サヨリ・ナツキ・ユリ・モニカの「宿題の詩」 考察&感想 ※ネタバレ注意 【ドキドキ文芸部!/DDLC】
『Doki Doki Literature Club!』(DDLC/ドキドキ文芸部!)のサヨリ・ナツキ・ユリ・モニカの「宿題の詩」に関する感想&考察記事です。ネタバレを含みます。制作者はTeam Salvato様。作品の公式サイトはこちらです。 → Doki Doki Literature Club!
ドキドキ文芸部!
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『ドキドキ文芸部!』の舞台は「文芸部」。その設定上、主人公たちは部活動として何度か詩を作ることになります。プレイ中はこの詩作パートがいつも楽しみでした。
単純に各人の詩のスタイルや雰囲気が十人十色で興味深いのと、詩を通じて登場人物の内面が婉曲的に(時には克明に)描き出されるのがすごく面白いです。DDLCは登場人物の心理を丁寧に描いた作品ですが、詩作パートはキャラの掘り下げに大いに寄与していると言ってもいいと思います。
この記事では、サヨリ、ユリ、ナツキ、モニカが制作する詩についてざっくりとまとめました。具体的には、「分岐や周回によって生じる差分」「各人のスタイルや言葉のチョイス」「個別の詩に関する感想・考察」などを書いています。
※記事を書き終えた後に、こちらのページ(Dan Salvato氏のコメンタリーの翻訳)を拝読しました。非常に興味深い内容であり、制作者様による複数の詩の解釈が記載されていたので、(答え合わせのような感じで)一部を引用させていただきました。丁寧な翻訳でとても読みやすいので、DDLCの裏話やシーンの意図が気になる方にオススメです。
以下、仲良くならないとわからない情報やDDLC本編の核心部分など、ネタバレをガッツリと含みます。未見の方はご注意ください。
※『ドキドキ文芸部!』感想記事一覧
・その1:『ドキドキ文芸部!』 ギャルゲ×サイコロジカルホラー 感想 レビュー
・その2:DDLCの基本事項まとめ(ダウンロード手順/日本語化パッチ当て/リセット方法)
・その3:モニカは第四の壁を越えようとしたのか? キャラ感想&考察
・その4:ユリ、ナツキ、サヨリについて キャラ感想&考察
・その5:サヨリ・ナツキ・ユリ・モニカの「宿題の詩」 考察&感想(現在閲覧中)
宿題の詩の概要(ルートによる分岐など)
宿題提出(最大で3回)で見ることのできる、サヨリ、ナツキ、ユリ、モニカの詩。この項目では、「何周目の誰ルートでどんな詩が見られるか」について簡単にまとめました。
便宜上、初めてDDLCを起動してからサヨリがいなくなるまでを「1周目」、サヨリなしで再スタートしユリがいなくなるまでを「2周目」、モニカと2人きりで話すフェイズを「3周目」、モニカ消失後からエンディングまでを「4周目」と呼びます。
1周目で確定的に提示されるのは、サヨリの「親愛なるお日様へ」「ビン」「%」、モニカの「壁の穴」「私をセーブして」「全てを知る女性」、ナツキの「ワシは飛べる」「エイミーはクモが好き」、ユリの「燈の下の幽霊」「アライグマ」の10編です。
上記に加えて、誰と親しくするかによって宿題3回目に見られる詩が変化します。たとえばナツキと親しくすると宿題3回目に「あなたが」を見せてもらえます。ユリと親しくする場合は「燈の下の幽霊 2」を見ることができます。
また、サヨリと仲良くすると、「ナツキとユリが同じ主題についてそれぞれ書いた詩」(後述)を読むことができます。
続いて、サヨリが消えた2周目で提示される詩は、モニカの「壁の穴」「私をセーブして」、ナツキの「ワシは飛べる」「エイミーはクモが好き」、ユリの「燈の下の幽霊」「車輪」「(判読不能の詩)」の7編です。
2周目は強制ユリルートなので、ユリの詩を3つ読むことができます。ただしユリはすでに狂気に陥りつつあるため、宿題2回目で提出されるのは「アライグマ」ではなく、狂気マシマシの「車輪」です(宿題3回目はもはや判読不能)。
また、モニカもタイトルこそ1周目と同じ詩を書いてきますが、「壁の穴」にせよ「私をセーブして」にせよ内容が大きく変化しています。「壁の穴」は1周目・「壁の穴」の続きとでも言うべき内容になり、「私をセーブして」もところどころ改変されています。さらに、ナツキ寄りにストーリーを進めると宿題3回目に形式上詩を見せてもらえます(もっとも、スクリプトエラーで内容を読むことはできません)
ナツキの詩は2つとも1周目と内容が同じです。ただし、2周目では宿題3回目にナツキからこっそりと「メモ」を渡されます。いきなりおかしくなったユリを心配しつつ、モニカを警戒する内容の手紙です(ナツキがユリにはっきりとデレている点で必見)。
3周目のDDLCに存在するのは「モニカだけ」です。よって、彼女の書いた詩を1つだけ見せてもらえます。4周目はすぐに終わるので、宿題の詩を読む機会もありません。
まとめると、エンディングを迎えるまでにサヨリの詩を3つ、モニカの詩を4つ(内容違いを分けてカウントするなら6つ)、ユリの詩を(読めない詩も含めて)6つ、ナツキの詩を4つ読むことができます。特に「1周目に誰と仲良くなるか」によって提示される詩が変わるので、すべてを確認したい場合は要チェックです。
サヨリの詩とスタイル

Photo by Kristijan Arsov on Unsplash
サヨリは、詩作においては様々な感情に注目します。言葉選びや表現方法は素朴な感じですが、込められたメッセージは独特かつ痛切です。主人公いわく「穏やかでほろ苦い」詩には、ときにサヨリの心の深いところが表れます。
サヨリの好きな単語は、泣く・笑う・元気づける・飛ぶ・歌う……といった動作系ワードや、笑顔・涙・熱情・喜び・絶望・興奮・悲哀・恐怖といった感情に関わるワード、子供の頃・友達・記憶・一緒に・家族などの幼なじみっぽさのあるワードなど。
そして注目すべきは、鬱病・悲劇・報われない・怠惰・白昼夢・傷跡・空っぽといった不穏な単語も好むことです。サヨリが天真爛漫なだけの女の子ではないことに、ここで気づくプレイヤーもいるのではないでしょうか。
「親愛なるお日様へ」
ブラインドから差し込む朝の陽ざしで、
ドキドキ文芸部!
きみがさみしかったのがわかるよ。
額にキスをしてくれるとベッドから起き上がれるの。
目をごしごしして眠気をぬぐう。
「親愛なるお日様へ」は、朝の陽ざしを擬人化して語りかける内容の詩です。おそらくはサヨリの毎朝の風景を詩に書いたものなのでしょう。
いかにも「サヨリらしい」、微笑ましく無邪気な内容の詩です。いつも額にキスをして起こしてくれるお日様に、「わたしもきみを信じてるよ」と返す視点人物(サヨリ)。特に含みのないほのぼのとした朝の一幕を描写した作品に思えます。
ただし、後に明かされるサヨリの真実を知るとこの詩の見方も少し変わります。この詩は穏やかで優しい内容ですが、「元気はつらつ」「一日の始まり」的なムードはほとんどありません。「親愛なるお日様へ」と銘打ってはいるものの、そこに毎朝目覚めることへの喜びや幸福感はないのです。
自分を欠かさず起こそうとする太陽を受け入れつつも、少し距離を置いて能動的には肯定しない。特に「きみがいなきゃ、ずっと眠ってられるのにね。でも怒ってないよ。」というくだりには、一日が始まることへの気だるげな諦めが滲んでいるようにも見えます。
とはいえ私自身、1周目のDDLCでは「サヨリらしい可愛い詩だなあ」と思ったのみでした。そのように思ったからこそ後の「ビン」で衝撃を受けたし、サヨリの顛末を見てからこの詩を慌てて見返しもしました。
サヨリは外見と内面のギャップが著しいキャラですが、振り返ってみるとその内面を匂わせるヒントは端々で発信されています。この「親愛なるお日様へ」もまた、彼女の落差を演出するギミックの一つであり、同時にサヨリの内面をひそかに示してくれるヒントであると言えるのかもしれません。
ちなみに、こちらのページ(制作者様によるコメンタリーの翻訳)に「親愛なるお日様へ」の解説が記載されています。上の感想を書いた後に読みましたが、この詩はサヨリのうつに関するものであり、「動機がないと朝ベッドから永遠に起きられない」ことを示したものだそうです。個人的にびっくりしたのは、「お日様」=主人公であること。切ないやら可愛いやら複雑な気持ちになります。
「ビン」
クッキー缶のフタのように、頭をパカッと開ける。
ドキドキ文芸部!
わたしの夢をぜんぶつめた、ヒミツの場所よ。
ちいさな日光のボールが集まって、子猫のようにすり寄ってくる。
(中略)でもうかうかしてられない!大切にビンにしまう。
そのビンを、他のビンと同じように棚に置いていくんだ。
ビンが並ぶ、その中にはシアワセ、シアワセ、シアワセ。
サヨリの詩(といっても他の部員よりも作品数が少ないですが)の中で最も印象に残っているのは、「ビン」です。初日の「親愛なるお日様へ」を見て「サヨリらしい」と感じたプレイヤーほど、「ビン」を読んだときに衝撃や不安を覚え、「サヨリは本当に見た目通りの明るい女の子なんだろうか」と疑問を抱くのではないかと思います。
「ビン」で描き出されるのは、「シアワセ」を何より大切にしつつ、それらを他者に分け与えなければいけないという強迫観念に駆られている「わたし」の心です。幸福はいつの間にかすっかり消え去り、残っている幸せさえも自分から切り離さねばならないと必死になっている「わたし」には、おそらくサヨリ自身の切羽詰まった心情が投影されているのでしょう。
初めてこの詩を読んだとき、「サヨリってこんなことを書くキャラなの?」とショックを受けたことを覚えています。絶望的でどうしようもない状況にある「わたし」と、目の前の明るくておっちょこちょいで無邪気なサヨリのイメージがまったく一致しなかったからです。あわてて詩の内容を何度も読み直し、その意味するところを完全には把握できなかったものの、「サヨリの精神状態ってもしかしてよくないのかな」と漠然と思いました。
最初に「サヨリっぽさ」に溢れる「親愛なるお日様へ」を提示し、続く「ビン」でプレイヤーの思う「サヨリっぽさ」を一気に突き崩してくる構成は本当に巧みだと思います。サヨリは安心枠というか「日常の象徴」っぽいキャラなので、「ビン」がもたらす不安要素は計り知れないものがあると思うんですよね。サヨリが抱えている問題がどの程度のものなのか、プレイヤーは「事」が起こるまでは想像するほかないわけですから。
サヨリ曰く、「ビン」は自分の中の感情を深く見つめて書いた作品だそうです。かつ、そうするようにとアドバイスしたのはモニカです。色々なことが起こってから「ビン」を読み返すと、そこに表現された絶望と空虚を心底恐ろしく、また悲しく感じました。振り返って思うに、DDLCをプレイしていて最初に“精神的な恐怖”を抱いたのは「ビン」を読んだ瞬間だった気がします。
%
文化祭当日に見られる、サヨリの最後の詩です。初見でタイトルがよくわからなかったのですが、制作者様のコメンタリーによると題名は「%」だそうです。
無音の中で開陳される「%」は、サヨリにまずいことが起こっていると一目でわかる内容の詩です。同時に、彼女が何かに強く翻弄されていることも感じられます。「わたしのあたまのなかからでていけ」が途切れ途切れに書かれる部分は特に鬼気迫っていて、じわじわと精神を侵食する「何か」にサヨリが抗っている様子がよく伝わってきます。
おそらく「あのこ」=モニカであり、「%」はモニカの干渉に苛まれながら主人公への恋心に苦しむサヨリの心情を綴った詩なのでしょう。
ナツキの詩とスタイル

Photo by Caroline Hernandez on Unsplash
ナツキは、試作においてかわいらしく率直な言葉で物事を表現することを好み、読者の懐に飛び込むような詩を理想とします。「シンプルに、かわいく、分かりやすくしろっての!」というセリフには、そのまま彼女の信条が表れていると言ってもよさそうです。
好きな単語は、ドキドキ・ひそひそ・いきいき・ぴょんぴょんなど人の動きや心情を表すものや、パジャマ・口笛・子犬・リボン・毛布など可愛い印象の強いもの、チョコレート・バレンタイン・バニラ・ミルク・パフェなどお菓子作りに関係のあるものなど。全体的にシンプルでかわいらしい語感の単語が多いです。
「ワシは飛べる」
ワシは飛べる
ドキドキ文芸部!
ヒトは努力できる
だけどそれくらい。
「ワシは飛べる」は、動物の名前とその動物にできることを列挙した詩です。サルは登れる、コオロギは飛び跳ねられる……といったように。サル、コオロギ、ウマ、フクロウ、チーター、ワシと来て、最後に「ヒトは努力できる/だけどそれくらい」と結ばれます。
英文で見ると、"can"を繰り返しつつ動詞部分で韻を踏んでいるのが特徴的な詩です("Eagles can fly"、"People can try"とか)。
この詩のミソは、やはり"But that's about it."という最後の一文だろうと思います。「まあできることって言えばそのくらいだよね」とちょっと斜に構えつつも、「でも努力することはちゃんとできるんだから」とピシッと主張しているのがグレートです。
「努力(挑戦)できる」と抽象的な表現を用いていることで、逆に可能性を感じさせる内容になっているのも見逃せないポイントだと思います。
「ワシは飛べる」には、「メッセージを伝えるのに凝った言葉や表現を使う必要はない」というナツキの信条が端的に表れているような気がします。けっこう好きです。
制作者様によれば、「ワシは飛べる」は「ナツキの自信のなさと『自己実現的予言』」が感じられる詩だそうです。自信の無さと、「努力できる自分になる」という予言・宣言が、「だけどそれくらい」に表れているのでしょうか。
「エイミーはクモが好き」
エイミーのこと聞いた?
ドキドキ文芸部!
エイミーはクモが好き。
べとべと、もぞもぞ、もじゃもじゃでキモイあのクモが!
だからわたしは友達にならないの。
2回目の宿題で見せてもらえるのは、「エイミーはクモが好き」。クモが好きな「エイミー」について「わたし」が語る形式の詩です。
おそらくはナツキの体験を色濃く反映した作品ということもあり、個人的には彼女の詩の中で一番好きです。「人と違う趣味を持っているからと言って否定すべきではない」というナツキの発言を綺麗に詩に落とし込んだような雰囲気があります。
エイミーは「わたし」が好きなラブソングを上手に歌うことができるし、「わたし」がケガをしたときは保健室まで付き添ってくれます。エイミーには友達だってたくさんいます。しかし「わたし」はエイミーとは友達にならないと再三繰り返します。なぜならエイミーはクモが好きで、一方の「わたし」はクモが大嫌いだからです。
「クモが好きだから」という理由ひとつでエイミーを嫌悪し、他の子もエイミーを嫌うように仕向けようとする「わたし」の言い分は、感情的かつ頑迷でいかにも理不尽です。しかし「クモ」を色々な事柄に挿げ替えてみれば、一面だけ見て頑なに人を否定しにかかる「わたし」のような人は、現実に案外たくさんいるのではないでしょうか。
「エイミーはクモが好き」には、平易な言葉と表現で心に引っかかるメッセージを発信するナツキのスタイルの魅力が詰まっていると私は思います。
「あなたが」
何かを言いたいとき、叫ばずにはいられない!
ドキドキ文芸部!
でも本当の気持ちは全然こもってない。
あなたが聞いてくれるなら
少しは気持ちを込められるよ。
「あなたが」は宿題3回目、いわばナツキルートの最大の盛り上がりどころとなる詩です。ナツキ&ユリルートに関しては、この3回目の詩は「告白」と言ってもいいのではないかと思います。
「あなたが」を最初に読んだときは、ナツキの心情(恋心)が本当に率直に綴られていることにドキッとし、彼女のいじらしさや切実さに思わずときめきました。
強気なところ、弱気なところ、もっと成長したいという気持ち。「あなたが」を読んでいると、「ナツキ」の人物がそのまま心に迫ってくるような感覚に襲われます。これはたぶん、ナツキが自分の心に覆いをかけず、彼女の得意とする率直なスタイルをもって差し出してくれているからではないかと思います。
現状でも精一杯やっているけれど、「あなたが」隣にいて見ていてくれるなら、「少しは」よりよい自分になれる。その「少しは」が何より重要だし背中を押してくれる主人公が大好き……読んでいると、そんなメッセージがひしひしと伝わってきました。
ラストの、「あなた、あなた、あなたが。」の繰り返しもいいですね。あえて文章にはしていないだけで、「主人公がいると頑張れる」ことはもっといっぱいあるんだろうなあと感じます。
ユリの詩とスタイル

Photo by Jamie Street on Unsplash
ユリは比喩表現や象徴性を多用することを好みます。言葉を幾重にも綴ることによって奥深いニュアンスを持たせ、読み手の想像力を喚起するような詩を得意とします。
モニカいわく、ユリの詩は最もロマンチックであり、かつそういう表現に適したスタイルであるとのこと。ユリの詩には常にストーリーが内在していると個人的には感じるので、モニカの評価は納得の一言でした。
ユリの好きな単語は、霊気・満天の星・空想といったファンタジーっぽいものや、時間・永遠・本質・存在といった哲学的なもの、憂鬱・地獄・不安定・爆発・苦悶などの不穏なもの、そして、抑えられない・欲求・執着・快楽・隠し事といったユリの隠れた一面を暗示するようなものなど。
抽象的&哲学的&そこはかとなく中二病系のワードを選ぶと、たいていユリのSDキャラがぴょんぴょん跳ねてくれます。
「燈の下の幽霊」
絡みつく私の髪が琥珀色の燈に照らされる。
ドキドキ文芸部!
ひたり。
まさにこれだ。
時という試練に耐え続けた最後の街燈。
「燈の下の幽霊」は、ユリが最初に見せてくれる宿題の詩です。ユリらしいと言うべきか、比喩が効果的に使われた物語性のある詩だと思います。
詩の中でフィーチャーされるのは、琥珀色に明滅する光で周囲を照らす、もう古い時代の象徴となってしまった街燈。「幽霊」はいずれは青みがかった白色灯に置き換えられてしまうだろう燈(ともしび)に惹かれ、あえてその下に佇み続けます。
街燈に心を寄せ、その明滅に同調する「私」こと「幽霊」は、おそらく制作者であるユリの現身なのだと思います。
ユリは他人には言えない趣味を持ち、引っ込み思案でもあるため常に疎外感を感じています。内心で他人との交流を求めつつ、「普通」にふるまう方法がわからないと感じてもいます。
だからこそユリ=「幽霊」は、いずれは現代式のものに置き換わるものだと諦観を抱きつつも、時の試練に耐えて自分のあり方を通す街燈の灯りにどうしようもなく惹かれてしまうのでしょう。まるで鼓動のようなリズムで明滅する琥珀色の燈こそ、ユリの心であり秘めたる願いなのかもしれません。
ユリの臆病さや周囲の人間に心を閉ざすさま、そして自分のあり方を丸っきり変えることはできないと言いたげな頑固さが見え隠れする、素敵な詩だと思います。
「アライグマ」
それは真夜中、密かな楽しみにと軽食のパンを切っていた時のことでした。
ドキドキ文芸部!
窓の向こうに時折ちらつくアライグマが、私の目に付きました。
自分が異質な人間であると気付いたのは、おそらくこれが初めてだったのでしょう。
真夜中にやってくる獣に、「パン」を切って餌付ける「私」についての詩です。ユリのある側面を露骨にスケッチした作品であるとも言えるので、個人的にはこの「アライグマ」が一番好きでした。
1周目では「何のことかはわからないけどバリバリの比喩っぽい」と感じただけでスルーしました。しかし2周目に再びこの詩に対面すると、ユリの内面が(分かる人には分かる形で)あまりに赤裸々にさらけ出されていることに気づいてびっくりしました。
詩の中で語られているように、アライグマは「衝動」です。衝動にパンという「飢えた好奇心」を与えることで、「私」(=ユリ)はその衝動を餌付けていきます。
そして、衝動たるアライグマを魅了するのは「蠱惑するナイフ」です。ナイフを見るたびに興奮し血をたぎらせるアライグマ。すっかり友達となったそのアライグマを見て、この獣に自分の感情を投影しているだけなのかしら、と独りごちる「私」。アライグマを餌付けていたはずが、詩の終わりには餌付けられているのは「私」になっています。
ストーリーを進めれば分かる通り、ユリはナイフを愛して携帯し、その刃で自分の肌を傷つけ楽しむ一風変わった趣味を持っています。「アライグマ」はおそらく、ユリが自分の異質な嗜好に初めて気づき、好奇心のまま衝動に身を任せるようになるまでの経緯を詩に落とし込んだ作品だと思われます。
詩の冒頭部分は、臨場感があり比喩に満ちていて特に好きです。「窓の向こうに時折ちらつくアライグマ~」は、パンを切るナイフに興奮を覚える自分に気づいた瞬間のユリを指しているのでしょう。
自分にそういった嗜好があるとは露知らなかったユリが、異様な衝動に気づいてしまった時の驚愕と興奮。戻れなくなるとわかっていても好奇心に蓋をできず、ほんの少しナイフで肌を傷つけた時のほの暗い快感。その瞬間瞬間がこの上なくドラマチックに切り取られていて、詩を読んでいるだけでドキドキしました。
「燈の下の幽霊 2」
絡みつく私の髪が琥珀色の燈に照らされる。
ドキドキ文芸部!
ひたり。
遠くには明滅する青緑の燈。
一つの人影が道を横切り――影はその不気味な輝きを遮断する。
ユリルート、3回目の宿題の詩です。最初の「燈の下の幽霊」から続く作品であり、ナツキルートと同じく、もはや主人公への告白と言ってもいいような内容になっています。
相変わらず琥珀色の燈の下に立っている「私」は、遠くで明滅する青緑の燈を遮る人影に気づきます。だんだんとこちらに近づく「彼」を見まいとする「私」ですが、ついに街燈の下に踏み入った「彼」と向き合ってしまいます。
腕を広げて待つ「彼」を見て、温かい心地になる「私」。自嘲しつつも抑え切れない感情のまま「彼」の手に触れると、琥珀色の燈の明滅はついに止みます。
1回目の詩から「青緑の燈」=現代式の灯り、「琥珀色の燈」=旧式の街燈と表現されているように、「青緑の燈」はまずユリにとっての他者なのだろうと思います。ただ、最後に「青緑色の幽霊」とある通り、ユリもまたその他者と同じ人間なんですよね。けして異質なだけの存在ではなく、青緑色の他者と分かり合える可能性があるし、その自覚もあるわけです。
遠くから近づいてきて辛抱強く待ってくれた主人公の手に、ユリはそっと触れました。他とは違う「琥珀色の心臓」を抱えつつも、主人公を拒むのではなく受け入れました。役目を終えたように止んだ街燈の明滅は、この詩の幸福な終わりを示唆しているのではないかと思います。
狂気に陥ったユリの詩
回転する車輪。車軸を自転。研削。ボルトヘッド。線状の変速装置。落ちる空。七本の聖なる杭。
ドキドキ文芸部!
ところで、2周目のDDLCでは、だんだんと狂気に駆られゆくユリの詩を読むことができます。
まず「車輪」は、偏執的な書きっぷりに初見でうわっと思いました。落ち着いて読むとユリらしい中二病ワードが炸裂していたり言い回しが面白かったりするんですが、ドン!と出されると「ヤバイなこれ」という感想しか出てこなくなります。原語でも邦訳でも単語がみっちりと詰まっていて怖い。一見して「あっこの詩を書いた人病んでる」と直感できるのが素晴らしいです。
また、「車輪」が書きつけられた紙のよれや、微妙に残った液体の跡も芸コマだと思います。それまでの几帳面なユリにはありえない痕跡なんですよね。主人公のペンを持ち帰ってこのテンション高い詩を書いたとわざわざ教えられると、「へえーペンをね……」と色々と察するほかなかったです。
そして最後の宿題で見せられる詩は、もはや書き殴った呪文のような代物でした(原語も確認しましたが、同じく判読不能でした)。じっと見ていると呪われそうというか、書いていることもまがまがしければ、紙についた血痕や黄ばみも怖い。血はともかく黄ばみは出どころがよくわからないのがさらに怖い。
この詩を見せた後のユリはぶっ飛んだことばかり言いますが、テンションを上げるだけ上げてから「吐きそう」と言い残す姿に気が抜けてしまって思わず笑いました(直後にまったく笑えない事態になりましたが)。
モニカの詩とスタイル

Photo by Dmitry Ratushny on Unsplash
モニカは他の3人とはまた異なる詩のスタイルを持っています。言葉のみに終始せず、詩をつづる「空間」そのものに注目し、紙上で言葉の配置を工夫することで詩の雰囲気を変えることを好みます。たとえばノイズを表現したいときは短文を連続させる、強調したい単語の上下に空白を設ける、といった感じです。
2人きりのときに、モニカは「ラップに興味がある」と話してくれます。間合いの取り方や強調の仕方に惹かれるものがあるんだろうなーと納得しました。朗読向きと評価されるのはナツキの詩ですが、モニカの詩も読み上げると力強く感じられるそうです。ナツキの詩はリズム感重視、モニカの詩は目でも耳でも読んだ/詠んだ時のテンポの良さ重視……という印象があります。
また、「すべての詩が何かについて書かれているわけではない」と語りつつも、モニカの詩はすべてある認識に基づいて書かれたものです。周回による差分も多く、彼女の思惑を知ってから読み返すとハッとする描写も多く含まれています。
「壁の穴」
ただの小さい穴。明るすぎた訳ではない。
ドキドキ文芸部!
深すぎたのだ。
すべてに、永遠に通じている。
無限の選択肢を持つ穴。
私は中を覗いてなどいなかった。
外を覗いていた。
そして彼が、向こう側から、中を覗いていた。
「壁の穴」は1周目と2周目(サヨリがデリートされる前後)で内容が異なる詩です。具体的には、2周目では1周目に提示される「壁の穴」の続きを読むことができます。
「壁の穴」には、モニカがゲーム世界にいる自分と外の世界にいるプレイヤーに気づき、戦慄を覚えた瞬間が克明に描かれています。真・DDLC空間でモニカとお喋りした後だと特に、彼女を捉えた混乱と恐怖をまざまざと感じ取れる内容になっている気がします。
「壁の穴」の向こうに「外」があること、そこに「彼」がいることに気づいたとき、モニカの癒しがたい孤独と絶望は始まったんだなーと読み返して思いました。「焼けた眼」「狂った音色」「部屋に皺が走る」といった描写を見ると、覚醒後のモニカは周囲を認識するのに苦労していそうでもあり、痛ましい気持ちになりました。
「私をセーブして」
止めどない色。
ドキドキ文芸部!
まばゆく、綺麗な色が
輝き、膨らみ、つんざく
赤、緑、青
止まない
不協和音
意味のない
雑音
「私をセーブして」は、紙の上の空間で遊ぶモニカのスタイルがよく発揮された詩だと思います。頻繁な改行、ずれた文頭、不規則なピリオド、大きな空白。本人が「ノイズを表現した」と語る通り、この詩は視覚的にも据わりの悪いノイジーなものです。
おそらくこの詩は、ゲームの裏側を視覚的・聴覚的に眺めた作品なのだろうと思います。あふれ出すRGBカラーや耳障りな波形といった表には出てこない「雑音」がゲーム世界には満ちていて、覚醒したモニカはそれらを認識してしまったのではないでしょうか。
「私をセーブして」には、きっと「私を助けて」というメッセージが込められているのでしょう。この詩で表現される不愉快な「ノイズ」をモニカがずっと聞いていただろうことを思うと、ゾッとするやら気の毒になるやらでした。
ところで、2周目の詩のラストに現れる「彼女を消して」の「彼女」はストレートにユリを指しているのでしょうか。サヨリはすでになく、「ナイフ」を含む一文が2周目では出現しているので、たぶんユリなんだろうなーとは思いますが。
「全てを知る女性」
地上のどこかを渡り歩く女性の、古い言い伝え。
ドキドキ文芸部!
全てを知る女性。
全ての真理を突き止めた美しい女性。
全ての意味を、
全ての目的を、
今まで抱えて来た全ての望みを。
「全てを知る女性」は、物語めいた長い詩です。一見変わり種の詩に見えるものの、余白を大胆に使った強調の仕方はモニカらしいものだと言えます。
この詩で強調されている単語は、「羽根」。「伝説」を求めてたゆたう一枚の羽根である「私」は、「全てを知る女性」の手に降り立ちました。彼女は「私」に伝説など在りえないと虚ろな目で告げると、再び「私」を風に吹かれるままの状態に戻します。
「全てを知る女性」というファンタジーじみた人物に、あなたが探すものなど存在しないと告げられる羽根。おそらく羽根はモニカ当人であり、伝説とは彼女の望みが成就することなのではないかと思います。
内心では望みなど叶いはしないと知っていても、過ちを犯しすべてに見放された羽根には、もはや伝説しかすがるものがない……その心情は、他のメンバーを消去して主人公と2人きりの世界を作ったモニカの心境と重なるところがある気がします。
そして「全てを知る女性」は、モニカと同じ体験をした人がいると仮定して書かれた存在なのかなーと思います。つまりモニカと同じ、「ゲーム世界を認識して目覚めたゲーム内キャラクター」が「全てを知る女性」。あるいは、諦めきれずにあがくモニカが「羽根」に、あがいても希望などないと知って絶望したモニカが「全てを知る女性」にそれぞれ投影されているのかもしれません。
どちらにせよ、「私たちが望むのはいつだって実現し得ないもの」と羽根に対して語りかけているので、「全てを知る女性」はかつてのモニカだったのではないかと思います。彼女の虚ろな語りかけは、通常エンドで提示されるモニカのメッセージと不思議と似通って見えるんですよね。世界すべてに対して絶望しきっている感じが特に。
こちらのページ(制作者様によるコメンタリーの翻訳)に「全てを知る女性」の解説が記載されていました。「知識や全能を探し求めても幸せは得られない」ことをストーリー形式で書いた詩だそうです。
「ハッピーエンド」
ペンを手に取り、自分の力を見出す。
ドキドキ文芸部!
勇気は私にただ一つの愛を授けた。
一緒に、こんな壊滅した世界は断ち切って
私たちのファンタジーを綴って行きましょう。
「ハッピーエンド」は、2周目DDLCの終了直後、つまりモニカが他の3人を消した後の世界で見ることのできる詩です。
手に取った「ペン」とは、彼女が行使する部長権限(スクリプトを書き換える権利)のことでしょうか。プレイヤーへの「ただ一つの愛」だけを胸に、DDLCの世界を崩壊させて2人きりの永遠を作ったモニカからのラブレターといった雰囲気です。
ただ、一途な愛の告白に終始するようにも見えて、この詩にはどことなく刹那的な雰囲気が漂っている気もします。主人公との2人きりの世界を作り上げてみても、それは幸福な幻想(ファンタジー)であって現実には成り得ない……そんな認識が垣間見えるというか。
とはいえ、この詩はこれまでのモニカの詩(すべてプレイヤーについてのサーガ)を踏まえての文字通りの「ハッピーエンド」だそうです。私は以前の記事(「モニカは第四の壁を越えようとしたのか?」)にも書いたように「モニカの哀しみ」に注目しがちなので、彼女の詩への解釈もそれに引きずられてしまうのかもしれません。
番外編:サヨリルートで見られるユリとナツキの詩

Photo by Fezbot2000 on Unsplash
DDLC1周目におけるユリとナツキの宿題3回目の詩は、主人公と親しくなったことを前提に制作されます。よって通常、3回目の宿題提出で見られるのはどちらか一方の詩だけです(ユリと仲良くなるとナツキが、ナツキと仲良くなるとユリが、それぞれ拗ねてしまい詩を見せてくれなくなる)。
ただし、サヨリ寄りにストーリーを進めるとナツキとユリは対立せずに仲良くなります。そして、なんと3回目の宿題提出時に2人で同じテーマを共有して詩を書いてくるのです。
ナツキの詩のタイトルは「あなたの砂浜になる」で、ユリの詩のタイトルは「砂浜」。「海」という共通テーマから2人して「砂浜」にフォーカスした詩を書くのも素敵ですが、何よりその詩の内容が素晴らしかったです。
あなたの心は不安と恐れに満ち満ちて
「あなたの砂浜になる」、ドキドキ文芸部!
この数年で魅力も褪せてしまった
でも今日はとっておきの場所にいこう
わたしとあなたの砂浜へ
上に引用したナツキの「あなたの砂浜になる」は、「あなたが」と同じく4行ごとに段落を分けて綴られた詩です。ただし普段よりもかなり長い詩であり、ナツキの詩に特徴的なリズム感や語感のシンプルさは目立たず、むしろ言葉を多く重ねて砂浜の情景を想起させようとしているのが印象的です。
言葉選びも「エイミーはクモが好き」や「あなたが」よりもグッと大人びて、包み込むような温かい雰囲気に満ちています。最初に読んだときは、こんなに包容力に溢れる詩をナツキが書いたことに驚きました。
浜辺に立つ私の足は泡に濡れて。
「砂浜」、ドキドキ文芸部!
足先が砂に沈んでいく。
心地よい潮の香り。
吹きつける潮風は優しく、力強い。
絡みつく泡をもっと感じたくて、私はどこまでも砂を踏みしめる。
一方ユリの「砂浜」は、ユリらしい仄めかしや暗示を交えつつも、全体としては感覚や体験をそのままに伝える内容になっています。チョイスされる言葉や言い回しも比較的平易であり、一読して文意を把握しやすい詩だと言えます。
最初に「砂浜」を読んだとき、「読みやすい」と真っ先に思いました。これまでのユリの詩には抱いたことのない感想でした。ユリの十八番とも言えるロマンチックな言い回しや比喩的な表現は少ないものの、詩全体に漂う明るく柔らかい雰囲気に大いに惹かれました。
つまるところ、上記の2つの詩は相手の詩作スタイルを取り込んで書かれているわけです。実際に全文を読むと、ナツキの詩がより多くを語るロマンチックなものになり、ユリの詩がよりシンプルかつ率直な情感を伝えるものになっていることがよく分かります。
以前の記事でも書いた通り、ユリとナツキは何度も対立するものの、実はよく似た悩みや信条を抱いています(エイミーの詩とアライグマの詩より)。実は相手の長所を認識していて仲良くなりたいと思っているし、時間をかければ共感し理解し合える2人でもあります。
だからこそ、2人の心理的な歩み寄りと互いへのリスペクトが、「相手のスタイルの特長を取り入れて書かれた2つの詩」という形で表現されることに心底感動しました。
ナツキとユリが自身の文芸にプライドを持っていることを踏まえると、互いのスタイルを見習って詩を書くことはこの上ない親愛表現だと思うんですよね。DDLCの人物描写は本当に粋だし巧みだなーと改めて思った次第です。
4人の詩に関して何より印象的なのは、どの詩からも「そのキャラらしさ」を感じられることです。フォント(原語も邦訳も)や内容、提示順にまで細やかな注意が行き届いていました。
「登場人物が制作した体の詩」って納得行くものを作るのが相当に難しいだろうなと思いますが、読む側としては、キャラの内面にアクセスする糸口を増やしてもらえて嬉しくなります。「キャラが好きで詩を読み込む→もっとそのキャラのことが好きになる」といった好循環が生まれる点を鑑みても、DDLCの詩はどれもハイクオリティでした。
※これまでに書いた『ドキドキ文芸部!』の感想・攻略記事は、以下の通りです。
・『ドキドキ文芸部!』 ギャルゲ×サイコロジカルホラー 感想 レビュー 【Doki Doki Literature Club!/DDLC】
・『ドキドキ文芸部!』 キャラクター感想&考察(ユリ、ナツキ、サヨリ) ※ネタバレ注意 【DDLC】
・モニカは第四の壁を越えようとしたのか? 感想 考察 【ドキドキ文芸部!/DDLC】
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