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【薄明の翼】 なぜ「夜明け前」ではなく「黄昏時」か――主人公ジョンとチャンピオン・ダンデが直面する「人生の薄明」 【第7話感想】

2020/08/17
旅・映画・本・アニメ 0
薄明の翼 アニメ 感想 考察 ポケモン剣盾 Pokemon

『ポケットモンスター ソード・シールド』(ポケモン剣盾)のオリジナルアニメーション作品、「薄明の翼」の感想&考察記事です。第1話と第6話の内容を踏まえつつ、第7話でついに邂逅した主人公ジョンとチャンピオン・ダンデを繋ぐ「人生における薄明の時間」について考えました。

※公式サイト:『ポケットモンスター ソード・シールド』 オリジナルアニメ「薄明の翼」

ポケモン剣盾オリジナルアニメ 薄明の翼 感想 主人公ジョンとチャンピオンダンデを繋ぐ人生の薄明について考える 見出し画像 Photo by Diego PH on Unsplash

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8月7日(金)、ついに「薄明の翼」の最終話に当たる第7話が配信されました。配信後すぐに視聴しましたが、期待をはるかに超える内容に圧倒されました。第1話の切なく儚い雰囲気を継承しつつ、胸躍る高揚感とフェスティバル感、そして晴れやかな未来への展望を盛り込んだ終幕だったと思います。本当に素晴らしかったです。作画も色彩もBGMも演出も、すべてが圧巻でした。

ところで、完結後に今までのエピソードを見返していたら、「薄明の翼」における「薄明の時間」の意味を色々と考えてみたくなりました。

とっかかりは、第7話で明かされた「主人公ジョンがチャンピオンダンデに興味を抱いたきっかけ」です。ダンデの強さやカッコよさに惹かれたんだろうなーと思っていたので、けっこう意外かつ意味深な理由が提示されて驚きました。

最初に結論を書いてしまうと、チャンピオン・ダンデとオリジナル主人公であるジョンは、いくつかの点で似た者同士の変わり者なんだろうと思います。そして、対照的な立場にあって「大スターとそのファン」というごく単純な関係性で結ばれそうな2人を根底で繋いだものこそ、「人生における先の見えない薄明の時間」なのではないか……と感じました。

今回の記事は、前半が感想で後半が考察です。まずはオリジナル主人公のジョンに注目し、彼が関わる第1話&第6話&第7話の内容を振り返ります。次に、「薄明の翼」における「薄明」の持つ意味を確認します。最後に、ジョンとダンデそれぞれにとっての「人生における薄明の時間」について考えたいと思います。

感想長め&主観マシマシです。考察と銘打ったものの思いつきに近い内容なので、気軽に読んでいただけると嬉しいです。以下にはネタバレが含まれるので、アニメおよび原作のストーリーを未見の方はご注意ください。

オリジナル主人公ジョンに焦点を当てて「薄明の翼」を振り返る

薄明 植物 Photo by Shalom Mwenesi on Unsplash

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まずはおさらいも兼ねて、オリジナル主人公であるジョンを軸に「薄明の翼」シリーズを振り返りたいと思います。

「薄明の翼」はオムニバス形式を採用した全7話の物語です。このうち「主人公ジョンの物語」(=薄明の翼のメインストーリー)が深く描かれているのは、第1話と第6話と第7話の計3つのエピソードだと私は思います。第1話で入院生活を送るジョンの現況と夢を、第6話でジョンの夢の実現を応援する友人トミーを描写し、第7話でジョンが夢を叶えてさらにその先を展望する様を描く……という流れですね。

第2話~第5話は、ジョン少年とほぼ接点のない別の主人公たち(サイトウ、ホップ、ルリナ、オリーヴ)の物語です。もちろん、第1話でジョンが贈った手紙はこの4話を通じてローズの手に再び渡ります(その結果、ジョンが試合観戦に招待される運びとなる)。ただ、「主人公ジョンの物語」という観点から見ると、やはり注目すべきは第1話&第6話&第7話だろうと思います。というわけで、この3つのエピソードから主人公ジョンの物語を振り返ります。

ちなみに監督の山下さんは、インタビューでオリジナルキャラクターであるジョンとトミーの描き方について質問を受けた際、「(ジョンとトミーの関係性・性格等に関して)仕掛けとして、1話に対してのアンサーが6話であったりとか、あるいは7話で6話に対してのアンサーがあったりみたいなことは、結構あります」と言及されています。

第1話「手紙」と主人公ジョンの現状

第1話の主人公は、「ジョン」という名の少年です。公式サイトの「ストーリー」によれば、ジョンは幼い頃から入院生活を送っています。階段を走って上がる際によろめいて膝をつき荒い呼吸をするなど、その健康状態はけして良いとは言えない様子。同じく入院している同室の「トミー」とは仲の良い友達同士です。

制約の多い生活を送るジョンには、心の支えと言ってもいい憧れの人がいます。それは、ガラル地方のチャンピオン・ダンデ。各種ダンデグッズを収集して病室に飾り、ダンデの試合がテレビ中継されればかぶりつきで応援するほどの大ファンであるジョンは、「いつかダンデの試合をスタジアムで観戦したい」という切なる願いを抱いています。

第1話では、ジョンとトミーのいる病院にリーグ委員長であるローズが慰問に訪れます。これをチャンスととらえたジョンは急いで「ダンデの試合に招待してほしい」と似顔絵付きで手紙をしたため、紆余曲折を経てローズにその手紙を手渡すことに成功します。

このエピソードで注目したいのは、第一にジョンが生活している病院の空気感です。カラーリングの効果もあって、病院内部はジョンの部屋から廊下まで静謐かつ生気の薄い空間として描かれています。

加えて、基本的にジョン&トミーの顔に影がかかる描写からもわかるように、病院内部は「独特の暗さ」で満たされています。この暗さは第1話終盤に屋上に出た時の「外界の明るさ」を引き立てるものでもあり、後述するように、ジョンとトミーの明るいとは言えない現状を示唆するものでもあるのだと思います(後述:「主人公ジョンにとっての人生の薄明」)。

第二の注目ポイントは、主人公ジョンのひととなりです。印象的なのは、「直接頼めばいい」と言うトミーに「手紙の方がいい」と答えて黙々と手を動かすシーンでしょうか。手紙にこだわった根拠が特に提示されなかったこともあり、悪く言えば頑固、よく言えば自分が「これだ」と思ったことに対してまっすぐな子なんだなーと感じました。

あわや面会の機会を逃しかけたことを思えば手紙戦法は結果オーライですが、手紙という形に残るメッセージを渡したからこそ最終的に願いが通じたのも確かなので、自分の選択を貫いたジョンは間違っていなかったのでしょう。

第三に、ジョンに対するアーマーガァの態度も見逃せないポイントだと言えます。「俺以外に懐かないやつ」と運転手に明言されている(実際近寄ったローズを威嚇する)アーマーガァですが、ジョンに対しては最初から好意的であり、その体に触れることさえ許しています。

実はもう1人だけ、同じアーマーガァが初対面にもかかわらず懐く人物がいて、それが第7話におけるダンデなんですよね。直後にローズはジョンにダンデを重ねて微笑むわけですが、「薄明の翼」を象徴するポケモンであるアーマーガァを通じてジョンとダンデの共通点が描かれているのは、ストーリー上重要なポイントだと思います。

第6話「月夜」と薄明の終わり

続いて、第6話の「月夜」を振り返ります。第6話の主人公は、第1話に登場したジョンの友人・トミーです。

ジョンと喧嘩した直後に退院することになったトミーは、謝罪を兼ねてダンデの試合のチケットを贈ろうと考え、ジムリーダーのオニオンを頼って墓場を訪ねます。結局オニオンの提案に従って深夜の病院を訪ねたトミーは、ジョンに謝罪し「一緒に最強のポケモントレーナーになろう」と伝えることができた……という、めでたしめでたしのお話です。

この第6話は配信当時、トミーの描写をめぐって視聴者の間で様々な憶測を呼びました。ただ、その点にはあえて触れず、ここでは第1話と響き合うエピソードとしての第6話に注目したいと思います。

第6話では、ローズ委員長の慰問から少なくとも数日は経った頃に発生した、ジョンとトミーの口喧嘩を見ることができます。この回想は、ジョンとトミーの現状と心情を理解する上で非常に重要なシーンです。

回想冒頭で、ジョンは「いつかポケモントレーナーになって旅ができたら」と淡い夢を口にします。もともとダンデの試合を観戦することが夢だったジョンですが、「いいポケモントレーナーになれる」とローズに褒められたこともあり、そのさらに先を夢見るようになったのでしょう。

しかし、それまでジョンに何くれとなく世話を焼いていたはずのトミーは、このときは「ポケモントレーナー? そんなん、なれるわけないだろ」と投げやりにジョンを突き放します。ムッとした様子のジョンが「じゃあトミーは何かやりたいことあるの?」と問い返しても、トミーは何も答えずに、「おれら、この病院からだっていつ出れるかわかんないんだぞ」、「叶わない夢なんか見るなよな」と鬱屈した様子で言い放ちます。

回想終わりのジョンがトミーの様子に戸惑っていること、トミー本人が深く後悔していることを見ても、このときのトミーはいつもとは違う精神状態にあったようです。だからこそ、この回想シーンではトミーとジョンの抱える薄暗い現実が浮き彫りにされているとも言えます。

注目すべきは、「この病院からいつ出られるかわからない」という発言です。公式で明言されているのはジョンのみですが、インテリアの充実した病室を見ても、ジョンとトミーは短い人生のうち相当長い時間を病院で過ごしているのだと推測できます。

そしてさらに重要なのは、2人がその病院生活に終わりを見出せていないという事実です。後述しますが、ジョンとトミーはまさに人生における薄明の時間、すなわち「未来がぼんやりとしていて見通せない黄昏時の状態」に置かれているのです(後述:「主人公ジョンにとっての人生の薄明」)。シリアスな回想の間中、病室が落日によって赤く暗く照らされていることも、その証拠の1つだと言ってもいいと思います。

ただし、第6話の後半では、その黄昏時の回想の「文字通りの続き」も描かれています。月も高く昇った夜更けに、トミーがジョンの病室に現れるシーンですね。ここでトミーはジョンが長い病から解放されつつあることを確認し、「きっとジョンはいいポケモントレーナーになれる」、「(ジョンが)退院したらまた俺がサポートしてやるから」と友人の未来を心から祝福しつつ、自身の展望を語ります。

薄明の時間は過ぎ去って明るい月夜が訪れ、トミーとジョンはようやく自分たちの未来を目視することができたわけです。そして第6話の終盤では、感謝も兼ねてオニオンと握手を交わすトミーの後ろで、夜明けを目前にした空がほんのりと白みかけています。

全7つのエピソード中、夜という時間帯に絞って主人公が活動するのはこの第6話だけです。第6話が最終回手前のエピソードであること、エピソード内でジョンとトミーが未来を見つめたことを鑑みるに、第6話は夜明けとしての第7話を待つ「夜明け前の物語」なのだろうと思います。

第7話「空」と始まりの日

そしてラストエピソードの第7話ですが、主人公は第1話ぶりにジョンに戻ります。ローズからスタジアム戦に招待されたジョンは、試合当日寝坊してしまいます。急いでそらとぶタクシーに乗り込んだ彼ですが、その途上で遭遇したのはなんと道に迷ったチャンピオン・ダンデでした。

運転手の厚意によりアーマーガァに乗って薄明の空を飛ぶことになったジョンとダンデ。無事にスタジアムについたジョンは、ダンデの試合を観戦するという夢を叶え、そしてポケモントレーナーになるという新たな夢を抱くに至ります。

最終回なだけあって、第7話は伏線回収や細やかな仕掛けが散りばめられたエピソードでした。そして、主人公ジョンを軸に置いて観るなら、「ジョンとチャンピオン・ダンデの双方向性の交流が実現した」と総括できるのではないかと思います。

ここで「双方向性の」と書くのは、第7話でようやく対面したジョンとダンデの関係が、「大スターとそのファン」という一方向的なものに終始しなかったからです。
もちろん、最初こそジョンはテレビ越しにチャンピオン・ダンデに憧れるファンの少年でしかありませんでした。しかし2人で薄明の空を飛び、スタジアム到着後に言葉を交わした短い時間によって、2人の関係はより発展的なものに落ち着いたと言えるのではないかと思います。

まず、タクシーでスタジアムに向かう途中のジョンが偶然ダンデと遭遇し、2人でアーマーガァの背に乗って飛ぶシーンを振り返ります。この一連のシーンで注目すべきなのは、主人公ジョンとチャンピオン・ダンデがある種の「似た者同士」であることが一貫して描写されていた点だと思います。

第一に象徴的なのは、運転手以外に懐かないと明言されているアーマーガァの態度です。人が近寄っただけで威嚇するようなアーマーガァですが、第1話ではふらついたジョンを支えて体に触れることを許すなど、ジョンには例外的に懐いていることがわかります。そして第7話でも、目を輝かせて近寄ってきた初対面のダンデに対し、アーマーガァは嬉しそうに目を細めて体を撫でさせているのです。

つまり、ジョンとダンデはポケモンが大好き&ポケモンに好かれる点で共通しているわけです。ローズ委員長がジョンにダンデの姿を重ねたことと、「ポケモンに好かれるのはいいトレーナーになれる証拠」と断言したことが、ここで実際の描写として生きていると言えます。

第二に、アーマーガァの粋な計らいによって2人が夕暮れ時の空を飛ぶシーンにも見るべきポイントがあります。具体的には、アーマーガァに本気の飛翔を促すダンデと、迫力満点の飛行体験に歓喜の笑いを零すジョンの描写です。

ちょっと無粋なことを言いますが、この場面で「俺達を気にせず本気を出してくれ」(意訳)と催促するダンデはなかなかにクレイジーだと思います。というのも、同乗者のジョンが日焼けしていない肌にパジャマを着てカーディガンを羽織っただけという、いかにも今さっき病院から抜け出してきたような風貌の少年だからです。「無理させると悪いし危ないからやめておこうかな」と普通なら判断しそうな見た目ではないでしょうか。

しかしダンデは、ジョンに遠慮するのではなく、むしろキラキラした目でアーマーガァに「お前ならもっと早く飛べるだろ」と呼びかけるんですよね(たぶん万が一のことがあっても手持ちのポケモンで対処できる自信があったのだと思います)。ここは原作ダンデというより、薄明ダンデの「らしさ」がよく表れたシーンです。

ただ、ここでダンデも少し驚いたように、ジョンはアーマーガァの本気の飛びっぷりを怖がるどころか楽しそうに笑い出します。並みの人間なら生きた心地がしないだろう体験をしながら「全然(怖くない)」と答えるジョンに、ダンデは「俺もだ」と笑顔で同意し、2人はそのまま薄明の空を飛び続けます。

この場面のキーワードは、「お前変わってるな!」というダンデのコメントだと思います。そう、ジョンは「変わっている」のです。頑丈な籠の中ではなくアーマーガァの背に乗り、雲を突っ切るほどのスピードで空の高みを飛行しているのに、まったく恐怖を感じていない(むしろポケモンと一緒に冒険できてワクワクしている)わけですから。

そしてその「変わっている」は、そっくりそのままダンデにも当てはまる形容です。ダンデはここでジョンが自分と似た少年であることに気づき、おそらく親近感を抱いたのではないでしょうか。ポケモンと冒険が大好きなダンデとジョンは似ている(それもある種の変わり者同士である)、それがこの飛行シーン全体に込められたメッセージだと私は思います。

最後に、最も重要なスタジアム到着後のシーンを振り返ります。このシーンの注目ポイントは、ダンデがジョンをファンの少年ではなく一人のポケモントレーナー(予定)として扱っている点です。

まずダンデは、スタジアムと大観客に圧倒され気後れするジョンに、「観るだけで夢は叶ったのか?」、「君もポケモントレーナー目指してるんだろ?」と問いかけます。たった数時間前に知り合ったにしては的確にジョンの核心を突くわけですが、これは飛行体験を通じ、ダンデがジョンに自分と似たものを感じ取ったからこその質問なのだと思います。

つまり、「他人の試合を観るだけで満足なのか?(俺だったら満足できない)」、「ポケモンと一緒に冒険したくないのか?(俺だったら冒険したいと思う)」……という、相手にシンパシーを感じているからこその問いかけなのではないか、と。

問いかけを受けて、ジョンはおずおずと手を伸ばしてダンデの背中に近づきます。このシーンで非常に巧いのは、第7話冒頭とあわせて、「ジョンが夢の実現を少しずつ現実として認識する」過程を印象的に描き出していることです。

第7話冒頭でジョンは夢を見ます。病院の暗い廊下にダンデが立っていて、その背中に手を伸ばして近づく夢です。結局手は届かずにジョンは目覚めます(この「手を伸ばすも届かない」描写は、第1話冒頭、ジョンがテレビ画面に映るダンデに近づくシーンの繰り返しでもあります)。

ジョンはスタジアムで闘うダンデの姿をテレビで何度となく見ているし、自分がこれからダンデの試合を観戦しに行くのだとわかっているはずです。にもかかわらず、自分が暗い病院の廊下にいて、同じく病院の中にいるダンデを夢に見ています。これはジョンが病院という狭い世界しかまだ知らず、「ダンデの試合をスタジアムで観戦する」という夢の実現が迫っていることを実感できていない(もっと言えば、自分の未来をうまく思い描けていない)ことの表れなのではないかと思います。

第7話の後半では、その「夢」がもう一度、しかし確かな現実として繰り返されます。ライトの届かない暗がり(暗い空間は病院の象徴でもある)にいたジョンはそこから抜け出し、ダンデの背中に手を伸ばして近づきます。

その先で何が起こるのか、数時間前までのジョンは夢にも思い描くことができませんでした。しかし、これはもう現実です。伸ばしたジョンの手は、振り向いたダンデの手によってしっかりとつかまれることになります。

このシーンにおけるダンデの行動と発言(振り向く、伸びてきた手をつかむ、目の高さを合わせる、「次会う時は~」)は、「薄明の翼」の紛れもないハイライトだと個人的には思います。

近づいてくるジョンに振り向いて対峙したこと、自らも手を伸ばしたこと、見下ろすのではなく目線を同じくしたこと……これら一連の動作が「次会う時はバトルしよう」という、ファンの少年ではなく未来のポケモントレーナーに向けた熱いメッセージに収束します。チャンピオン・ダンデから不敵な笑みとこの約束を引き出した時点で、ジョンのダンデへの思いは一方通行的なものではなくなったと言えます。

また、特筆すべきは「おれは誰が相手でも容赦しないぜ」というダンデの一言です。チャンピオンとして、またダンデ個人としての信条がよく表れた言葉ですが、これは同時にジョンの心にクリティカルヒットする得難いメッセージだったのではないかと思います。

というのも、第6話の回想シーンには、自分に靴を投げつけようとしてやめたトミーにジョンが「手加減しないでよ」と声を震わせて叫ぶ一幕がありました。ジョンは幼い頃から入院生活を送っています。ダンデグッズに囲まれた病室や看護師さんの呼びかけを見ても、周囲の大人たちは常にジョンの身を案じ、彼に配慮して優しく接していたのでしょう。同年代の友人であり立場を同じくするトミーでさえ、危なっかしいジョンには兄貴分として世話を焼き、何かと気遣っていたらしいことがうかがえます。

ただし、この周囲からの優しさや気遣いは、ジョンにとって「手加減されている」と感じられるものでもあったのかもしれません。常に気に掛けてあげなければならない相手として見られている、つまり、誰も自分を対等の相手としては見てくれない。そんな現状への苛立ちが、ジョンの必死の訴えには滲んでいたように感じました。

しかし実は、ダンデだけは最初から最後までジョンに対して一切手加減をしていないんですよね。速そうなアーマーガァだと感じればジョンが同乗していても「本気を出していいぞ」と促すし、まだポケモントレーナーになっていないジョンに対しても「俺は誰が相手でも容赦しない」と真正面から宣言します。つまりダンデはジョンにとって、気遣いも遠慮もなく真剣に、かつ対等な立場で接してくれた稀有な人であったわけです。

握手の直後にリザードンポーズを決めて大観客を沸かせるダンデを見つめながら、ジョンは胸を押さえて涙をこぼし、じっと目を閉じます。しかしすぐに涙をぬぐうと、凛々しく明るい笑みを浮かべて試合を観戦し始めます。試合終盤、白熱するフィールド上で堂々と戦うダンデの姿を目の当たりにしたとき、ジョンの脳裏に広がったのは晴れやかな青空のイメージでした。

ジョンが涙を流したのは、「ダンデの試合を観戦する」という夢の実現を実感したからだと思います。そして、その余韻に浸るのもそこそこに涙を拭いてダンデの試合を見始めたのは、彼が「ポケモントレーナーになる」という新たな夢に向き合うに至ったからではないでしょうか。つまり、この瞬間こそがジョンにとっての「夜明け」だったのではないかと思います。

ジョンの表情から弱々しさが抜け落ち大人びる、背後のスクリーンが青から黄色に切り替わる、直後にダンデの雄姿と笑み(それもおそらく心からの笑み)を見て「青空」(=苦悩と葛藤の解決)を思い浮かべる……など、このシーンにおけるジョンの心情の変化を示す演出は実に細やかでした。

自分の未来をうまく思い描けず閉じこもるほかなかった少年が、一つの夢の実現を通してさらに大きな夢を抱き、未来へと一歩踏み出す……主人公ジョンに軸を置いたとき、「薄明の翼」のストーリーはそういう風に説明できるのではないかと思います。
そしてジョンの眼を通して、人々に希望と心の支えを与えるヒーローであり、ストイックな勝負師であり、根っからのポケモン好きであるダンデのキャラクター性もまた、魅力的に描き出されていた印象です。

インタビュー記事によれば、脚本家の木下さんは「薄明の翼」の脚本を書くにあたって、いくつかのショートストーリーを考えたとおっしゃっています。その中でも最初に思いついた物語は、「ネット上で何百匹ものポケモンを管理し豊富な知識を持っている引きこもりの少年が、『現実世界ではどんなポケモンを育てているのか』と質問され、モンスターボールを片手に勇気を振り絞って初めてポケモンを捕まえに行く」……というものだったそうです。

「この引きこもりの少年の、何かしらが「薄明の翼」のジョンにも受け継がれているかもしれない」とも木下さんは述懐されています。個人的には、ジョンの造形&ストーリーの土台として大いに納得できる裏話でした。

「薄明の翼("Twilight Wing")」における「薄明」の意味

夜明け空 薄明 Photo by Thomas Charters on Unsplash

Photo by Thomas Charters on Unsplash

前置きがずいぶんと長くなりました。ここからは記事タイトル通り、なぜ「薄明の翼」における薄明は実質的に「黄昏時」だったのかということを考えていきます。

「薄明の翼」シリーズを視聴する中で、漠然と疑問を抱いたことがあります。それは、ストーリーにおける「薄明」の意味です。具体的には、「薄明の翼」の物語を支配する時間帯として、どうして「夜明け前」ではなく「黄昏時」が選ばれたのだろう……ということが気になりました。

まずは「薄明」(英語では"twilight")という言葉の意味を確認しましょう。「薄明」は「空がうすぼんやりと明るい状態」を意味しますが、その具体的な時間帯は「日の出前」と「日の入り後」の2通りです。夜が明ける直前、あるいは日没直後の微妙な明るさの空を表現する際に、「薄明」という言葉を用いるわけですね。

実は、最初に「薄明」というワードを聞いたとき、私は「夜明け前」の方を連想しました。単に自分の中のイメージの問題でもありますが、それ以上に、「薄明の翼」がポケモン剣盾以前(=主人公が登場していない時点)のエピソードを扱うらしいと聞いたせいでもあります。つまり、ポケモン剣盾の開始を「夜明け」とし、それ以前の物語を「夜明け前」(=薄明)の出来事として扱うのかな、と単純に思ったわけです。

ここで制作陣へのインタビュー記事を確認すると、「薄明の翼」というタイトルに込められたメッセージについて、脚本家の木下さんが以下のように説明されています。

ジョンをはじめとする各話の登場キャラクターたちが、何かを決意したり、問題を解決したり、何かに気付いたり、勇気を出して行動する様子を「空」の「夜明け」に重ねてタイトルにできたらしっくり来るかと。みんな生きていたら何かしらの問題を抱えていて、怖いほどの暗い夜が続く時もあります。そんな夜がうっすらと明けてゆき、やがて目の覚める真っ青な広い空が現れ、その空を自分の翼で飛んでゆけたら気持ちいいだろうな。などがタイトルに込められていたり、いなかったり。

脚本家の木下爽さんに聞く!WEBアニメ「薄明の翼」がもっと面白くなる制作陣インタビュー!

木下さんによれば、「薄明の翼」は、苦悩と葛藤の時間を「暗い夜」になぞらえ、それらが解決することを「夜明け」に見立てたタイトルだそうです。実際、「薄明=夜明け」というイメージはストーリーにおいても意識されているのだろうと思います(例:第7話でジョンの脳裏に広がった青空)。

しかし、実際のストーリーを見てみると、「薄明の翼」でフィーチャーされている時間帯は「夜明け前」ではなくむしろ「黄昏時」です。

第1話でジョンが屋上に駆け上がりローズと対面した時間帯、第3話でホップがウールーと再会した時間帯、第4話でルリナがミロカロスの背に乗って泳いだ時間帯、そして第7話でジョンがダンデに出会い2人で空を飛んだ時間帯……すべて太陽が沈む前後の出来事です。夜明け前ではなく黄昏時にこそ、各エピソードを象徴づけるような重大イベントが発生しています(あと、公式サイトに掲載されているコンセプトアートの時間帯もおそらく黄昏時だと思います)。

一方、トミー主人公の第6話でのみ、明確に「夜明け前」の出来事が描かれています。深夜の病棟でジョンと話した後、少し白んだ空を背景にトミーがオニオンと握手を交わす場面ですね(第2話終盤もシチュエーション自体は夜明けに例えていいかもしれませんが、太陽が空高くにあるので少なくとも早朝ではありません)。

そもそも夜明け前は日没直後に比べて活動する人の少ない時間帯です。「ガラル地方に生きる若者をリアルに描く」という命題上、夜明け前ではなく黄昏時に焦点が当たるのは必然だったと言えるのかもしれません(そう考える場合、トミー主人公の第6話が深夜~夜明け前という突飛な時間帯に展開されるのは実に示唆的だと言えます。これに関しては、書けたら別の記事で改めて触れます)。

≪関連記事:【薄明の翼】 「トミー死亡説」とジョンが得た2枚の翼――あの日、一歩踏み出した「僕ら」とは? 感想&考察 その2

ただ、「薄明の翼」において夜明け前ではなく黄昏時がピックアップされたことには、単に作劇上の都合に留まらない物語的な意味があるのではないかと個人的には感じました。

ここで、今度は「黄昏」の意味を確認してみましょう。黄昏は「夕暮れ」、あるいは「夕方の薄暗い頃」を指す言葉であり、その由来は「誰そ彼(たれそかれ)」であると一般に言われています。先を歩く人の顔がよく見えないような薄暗い夕方に、「誰ですか、あなたは?」と他者に尋ねたことから、その時間帯を「たそかれ(→たそがれ)」と呼ぶようになった、と。

つまり黄昏という言葉には、「はっきりと物が見えない、薄暗くぼんやりとした状態」というイメージが内包されていると言えます。

また、黄昏は「勢いが衰えること」や「盛りを過ぎること」の比喩としても使われます。たとえば、かつて権勢をふるった国の力が弱まることを指して「××帝国の黄昏」などと表現することがありますよね。つまり黄昏は「夕暮れ」の一表現であるとともに、「夜の前」、すなわち「ネガティヴな状態に陥りつつある状況」というイメージも持っていることになります。

「はっきりと物が見えないような薄暗い状態」、そして「ネガティヴな状態に陥りつつある状況」。このような黄昏の意味・イメージを加味すると、「薄明の翼」における薄明(=黄昏時)は、登場人物たちが直面する「未来がぼんやりとしていて見通せない状態」や、「現状にかげりを感じていること」を暗示しているのではないかと思います。

かつ、そのような不安定な状況に置かれているキャラクターこそ、第7話でフィーチャーされた主人公のジョンおよびチャンピオン・ダンデの2人なのではないか……とも感じました。次の項目で、そのように感じた理由を書いていきます。

「人生における薄明の時間」に直面するジョンとダンデ

薄明=黄昏時=「未来がぼんやりとしていて見通せない状態」or「現状にかげりを感じていること」という前提を立てたところで、主人公ジョンとチャンピオン・ダンデを繋ぐ「人生における薄明の時間」について考えていきたいと思います。

上で述べた通り、ジョン少年とダンデはまったく異なる立場にありながら、ポケモンへの興味・愛着や冒険を好む精神性において似通った2人として描かれています。ジョンが伸ばした手をダンデがつかむという双方向の交流が実現したこと、つまり2人の関係が単なる「スーパースターとそのファン」に終始しなかったのは、短い交流の中で2人が互いにシンパシーを抱いたことも理由として大きいだろうと思います。

この項目ではそこから一歩進めて、ジョンとダンデのさらなる共通点の可能性に注目します。すなわち、ジョンとダンデの2人は、自分の将来・目標をはっきりと見通せない「薄明の時間」の真っただ中にあるのではないか……という予想です。

以下、ジョンとダンデの【現状=人生における薄明】について、アニメでの描写をもとに考えたいと思います。先にことわっておくと、あくまで「オリジナルアニメにおけるダンデ」についての話です。「薄明の翼」のダンデは原作のダンデとは異なる描かれ方をしている印象があるので、あくまで薄明ダンデに的を絞って考えていきます。

主人公ジョンにとっての人生の薄明

病院 ベッド 主人公ジョンにとっての薄明の時間 Photo by Daan Stevens on Unsplash

Photo by Daan Stevens on Unsplash

まず、主人公ジョン(と似た立場の友人トミー)が直面する人生の薄明について考えます。これに関しては第1話と第6話で詳しく描かれているほか、監督の山下さんもインタビュー内である程度言及されている部分です。最初に、山下さんのコメントを引用させていただきます。

病気でポケモンバトルに参加することも出来なければ、将来もあまり上手くイメージ出来ないジョンとトミーというキャラクターの状況が、3話の存在によって引き立ってくるというのが、自分の狙いでした。それぞれが持っている性格・見え方や価値観みたいなものを、絵作りやカット割りで象徴出来るような形にしようと。ホップは兄がチャンピオンということもあって、それはそれで見方によってはつらい生い立ちではありますが、当然のように自分はトレーナーになって兄の背中を追っていくという前提を、たぶん疑わない。1話と同じテレビを観ているシーンであっても、BGMの明るさや色合い、陽光が自然と差していて全体的に室内が明るい様子が、3話の冒頭では描かれている。その対比みたいなものは、1話と3話で意識して作っています。

監督の山下さん・助監督の渡辺さんに聞く!WEBアニメ「薄明の翼」がもっと面白くなる制作陣インタビュー!

山下さんは、第3話で兄ダンデの試合を観るホップの描写は、第1話におけるジョン&トミーのテレビ観戦の対比であるとおっしゃっています。第3話を見返すと、たしかにホップがテレビを観ているシーンでは、「BGMの明るさや色合い、陽光が自然と差していて全体的に室内が明るい」のです。

一方、第1話のジョン&トミーはどうかと言えば、その逆です。象徴的なのはやはり「明るさ」で、ジョンとトミーのいる病室にはあまり自然光が差さず、部屋全体と2人の顔には影がかかっています。「色彩」もまた対照的であり、カラフルなホップの部屋とは異なり、ジョンとトミーの病室は彩度が抑えめで全体に青っぽいシェイドがかかっているように見えます(この光と色彩による「独特の暗さ」は、屋上を除く病院内のすべてのシーンにつきまといます)。

ホップはホップでのちにつらい経験をするわけですが、少なくともこの時点では、「自分は兄のように強いポケモントレーナーになるのだ」と信じて疑っていません。ホップの眼の前には「道」が伸びているし、そこに希望を抱いてもいます。

しかしジョンとトミーは違います。幼い頃から入院生活を送っている2人は、現状(病院生活)とは異なる未来をうまく思い描くことができません。もしかすると、将来を思い描こうとすること自体ジョンとトミーにとっては難しいことなのかもしれません。なぜなら2人は行動を制限されるような重い病を抱えていて、病院以外の場所をよく知らず、かつ病を克服して病院を出て行けるかどうかさえハッキリとはわからないからです。

先ほど、薄明は夜明け前と黄昏時の二択であることを確認しました。ただ、ジョンとトミーにとって薄明とは常に黄昏時だったのではないかと思います。

夜明け前の薄明の時間であれば、いずれ夜が明けて日が昇ることを想像できます。しかし、ジョンとトミーは夜明け(=病院生活の終わり)を見通せない状況にありました。だから2人は幼くして黄昏時、すなわち一生明けないかもしれない夜へと続いている、不安で曖昧な「薄明の時間」に直面しているのではないか……特に第6話の回想シーンを観ていると、そう思わざるを得ませんでした。

そして、上のように考えるからこそ、トミーとジョンの和解が描かれる第6話が「夜明け“前”の物語」であることは非常に象徴的だと感じました。

第6話は第7話と同じく、ストーリーの展開に合わせて時間帯が移ろうエピソードです。まず起点となる回想シーン、ジョンとトミーの喧嘩は夕暮れ時に起こっています。衝突の原因は、未来に淡い希望を抱き始めたジョンに対し、トミーが自分たちにはおよそ未来などないと冷たく突きつけたこと。「将来の夢」は病身の2人にとってセンシティブかつクリティカルな問題であったため、ただちに仲直りはできず、トミーはその間に「退院」してしまいます。

次に第6話冒頭、夜中にトミーは動き出します。オニオンに試合チケットをねだるなど紆余曲折の末に、トミーは直接ジョンに会うべく病室に忍び込みます(この時点で月は高く昇っている)。ジョンに謝った後、トミーはジョンの未来を肯定し、自分の未来についても明るい展望を述べます

無事に仲直りできた後、ジョンは安堵の表情で眠りにつきます。トミーは手助けしてくれたオニオンと握手を交わし、2人の背後で夜空は夜明けを前にして徐々に明るくなっていきます。

簡単に言えば、第6話は仲良しの2人が喧嘩をし、色々あって和解が成立するまでを描いたエピソードです。かつ、その過程は「夕方~夜~夜明け前」という時間の移ろいとともに描かれています。

人生の薄明に直面していたジョンとトミーは将来の夢をめぐって深刻な喧嘩をするものの、月の光が差し込む病室で仲直りし、未来への活路を見出すことができました。だからこそ、第6話のラストでは「夜明け前の空」が象徴的に描かれているのだと思います。

その後、ジョンは第7話で「ダンデの試合をスタジアムで観戦する」という夢を叶え、同時にトミーと約束した新しい夢の実現へと一歩踏み出します(第7話におけるジョンの変化については「第7話「空」と始まりの日」ですでに書いたので割愛します)。

第1話で薄明のただ中にあったジョンは、第6話で夜明けへの心構えをし、第7話で完全に薄明の時間から抜け出して人生の夜明けを迎えたわけです。ストーリーの展開を時間帯の変化と連動させる、非常にきれいな構成だと思います。

トミーにまつわる疑惑と関係する話ですが、主人公ジョンは第6話で身体的に、第7話では精神的に、薄明の時間から抜け出すことができたんじゃないかなーと個人的には思っています。病気を克服し退院の用意が整った後、外の世界へと思い切って飛び出す心の準備もできた。後者に関してジョンを導いたのは憧れの人であるダンデです。そして前者についてジョンを助けたのは、諸々気になる描写のある親友のトミーなのではないか……と思います。

関連記事:【薄明の翼】 「トミー死亡説」とジョンが得た2枚の翼――あの日、一歩踏み出した「僕ら」とは? 感想&考察 その2

チャンピオン・ダンデにとっての人生の薄明

黄昏 独り チャンピオンダンデにとっての薄明の時間 Photo by Jad Limcaco on Unsplash

Photo by Jad Limcaco on Unsplash

続いて、チャンピオン・ダンデが直面する人生の薄明について考えます。「先が見えない状況にあるってあのダンデが?」と思われるかもしれません。これに関しては主観と直感が大いに先行することと、原作ダンデではなくあくまで薄明ダンデについての話であることを最初に述べておきます。

ガラルのヒーローであるダンデもまた、ジョンと同じく薄明の状態にあるのではないか。そう感じたのは第7話において、ジョンがダンデに興味を抱いたきっかけが描写されたからです。

もともとダンデのファンだったのはトミーであり、ジョンはダンデに特段の興味を抱いていなかったようです。しかし、特集番組でにこやかにインタビューに応じるダンデを目にしたジョンは、本を読むのもやめて食い入るようにテレビ画面を見つめ始めます。「この人笑ってないよね」とつぶやきながら。

第7話までの描写から、「ジョンはダンデのポケモントレーナーとして強さやカッコよさに惹かれてファンになったんだろうな」と私は思っていました。しかし蓋を開けてみれば、ジョンは「強くてカッコイイ無敵のダンデ」に興味を抱いたわけではありませんでした。彼がチャンピオンとして対外的に見せる表情、もっと言えば「笑っているのに笑っていないこと」に気づいて、ダンデという存在を強く意識し始めたのです。

ジョンがダンデを意識した経緯が明かされて、個人的には驚き半分納得半分でした。というのも、第1話でジョンが描いた似顔絵がずっと引っかかっていたからです。ジョンが一生懸命描いた憧れのチャンピオン・ダンデは、よく見るとまったく笑っていないんですよね。

実際、第6話のラストで似顔絵を見たダンデは、「おれ、こんな顔してますか?」と苦笑しながらローズに問いかけています。公の場ではチャンピオンのイメージを意識してふるまっている自負があるからこそ、ファンの少年が描いた自分が笑っていないことが意外であり、困ったなあと感じていたのかもしれません。

ダンデ当人が戸惑っているので、「実は笑っていないダンデ」はジョンの勘違いなのかもしれないと一瞬思いました。ただ、締めの第7話でわざわざその指摘が入ったこと、その後のダンデ登場シーンで笑顔が区別して描かれている(初対面の運転手たちには困ったように微笑む→アーマーガァに気づくとパッと顔が明るくなる)ことを観ても、ジョンの直感はおそらく正しいのだろうと考え直しました。

では、「実は笑っていないダンデ」が意味するところは何なのか。結論から書くと、「意識してはいないものの、ダンデの中にチャンピオンであり続けることに対する迷いが生じている。そして、ジョンはダンデの迷いのムードを目ざとく見抜いてシンパシーを抱き、興味を持つに至ったのではないか」……と感じました。

「笑っていないダンデ」について考えるにあたってヒントになったのは、第7話におけるソニアとポプラの発言です。

まずソニアですが、スタジアム戦の開始直前に「ダンデ君、楽しそうじゃん」と笑顔でつぶやいています。この発言を聞いたとき、私はジョンの「この人笑ってないよね」をパッと思い出しました。具体的には、「楽しそうじゃん」は「笑ってないよね」を補完するセリフだったのではないかと感じました。

つまり、強敵との試合に臨むとき、あるいはポケモンと触れ合い胸躍る冒険をするとき、ダンデは心から楽しんで笑っている。しかし、チャンピオン・ダンデとして対外的にふるまう際には心から笑っていないことがあるという示唆なのではないか、と(後者は親しい人間や観察眼の鋭い人間、あとダンデと似た精神状態にある人間にしかわからない部分なんだろうと思います)。

次にポプラですが、ダンデについて問われた際、彼女は「時々、勝ちたいのか負けたいのかわからない顔をする」とコメントしています*。

ポプラはジムチャレンジ時代のダンデを知る最年長ジムリーダーであり、人生経験も人を見る目も相当のものだと示されている人物です。そんなポプラの口を借りてのコメントである以上、薄明ダンデは実際に(たぶん周囲には気づかれない程度に)勝ちたいのか負けたいのかわからない顔をしている瞬間があるのでしょう。

では、「勝ちたいのか負けたいのかわからない」とはどういう意味なのでしょうか。ダンデはチャンピオンであり、チャンピオンの最大の仕事は試合に勝つことです。たとえエキシビジョンマッチであっても敗北すればその評価は落ちるでしょうし、公式試合で負ければチャンピオンの座を失うこともあり得ます。

ダンデは10歳の頃から推定10年以上チャンピオンとして勝ち続けている人物です。それこそ第1話で容赦なくサイトウを下して勝利のポーズをとったことからもわかるように、勝ち負けに関しては誰よりもシビアな認識を持っているはずだと思います。

そんなダンデを指して、ポプラは「時々勝ちたいのか負けたいのかわからない顔をする」と形容します。ポイントはやはり、「わからない」という言い方だと思います。「勝ち負けなんてどうでもいい」「勝ってチャンピオン業続行となっても負けてチャンピオンの座を降りることになってもどっちでもいい」みたいな、刹那的な思考を指した言い方ではないんですよね。

たとえば「勝っても負けてもどっちでもいい」場合は、「どっちでもいいや」という投げやりな気持ちを自分でちゃんと分かっています。そうではなくて、「勝ちたいのか負けたいのかわからない」は、言い換えれば「チャンピオンをこのまま続けたいのか今ここでやめたいのか、自分でもよくわからない」ということではないかと思います。

チャンピオンであり続けたいのか否かはっきりと答えが出ていない、つまり、ダンデは自分の未来を明確に展望できていないのかもしれない。そのように感じたからこそ、ポプラは上のように意味深なことを言ったのではないでしょうか。

ここであらためて第7話におけるダンデ登場シーンを振り返ると、彼は夕暮れ時に道に迷っているんですよね。もちろん道に迷うことはダンデの十八番(?)であり、単に原作でもあった彼の個性(方向音痴)を印象づける描写なのかもしれません。ただ、満を持してのジョンとの邂逅シーン、それも黄昏時に「道に迷うダンデ」が描かれたことには、何かしらの意図があるのではないかと感じてしまいます。

先ほど、黄昏という言葉が「盛りを過ぎること」の比喩として用いられることを確認しました。薄明=黄昏時=「未来がぼんやりとしていて見通せない状態」or「現状にかげりを感じていること」という前提についても検討しました。

これを踏まえて薄明ダンデを眺めると、彼は弱冠10歳でガラルの頂点に立ち、以降おそらくは10年以上チャンピオンの座を維持し続けています。その強さと人柄ゆえにガラル人からの支持は絶大。ポケモントレーナーとしての技量には年々磨きがかかっていることでしょうし、在任期間が伸びれば伸びるほど、人気や声望も今以上に高まっていくことでしょう。

ただ現状、ダンデはこのままチャンピオンであり続けたいのか否か、無意識下で迷っているのではないかと思います。まず、ダンデは立場に対する義務感や責任感は強くても、チャンピオンとしての名誉や声望には興味の薄い人間です。ソニアのコメントからもわかるように、ダンデが無上の喜びを覚えるのはポケモンたちと共に強敵と戦い勝利する瞬間であって、チャンピオンとしてちやほやされるときではおそらくありません。

だから、チャンピオンの座を維持し続ける(在任期間を伸ばす)こと自体はダンデにとってさほど魅力を感じるようなことではないし、高い目標として掲げるようなことでもないのではないかと思います(チャンピオンと呼ばれる期間が1年伸びることは、挑戦者を迎え撃つことのオマケとしてついてくるものなので)。

また、ダンデは推定10年以上チャンピオンを続けています。言い換えれば、ダンデは10年もの間、自分を超えるほど強い相手に出会えていないことになります。強者との戦いが何よりのモチベーションであるダンデにとっては、この事実の方がヘビーに響いてくる問題かもしれません。

地位の持続自体は目標とするには弱く、強力なモチベーション(=自分を脅かすような強敵)も欠いていると言わざるを得ない。そんな現状は頂点にいるダンデにとってある種「停滞」かもしれないし、「未来に前向きな展望を持てない状態である」と解釈すれば、人生における薄明の時間に直面しているとさえ表現できるのではないでしょうか。

ここでジョンとダンデの話に戻りますが、ジョンがダンデに強い興味を持ったのは、チャンピオンとして褒めちぎられている場面でダンデが心から笑っていないことに気づいたからです。

そして、ソニアほどダンデと親しくもなく、ポプラほど人生経験も重ねていないジョンがどうしてその事実を見抜けたのかと言えば、ジョンとダンデが似た境遇・精神状態(同じ場所に居続けるほかなく、前向きな目標・展望を持てない状態)にあったからではないかと思うんですよね。自分とはかけ離れた存在であるはずのダンデの意外な顔に気づき、意識的にか無意識的にかシンパシーを抱いたからこそ、無関心の状態からあそこまでダンデを好きになったのではないか……と思うわけです。

考えてみればダンデは10歳の頃からチャンピオンとして生きているわけで、同年代の子供達と比べれば間違いなく特殊な環境で育っています。そして敗北しないかぎり、チャンピオンとしての生はこの先もずっと続きます(また、その地位を脅かす強敵は現状見当たりません)。

ジョンもまた幼い頃から入院生活を送っていて、同年代の子どもたちと比べれば特殊な環境で育っています。かつ、いつ病が治るのかわからず、必然的に病院から出て行けるかどうかもわかりません。よって、ジョンは物理的にもダンデと似た境遇で育った少年であると言えるのかもしれません。

というわけで、直感先行で「薄明ダンデもまた未来に迷っている」説について書いてきました。「薄明の翼」のラストで、ジョンは夜明けを迎えて薄明の時間を脱しました。一方、ダンデにとっての夜明けはもう少し先、つまり剣盾原作のスタートを待って訪れるのだろうと思います。これに関しては、次の項目でもう少し掘り下げたいと思います。

*「薄明ダンデと原作ダンデは異なる描かれ方をしている」と強く感じたのは、ポプラのこのコメントを聞いたときでした。

あくまで私の印象ですが、原作ダンデが「勝ちたいのか負けたいのかわからない顔をする」印象はありません。原作ダンデは明確に「勝ちたい」し、マンネリを感じたとしても、原作通り積極的に強いポケモントレーナーを育てに行く(その上で叩き潰す)キャラではないかと思います。ダンデよりも在任期間の長い師匠のマスタードが出てきたことで、ダンデが10年で「もう飽きた」とはならないんじゃないかという印象も強まりました。

「試合以外でチャンピオンとして振る舞うときは心から笑わない」という描写も、原作ダンデとはあまり重ならない姿かなーと感じます。原作ダンデはもはやチャンピオンという生き物というか、ダンデ個人とチャンピオン・ダンデを常に一致させた上で齟齬もなく振る舞っていて、「チャンピオン業つれーわ」とは匂わせもしないように見えるので(チャンピオンの責務や観客の残酷さを重々理解した上で、四六時中ナチュラルにチャンピオンできる原作ダンデの“スゴ味”)。あと原作ダンデは、ジョンを乗せているときはアーマーガァに本気を出させたりしないかもなーとも思いました。

まとめると、薄明ダンデは「ダンデのメンタルがもう少し常人寄りだったらこういう揺らぎを見せるかもしれない」という解釈の下で描かれている感がありました(あくまで個人の印象です)。原作ダンデも薄明ダンデもそれぞれ魅力的なキャラクターだと思います。

第7話ラストに漂う夜明けの予感

日の出 山岳 Photo by Jasper Boer on Unsplash

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ところで、「薄明の翼」はストーリーの締めとして「夜明けの予感」を描いています。第7話のラスト、ゲーム原作の主人公2人(マサルとユウリ)が顔を伏せて登場するシーンです。あの場面自体は、空に星が見えるので時間帯は夕暮れ時だと思います。ただ、第7話の流れを追っていけば、あの原作主人公2人の登場シーンが「夜明け」に位置づけられていることは明らかです。

というのも、第7話は夕方から夜にかけて展開されるエピソードです。ジョンは夕暮れ時にダンデと一緒に空を飛び、日がすっかり沈んでからスタジアムに到着し、夜間にダンデの試合を観戦します。そして、背景が無地&黒のスタッフロールが明けると、マサルとユウリが登場するのです。夕方、日没後、夜……というエピソード内での時間の移ろいを踏まえると、2人の原作主人公の出現は「夜明け」であり、剣盾本編のスタートを暗示するものではないかと思いました。

また、そもそも第7話の試合は、剣盾本編冒頭のエキシビジョンマッチとシチュエーションが同じなんですよね。司会ローズ、ダンデ対キバナ、スタジアム戦、時間帯は夜、キョダイマックスするリザードン等々。おそらく「薄明の翼」と剣盾原作をスムーズに繋げるための計らいだと思いますが、ラストの主人公2人の登場と併せて、第7話の試合自体が剣盾本編スタートという夜明けを示唆していたと考えることも可能かもしれません。

あと、これは「薄明の翼」からは離れる話ですが、原作であるポケモン剣盾でも「暗い夜からの夜明け」がストーリー中で象徴的に描かれています。言うまでもなく、決勝戦前にムゲンダイナが暴走してブラックナイト(黒い夜)が発生し、最終的に主人公がザシアン&ザマゼンタらと協力してムゲンダイナを捕らえるくだりです。

キョダイマックスしたムゲンダイナは夜空を暗雲によって覆いますが、主人公がムゲンダイナを捕獲すると、暗雲は散り散りに消え去ってまばゆい夜明けが訪れます。その数日後、主人公はダンデに勝利し、ガラル地方に新たなチャンピオンが誕生します。

敗北したダンデはもはやチャンピオンではなくなりましたが、退任したローズに代わってリーグ委員長となり、ローズタワー改めバトルタワーのオーナーにもなって精力的に活動し始めます。ブラックナイト事件の終結と新チャンピオンの誕生というタイミングをもって、チャンピオン・ダンデにも新たな夜明けが訪れた……と言えるのではないでしょうか。

このように振り返ると、剣盾本編で描かれた「夜からの夜明け」のストーリーを踏襲する形で、「薄明の翼」でも「黄昏時→夜→夜明け」のストーリーが全体を締めたのかもしれません。様々な主人公をフォーカスしたストーリーの最後にゲーム主人公2人が登場するというのは、嬉しいサプライズでもあり粋な構成だなーと思いました。

*****

「薄明の翼」、本当に素晴らしいスピンオフ作品だったと思います。第1話から第7話までリアルタイムで追うことができてよかったです。もし書けたらジョンとトミーに関する記事も書こうかなーと思います。

「薄明の翼」に登場するオリジナルキャラクター・「トミー」に関する仮説について、感想&考察記事を2本立てで書いています。

【薄明の翼】 「トミー死亡説」と10の暗示――第6話「月夜」を振り返る 感想&考察 その1
【薄明の翼】 「トミー死亡説」とジョンが得た2枚の翼――あの日、一歩踏み出した「僕ら」とは? 感想&考察 その2

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かーめるん
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