであり、面白さに繋がる意外性だと個人的には思います。

ところで、「最後まで進んだら進行不能になる」という仕様から、『テオとセァラ』という短編ノベルゲームを思い出しました。DDLCと似た仕掛けがほどこされた面白いフリーゲームです。

≪関連記事:『テオとセァラ』 「選択をやり直せない」ノベルゲーム 感想 考察 攻略

双方向のメディアとしてのDDLC

DDLCのもう1つの面白さは、挑戦的なメタフィクション要素だと思います。

DDLCには、自らがゲーム内の存在であると悟り、主人公を通してプレイヤーを愛するようになったキャラクターが存在します。そして彼女はセーブやロードといったシステムに言及し、スクリプトをいじったりゲームファイル内のデータを消したりする(そういう演出がある)のです。

個人的に印象深かったのは、演出・構成上、プレイ中にDDLCのフォルダを覗くように誘導される点でした。

通常フリーゲームを遊び始める手順は、だいたい「ダウンロード→解凍→ゲームのフォルダを開く→りどみを読む→ゲームを起動する」……という感じですよね。最初にゲームを起動する際にはゲームフォルダを開く必要があります。
しかし逆に言えば、それ以外でフォルダを触ることはあまりないのではないでしょうか。少なくともプレイ中、頻繁にゲームのフォルダをチェックするようなことはほとんどないだろうと思います。

しかしDDLCは、ゲームフォルダをも演出に利用するゲームです。ちょっとした脅かしにとどまらず、フォルダ内の要素がダイレクトにストーリーの核心に絡んできたりもします。だから、ゲーム世界の異常性を認識した頃からは、何か変化はないかとDDLCのフォルダを“覗く”のが常でした。

たとえば、DDLCフォルダ内には"characters"というフォルダが存在します。このフォルダの中には、(初期段階では)4つのファイルが入っています。"monika"、"natsuki"、"sayori"、"yuri"……という、キャラクターの名前が付いたファイルです。
フリーゲームをよく遊ぶ方なら、このフォルダの存在に気づいた時点で、「変わったフォルダだな」とか「なんだか露骨だな」といった感想を抱くのではないでしょうか。

実際このフォルダは、ストーリー上でかなりの存在感を放っています。黒幕のモニカは"characters"フォルダをいじることによって、自分以外のキャラクターをDDLC世界から抹消するからです。まるで私たちがデスクトップからいらないファイルを削除するときのように。

そしてプレイヤー自身もまた、物語が永遠の袋小路に迷い込んだ際には"characters"フォルダを開くほかありません。つまり、モニカのキャラクターデータを削除し、DDLCから彼女の存在を消すことを(ストーリー上)要請されるのです。

個人的には、1周目プレイ時にキャラクターファイルを削除すると特殊なエンドになるのが面白いなーと思いました。プレイヤーがDDLCフォルダに干渉したことをゲーム世界のキャラが感じ取り、それに対してレスポンスを返してくれる……その細やかさに感心し、同時に少し怖くもなりました。

また、DDLCフォルダ内には、ストーリーの進行に合わせて特殊なテキストファイルや画像ファイルが出現することがあります。内容は先の展開を暗示するものであったり、キャラの心情を婉曲的に示したものであったりと様々です。初見プレイ時には、"traceback"(テキストファイル)内のモニカのメッセージを見てぞわっとした記憶があります。

ゲームの進行に伴ってストーリーの核心に関わるファイルが出現するという仕様は、『いりす症候群!』(サイコロジカルホラーテイストなパズルゲーム)と似ているなーと思いました。あえて外付けで情報を提示し、核心に向けて刻んでいくスタイルってけっこう好きです。

≪関連記事:『いりす症候群!』/『いりす症候群!滅』 感想

まとめると、DDLCフォルダは単なるゲームの入れ物としてではなく、ゲーム世界(のキャラ)と現実世界(のプレイヤー)を繋ぐ結節点として存在しているように感じました。プレイヤーが一方的にDDLCフォルダを開いていじるだけではなく、ゲームキャラたちもまたDDLCフォルダに干渉し、プレイヤーの操作を感じ取り、自分たちでデータを書き換えさえするからです。

言ってみればDDLCフォルダは「箱」ではなく、「片方の端からしか中を覗けない筒」のようなものかもしれません。
箱は入れ物であり、パカッと蓋を開ければ中身を確認できます。しかし筒の場合、内部を確認したいのなら、そっと目を近づけて覗く必要があります。そしてこわごわと筒の中を覗いたとき、向こうの穴からこちらを見つめている「誰か」の視線を感じるかもしれないのです。

恐怖をあおる道具でもあり、ゲーム世界とモニカたちの存在を強く主張するアイテムでもあり、2つの世界を繋ぐ双方向型のメディアでもある。DDLCはゲームフォルダをこの上なく効果的に活用し、ゲームフォルダに意味を与えた作品だと思います。

愛すべき4人のキャラクター

DDLCに登場するのは4人の女子高校生です。サヨリ、ユリ、ナツキ、そしてモニカ。前3人については、それぞれ「幼なじみ」、「ヤンデレ」、「ツンデレ」といった恋愛ゲームの攻略対象キャラによく見られる属性を与えられています。

彼女らのキャラ造形は、(改変DDLC世界におけるモニカの発言を見るに)「ありがち」「テンプレ」という初見時の感想を狙ってのものだろうと思います。あらかじめ安心安全なキャラクター設定を見せておくことで、のちに彼女らが見せる理解しがたい狂気が際立つわけです。

そういう演出と絡んで、DDLCはギャルゲを好むプレイヤーを一定揶揄した作品でもあります。

たとえばモニカは、他のキャラを「人間味がない」「中身のない可愛さ」と痛烈に評価した上で、「どうしてあんな典型的なキャラに惹かれるのか」とプレイヤーを皮肉るような問いを投げてきます。幼い外見をしているナツキの抱える深刻な事情を明かした上で、「でも華奢な女の子が好きな男性もいるものね?」とシニカルなことを言ったりもします。

ただ、DDLCはけして恋愛ゲームのプレイヤーをからかっただけのゲームではないと思います。モニカとのやりとり全体やスペシャルエンドの内容もそうですが、何より丁寧なキャラクターの見せ方から感じたことです。先ほど「狂気演出のためのテンプレ造形」と書きましたが、キャラクターの内面の描写はけして一辺倒ではない魅力的なものでした。

一番印象に残ったのは、登場人物の良い面ばかりが描かれていないことでした。たとえばモニカが「典型的なキャラ」と評するユリやナツキですが、個人的にはどちらについても可愛いだけのつまらないキャラとは感じなかったんですよね。それはおそらく、2人の可愛さや長所だけではなく、負の感情や葛藤なども誠実に描かれていたからだと思います。

内気なユリと強気なナツキは、対照的に見えて実はよく似た悩みや欠点を抱える2人です。たとえば、2人は感情が高ぶると過激な発言をしてしまうことがあります。

交流相手がどちらか1人に偏ると2人の対立はより先鋭化するので、プレイヤーはゲームクリアまでに彼女らの「嫌なところ」を確実に見ることになります。さらにバグ表現の一環として、2人の辛辣すぎる本音が開示されることもあります(特にユリ。ただし改ざんの可能性もあり)。

ドキドキ文芸部! doki doki literature club! DDLC スクショ ユリとナツキのケンカ

ドキドキ文芸部!

ただ、だからといって「ユリとナツキは嫌な子だ」とは感じませんでした。「人の言動はどうしても感情や状況に左右される」という現実的には当たり前のことを、プレイ中にあらためて実感したからです。

たとえば、普段は親しくしているAさんに突然キツイ態度で当たられたり嫌味を言われたとします。そんなことをされる心当たりがまったくなかったとしたら、当然「なんでこんなことをするんだろう」「嫌な人だ」といった感想を抱くだろうと思います。

しかし、そのAさんの身内に不幸があったばかりだとしたらどうでしょう。ひどく気分が塞いでいるとき、たまたま出会った人につい負の感情をぶつけてしまっただけだったとしたら、Aさんの言動への見方は変わり得るでしょうか。

たぶん意見は様々にあるだろうと思います。「腹は立つけど、そういう事情があるのなら水に流そう」と思う人もいれば、「事情があったとしても関係ない他人に八つ当たりするなんてとんでもないヤツだ」と思う人もいることでしょう。

結局何か言いたいのかと言うと、「ある時点で嫌な人に見えたからといって、芯から嫌な人であるとは限らない」ということです。

世の中良い人はたくさんいても、常に良い人であり続けられる人はそれほど多くないんじゃないかと私は思います。嫌なことがあれば誰しもむしゃくしゃするし、顔つきもやや険しくなるし、ついとげとげしい態度をとってしまうこともあるかもしれません。

もちろん、たとえ事情があったとしても、感情の乱れから他者に不快な思いをさせるのは本来よくないことです。ただ、「嫌なことをしてきたアイツは嫌なヤツだ」という単純な帰結が成り立たないことも時にはあるんだろうな、と個人的には思います。

DDLCをプレイしているとき、特にユリとナツキについて上記のようなことを何度も感じました。というのも、ユリとナツキは時に爆発・暴走してしまうことはあれど、それ以上に良いところをちゃんと持ち合わせている(プレイすればそのことがよく分かる)キャラクターだからです。それぞれ詩作に真剣に打ち込んでいて、自分の言動を後悔したり、欠点を反省して他者に歩み寄ることもできます。

嫌なところも時々見えるが、けして嫌な子ではないし、総合的には良い子である。そういったいわば人間らしい造形と細やかな描写が、DDLCは非常に巧いと思います。

だからこそユリやナツキを含めた4人の部員は共感も理解も可能な愛すべきキャラクターであり、DDLCはギャルゲとしても純粋に魅力的な作品だなーと感じました。

*****

今回は、DDLCのあらすじや概要、魅力、キャラクター雑感などを書きました。次回は攻略関係の記事を書く予定です。更新したら追記します。

「サイコロジカル」や「メタフィクション」が印象的な作品について、いくつか感想記事を書いています。

『SPIEGEL EI』(シュピーゲルアイ) 感想 考察(少女の分裂した精神をめぐる探索型サイコADV)
『ほろびのゆりかご』 感想 考察(閉塞的な白いシェルターを舞台にした未来選択型ADV)
『Her Story』(彼女の物語) 感想 時系列考察 ※ネタバレ注意(凶悪事件と「彼女」の真実を追う新感覚ADV)

関連記事

気に入ったらシェア!

かーめるん
この記事を書いた人: かーめるん
フリーゲーム、映画、本を読むことなどが好きです。コンソールゲームもプレイしています。ジョジョと逆転裁判は昔からハマっているシリーズです。どこかに出かけるのも好きです。古い建築物などを見ると癒されます。

当サイトの概要は、「このサイトについて」の中に詳しく書きました。サイト内の全記事をチェックしたい方は、インデックスをご覧ください。

拍手コメントへの返信は、該当記事の下の方に追記します。特別な記載がない場合は、基本的にHNを明記して返信させていただきます。また、お問い合せはこちらのメールフォームからお願いします。

返信の必要のない方は、「返信不要」と書き添えていただければOKです。その場合、内容への返信はいたしません。その他ご要望等あれば、お問い合わせ・コメント時にあらかじめ教えていただけるとありがたいです。

コメント0件

There are no comments yet.