「君子の徳は風なり」 ジョジョ第5部「黄金の風」に見る『論語』の教え 考察
『ジョジョの奇妙な冒険』の第5部「黄金の風」における“黄金の精神”と、『論語』における教え(「君子の徳は風なり」)について考えました。

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ジョジョ5部に見る『論語』の教え。やや大げさなタイトルですが、そんなに格式ばった内容ではありません。アニメ終了後に心の整理をしたかったので、『論語』を引きつつ「“風”が伝える黄金の精神」をテーマにあれこれと書きました。「『論語』ってこういうエピソードがあったんだーこれ第5部っぽいなあ」くらいの雑感テンションの記事なので、気楽に読んでいただけると嬉しいです。
風が伝える「黄金の精神」

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『ジョジョの奇妙な冒険』第5部の副題は、「黄金の風」です。イタリア風に書けば"Vento Auero"、英語だと"Golden Wind"。
第5部で「風」が印象的に吹き渡る場面と言えば、すぐに思い浮かぶものが3つあります。1つ目はレクイエムの暴走に終止符が打たれ、ブチャラティたちから託された矢によってジョルノが覚醒するシーン。2つ目はローリング・ストーン(ズ)のエピソードを締めるスコリッピの独白シーン。そして3つ目はもちろん、第5部のラストシーンです。
また、恩人であるギャングの行動によって人への信頼を知ったときも、幼いジョルノの心には「さわやかな風」が吹きました(アニオリですが、ジョルノが少年にアイスをおごったときも風が吹いていました)。
さて、ジョジョで「黄金」と聞いたときにパッと連想するのは、「黄金の精神」というキーワードではないかと思います。
これは第4部「ダイヤモンドは砕けない」のラストにおいてジョセフ・ジョースターが口にした言葉であり、「人間賛歌」に次いで『ジョジョ』のストーリー傾向を象徴する重要な概念です。参考として、以下にジョセフの台詞を引用させていただきます。
かつて わしらもエジプトに向かう時に見た……… 「正義」の輝きの中にあるという『黄金の精神』を……… わしは仗助たちの中に見たよ……… (中略)彼らの示したその「精神」は、吉良の事件を知らない他の人々の心の中にも教えなくとも 自然としみわたって行くものじゃ そして次なる世代にもな………
荒木 2004, p.281
人間の行動により、血統をも越えて伝わっていく輝く正義の心。第5部の主人公であるジョルノ・ジョバァーナもまた、(3人のジョジョを知る第4部の語り部・広瀬康一が語った通り)その気高い精神性を受け継いでいます。
「運命の奴隷」エピソードでも示されたように、第5部は眠れる奴隷であった主人公たちが目覚め、彼らの立場から正義を貫こうとする物語です。
ゆっくりと死んでいくだけだったブチャラティの心は、ネアポリスでジョルノと出会ったときに生き返りました。アバッキオ、ミスタ、ナランチャも巨大な権力を持つ(そしてかつて恩義を受けた)組織に反逆し、あくまで彼らなりの正義を求める道を選びました。突如としてギャングの抗争に巻き込まれたボスの娘・トリッシュも、ジョルノたちの行動に感化されてスタンド能力を覚醒させ、精神的に強く成長していきます。
正義を求める勇気ある行動が周囲の人々を揺さぶり影響を与えていく。第5部の主人公たちはそのようにして次々と目醒めました。そして黄金の精神の伝播は作品内にとどまることなく、第5部を読んだ読者の心にも希望として伝わっていくのです(「運命の奴隷」でスコリッピが総括した通り)。
荒木先生は「運命」をテーマにした第5部の執筆中、運命を変えるのではなく、自らの置かれた状況の中で「正しい心」を捨てないことを選んだ主人公たちに本当に勇気づけられたそうです(荒木 2005b, p.330)。第5部のあとがきは、以下のような言葉で締めくくられています。
最後に登場人物たちに作者からひとこと言わせてください。「本当にありがとう。君たちは、苦しくつらい時に吹いてくれる『黄金の風』なのだ」と。
荒木 2005b, p.331
なぜ「風」なのか?

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ところで、アニメ放映の前に第5部を読み返していたとき、「なぜ『風』なんだろう」とふと思いました。実を言えば、それは初めて第5部を読んだときから漠然と不思議に思っていたことです。
なぜ第5部の副題は「黄金の『風』」だったのか。黄金の精神を広く伝えるものとして、(たとえば「波紋」などではなく)なぜ「風」が選ばれたのか。名も知らぬギャングの行動によって「仁」を知ったとき、どうしてジョルノの心には「風」が吹いたのか。
つまり、「風」というイメージはいったいどこから来たのだろう……ということが気になりました。
たとえば第4部の副題は、「ダイヤモンドは砕けない」です。これは「クレイジー・ダイヤモンド」の優れた修復・治癒能力、および本体である主人公・東方仗助(&杜王町の住人たち)のタフな精神力と輝く正義の心を、11字で過不足なく表したタイトルだと思います。
第6部「ストーンオーシャン」もまた、「ストーン・フリー」を操って「石でできた海」のような牢獄で生き抜く主人公・空条徐倫と、成長した彼女が最終的に見せる深みのある精神性を象徴するようなタイトルです。
以上より、第4部・第6部ともに、「主人公(の精神性)」と「主人公のスタンド」を彷彿とさせるような副題がつけられていることがわかります。
一方、第5部の副題である「黄金の風」はどうでしょうか。
主人公ジョルノのスタンドは「ゴールド・エクスペリエンス」、その能力は植物や小動物など生命を生み出すことです。「黄金=ゴールド」という連想は可能でも、「風」という単語が何に拠るものなのかはパッと見では分からないような気がします。
「君子の徳は風なり」――黄金の風を吹かせる主人公

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そんなこんなで「風」についてぼんやりと考えていた頃、ちょうど『論語』を読んでいて、個人的にハッとするような記述を見つけました。以下にそのくだりを引用させていただきます。
季康子、政を孔子に問いて曰わく、如し無道を殺して有道に就かば、何如。孔子対えて曰わく、子、政を為すに、焉んぞ殺を用いん。子、善を欲すれば、民善ならん。君子の徳は風なり、小人の徳は草なり。草、これに風を上うれば、必らず偃す。
金谷 1999, pp.238-9(下線は引用者)
季康子が政治のことを孔子にたずねていった、「もし道にはずれた者を殺して道を守る者をつくり上げるようにしたら、どうでしょうか。」孔子は答えていわれた、「あなた、政治をなさるのに、どうして殺す必要があるのです。あなたが善くなろうとされるなら、人民も善くなります。君子の徳は風ですし、小人の徳は草です。草は風にあたれば必らずなびきます。」
「君子の徳は風である」、そして「草に風を加えれば必ずなびく」。
特にこの部分を読んだとき、「めっちゃ第5部っぽい」と思いました。そして、「だから『風』のイメージなのか」と(あくまで自分の中で)腑に落ちるものがありました。
ギャングの男に信頼を教わったとき、荒んだ環境にあったジョルノの心に「さわやかな風」が吹き、黄金のような夢が芽吹いた。ジョルノの夢と信念に基づく行動を目の当りにし、ブチャラティたちの心にも「風」が吹き渡った。そして風に吹かれて目醒めた彼らの勇気ある行動もまた、新たな「風」となって他者(=読者)に確かな影響を与えていく。
つまり、第5部のジョジョであるジョルノ・ジョバァーナは、その行動によって「風を吹かせる人」なのだろうと思います。
ジョルノは新入りながら、参謀としても精神的な意味においても常に起点となってチームメンバーを導いていくキャラクターです。ジョルノの言行に接する、つまり彼の起こす「風」に触発されることで、ブチャラティたちやトリッシュは次第に正義を求める黄金の精神に目覚めていきます。
ジョルノが精神的に成長しGERを発現させる回のタイトルが「王の中の王」であること、ジョルノを象徴するイメージとして(GEの生み出す)「植物」が描かれることが多いのも、上記の「君子の徳は風である」・「草に風を加えれば必ずなびく」と不思議とマッチしているような気がします。
個人的に強調したいのは、起点となるジョルノもけして最初から「風を吹かせる人」だったわけではなく、当初は「風になびく草」だったことです。また、上記の説話によれば同じく「風になびく草」にあたるブチャラティたちが、自らの行動によって「風を吹かせる人」になっていくことも非常に重要だと思います。
ジョジョのモットーは「人間賛歌」。今にもくじけそうな子供であっても、社会的に疎外されたギャングであっても、誰しも黄金の精神を持ちうるのだということが作中では繰り返し示されています。
風に吹かれるがままの受け身な存在から、草木をそよがせ揺さぶる力強い風へ……上記の説話に拠って第5部の主人公たちの道程を表現するなら、そのような説明になるのではないでしょうか。
もちろんジョルノたちは命の獲り合いに躊躇のないギャングであって、孔子の理想とするような君子像とはまずもって重なり合わないところが多々あります。
ただ、(「道に外れた者を排除するのではなく善い方向へ導く」とか、「善くあろうとする君子の行動によって民もまた善くなっていく」といった部分も含め)上記の論語の教えは、アウトサイダーである主人公たちが正義の心に目覚めていく第5部のストーリーと不思議と通い合う部分があるなーと思いました。
「仁」を知るジョジョたち
上の話とは直接関係ないですが、「仁」という言葉がジョジョにはたまに出てきますよね。ジョルノのプロフィール文と、あとは第2部で、最終決戦を前にジョセフが静かに闘志を燃やす場面にも登場します。
「仁」というのは孔子の教えの中核を成す徳目であり、「肉親の間での自然な愛情から発した、一種の調和的な情感」と説明されています(金谷 1999, p.5)。もうちょっとわかりやすい説明を探すと、「人間の自然な愛情にもとづいたまごころの徳」のことです(金谷 1999, p.21)。
つまり、「仁」とは他者を思う心や愛情から生じる、すごく人間らしい感情を表す言葉なんだろうと思います。この「仁」という単語によって、ジョルノの性格の説明もジョセフの独白も、グッと締まった印象深いものになっているような気がします。
異色のジョジョであり案外複雑な性格をしているジョセフも、クールで人間味の薄い印象を持たれがちなジョルノも、他者と関わることで「仁」を知り成長したキャラである……そういうことを考えると、2人のことがますます好きになってきます。
『論語』はおおらかに人間を肯定する教えに溢れた書物なので、意外にジョジョと親和性があるんじゃないかなーと個人的には思います。
*****今回の記事で引用させていただいた参考文献は以下の通りです。
- 荒木飛呂彦(2004)『ジョジョの奇妙な冒険 29 Part4 ダイヤモンドは砕けない 12 (集英社文庫(コミック版))』、集英社
- 荒木飛呂彦(2005)『ジョジョの奇妙な冒険 30 Parte5 黄金の風 1 (集英社文庫(コミック版))』、集英社
- 荒木飛呂彦(2005)『ジョジョの奇妙な冒険 39 Parte5 黄金の風 10 (集英社文庫(コミック版))』、集英社
- 金谷治訳注(1999)『論語』、岩波書店
※『ジョジョの奇妙な冒険』を題材にしたゲームについても、いくつか感想記事を書いています。
・『ジョジョの奇妙な冒険 7人目のスタンド使い』 第3部の旅に同行できるRPG 感想 攻略
・『ASSASSINO MEMORIALE』 ジョジョ5部の暗殺チームを攻略できる乙女ゲーム 感想 ※ネタバレ注意
・『ディアボロの大冒険』 ジョジョ第5部のラスボスが頂点に返り咲くローグライクゲーム レビュー
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