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『Father and Son』 ナポリの考古学博物館で父の情熱と人類の遺産を知るADV 感想&レビュー ※ネタバレ注意

2020/09/13
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イタリアの都市・ナポリを訪れた青年が、生前は没交渉だった父の思いと考古学に捧げた情熱を知るアドベンチャーゲーム、『Father and Son』の感想&レビュー記事です。パブリッシャーはナポリ国立考古学博物館、開発はTuoMuseo。Twitterのゲーム公式アカウントはこちらです。 → Father and Son

father and son スクショ ナポリの亡父の部屋と主人公 見出し画像

『Father and Son』

『Father and Son』はタイトル通り、ある父と息子の関係を題材にしたアドベンチャーゲームです。主人公は芸術家を志す青年。研究に没頭するあまり家庭をないがしろにした父の訃報を受け、彼が生前働いていたナポリの考古学博物館を初めて訪れます。

後述しますが、『Father and Son』は実在する「ナポリ国立考古学博物館(Museo Archeologico Nazionale di Napoli)」が制作した無料のスマホゲームです。イタリア語や英語をはじめとする様々な言語に対応していて、現在は日本語でもプレイできます。

実は、『Father and Son』を初めてプレイしたのはもう1年以上前のことです。美しい色彩&BGMや洗練された演出、希望あるメッセージに感動し、何度か周回もしてぜひ記事を書こうと思ったものの、なかなか実現できずにいました。ところが最近プレイストアの紹介ページを覗いたところ、「日本語に対応した」との情報があったんですよね。「マジか」と嬉しくなって再びダウンロードし、その後あらためて記事を書こうと考えた次第です。

今回は、感想を交えたレビューを書きます。具体的には、『Fathers and Son』の概要をまとめ、ストーリーやアニメーションなど同ゲームの魅力をいくつか挙げてみようと思います。ストーリーやエンディングのネタバレが含まれるので、未見の方はご注意ください。

『Father and Son』のあらすじ

まず、『Father and Son』(“父と息子”)のあらすじを書きます。

father and son スクショ 父からの最後の手紙を読む主人公マイケル min

『Father and Son』

主人公は芸術家を志す青年・マイケル*。『Father and Son』の本編は、マイケルが亡き父・フェデリコの最後の手紙を読む場面からスタートします。

考古学者だったフェデリコは、生前イタリアのナポリに住み込んで研究に没頭し、自身の家庭を顧みることがありませんでした。彼は手紙の中で父親としての責任を果たさなかったことを詫びた上で、どうか考古学者として自分が手がけた仕事を見てほしい、ナポリに来てほしいと息子に願います。

血肉を分けた父と息子でありながら、長年疎遠だったフェデリコとマイケル。当然父に良い感情を抱いていなかったマイケルですが、父の最後の願いを聞き入れてイタリアを訪れ、かつて彼が携わったナポリ国立考古学博物館の展示を見に行くことを決心します。

生前の父を「いい人だった」と懐かしむアパートメントの大家。「この博物館と私たちナポリの人間のために本当に良いことをしてくれた」と惜しむ元同僚。「あなたのお父さんは素晴らしい人だった」としみじみと述べる博物館のディレクター。
ナポリの街を歩いてフェデリコを知る人に出会うたびに、父親に対する考えを大きく揺さぶられるマイケル。それと同等に、父が手掛けた3つの展示もまた、心に導きの火を灯すような目覚ましい体験をマイケルにもたらしました。

芸術に対する情熱、家族を思う心、そして愛情。時代を超越する人類の遺産を生涯をかけて研究した父と、戸惑いながらも父の贈り物を受け取り、彼の思いと少しずつ向き合い始める息子。プレイヤーはマイケルに寄り添い、時空を行き来しながら、ナポリで忘れ得ぬ4日間を体験することになります。

*マイケルの仕事や身分(本当にいわゆる芸術家なのか、それとも絵を得意としているだけか、あるいはまだ学生なのか)は作中で明示されません。とはいえ、フェデリコは考古学者の自分と対比させる形でマイケルを"artist"と称しているし、実際にマイケルは対象をやすやすとスケッチしたり、キャンバスを前に筆を振るって一日で絵を描き上げたりします。以上の描写から、マイケルを「芸術家を志す青年」と形容しました。

『Father and Son』の概要

続いて、『Father and Son』の概要を、「制作者&制作の経緯」と「ゲーム内容」の2点に分けて書いていきます。

世界で初めて考古学博物館が制作したゲーム

father and son スクショ ナポリ国立考古学博物館を見学する min

『Father and Son』

『Father and Son』は、一風変わった出自を持っています。というのも、このゲームの制作・発表を行ったのは、なんと「ナポリ国立考古学博物館」というれっきとした学術機関だからです。
しかも、作中にはそのナポリ国立考古学博物館と展示品が実際に登場します。つまり『Father and Son』は、実在する外国の博物館内部を2D横スクロールで見学できる、非常に斬新なゲームであるわけです。

『Father and Son』の公式サイトを覗いてみると、"The first game published by an archeological museum(考古学博物館によって発表された初めてのゲーム)"という謳い文句が真っ先に目に入ります。これを見て「いったいどういう経緯で『Father and Son』ができたんだろう?」と興味が湧いたので、ちょっと調べてみました。

まず最初に述べた通り、『Father and Son』を制作したのは「ナポリ国立考古学博物館」です。"Museo Archeologico Nazionale di Napoli"、略して"MANN"(この記事でも以下では「MANN」と書きます)と呼ばれています。

MANNに伝わるコレクションの起源は、ブルボン朝のシャルル3世の時代に求められます。当時ナポリ国王でもあったシャルル3世は、文化的政策の一環として、ヴェスヴィオ火山の噴火に見舞われた古代ローマの諸都市(ポンペイやヘルクラネウム)の調査を進め、出土品を収集しました。それら出土品にファルネーゼ家出身の母親から受け継いだ品々が加わり、現代に続く豊かなコレクションが形成されたようです。

ここで『Father and Son』のストーリーを振り返ると、主人公が見学した展示は、「古代エジプトセクション(の彫刻)」、「ポンペイ遺跡セクション」、「ファルネーゼコレクション(のヘラクレス像)」の3つでした。これらは、MANNの所蔵品の性格を大いに反映したものであると考えてもよさそうです(古代エジプトの展示品の代表格は、19世紀初頭にボルジア枢機卿の甥が売却したものなど)。

さて、博物館の公式サイトにおける『Father and Son』の紹介ページを見てみると、この斬新なゲームの企画・制作に関わった中心人物として3人の名前が出てきます。1人目は、MANNのディレクター(館長)であるパオロ・ジュリエリーニ氏。もしかすると、作中に登場する青スーツのディレクターこそが彼の分身なのかもしれません。

2人目は、ルドヴィコ・ソリマ教授。カンパニア大学・「ルイジ・ヴァンヴィテッリ」(かつてのナポリ第二大学)で経済学と経営学を研究されている方だそうです。MANNを題材とするビデオゲームの構想は、このソリマ教授によるものだと説明されています。ちなみに、アパートメントのフェデリコの寝室を探索すると、"Ludovico Solima"著の本を発見できます。

そして3人目は、"TuoMuseo"の設立者であり、ゲームとゲーミフィケーションの専門家であるファビオ・ヴィオラ氏です。

TuoMuseoは、アーティストやゲームデザイナー、ゲーム開発者、サウンドデザイナー、3Dアニメーターによって構成された集団です。文化面におけるゲーミフィケーション(つまり、文化振興にゲームの技術や要素を応用すること)を重視しつつ新しいアートを創造する、イタリア発の国際的なクリエイター団体……とざっくり捉えてOKだと思います。『Father and Son』の実際の開発を行った人たちこそ、このTuoMuseoであるわけですね。

まとめると、ポンペイ遺跡やファルネーゼ由来の豊富なコレクションを所蔵するMANNと、ゲーム技術を文化振興に活用する専門家であるTuoMuseoがタッグを組んで企画・制作されたゲーム、それが『Father and Son』である……ということになります。由緒ある博物館が採用したまったく新しい経営&コミュニケーション戦略の1つであり、ゲームという国際的に浸透したツールを用いて、博物館とは縁遠いかもしれない層への宣伝を狙った企画なのでしょう。

実際、私もこのゲームをプレイするまではMANNの存在を寡聞にして知りませんでした。そしてクリア後は、もしナポリに行く機会があればぜひMANNを訪ねたいと思うようになったので、『Father and Son』の試みはけっこう有効だったのではないでしょうか。

ちなみに『Father and Son』には、実際にMANNに足を運ぶ(!)ことで解放されるコンテンツが存在します。今のご時世では色々な意味で遠いナポリですが、もし今後かの地を訪れることがあれば、『Father and Son』の秘密要素を解放したいなーと切に思います。

操作説明とストーリーの流れについて

Father and Son 古代エジプトの彫刻家 アイコンの一例 min

『Father and Son』

続いて、『Father and Son』の具体的な内容を概観します。『Father and Son』は、横スクロールの2Dアドベンチャーゲームです。プレイヤーは主人公マイケルを操作し、ナポリの街や博物館内を探索します。ちなみに、画面右下を長押しすると右に、左下を長押しすると左に進みます。2日目からは、ナポリの街をヴェスパ(スクーター)で走ることができます。

何かアクションを起こしたい場合は、画面上に現れる丸いアイコンをタップしましょう。人と話したいなら吹き出しアイコンをタップする、スケッチしたいなら紙とペンのアイコンをタップする……という具合です。アイコンに触れると、マイケルがアクションを起こす地点まで自動的に近づいてくれます。

また、後述する過去体験パートに入ると、画面上に時計アイコンが現れることがあります。このアイコンをタップすることで、視点キャラを切り替えつつ(マイケル⇔過去の人々)、過去と現在をシンクロさせ行き来することができます。

『Father and Son』のストーリーは、主人公マイケルがナポリで過ごす4日間を追ったものです。父が携わった3つの展示を3日間かけて鑑賞し、4日目に父への思いを総括する……という構成になっています。とはいえ、4日目は探索パートがほとんどない&すぐにエンディングに入るので、実質「3日間の物語」と言ってしまってもいいかもしれません。

『Father and Son』における1日は、大きく2つのパートで構成されます。すなわち、父のアパートメントから出発し博物館内の展示ゾーンに行くまでの「現代ナポリ探索パート」と、展示を鑑賞することによって現在と過去がシンクロする「過去体験パート」です。

前半部分の現代ナポリ探索パートでは、視点人物はマイケルに固定され、ナポリの街の人たち(大家、コーヒースタンドの店主、博物館スタッフ、ディレクター等)と会話することができます。会話は(対博物館スタッフを除いて)必須ではありませんが、現地の人と会話することで、父フェデリコの情報を手に入れたり主人公マイケルの心情を掘り下げたりできます。

また、現代ナポリ探索パートでは、銅像や展示物をスケッチすることも可能です(主人公マイケルは絵が得意)。スケッチは街角や博物館内などの計5か所で行うことができる、一種のコレクション要素です。単純に目的地に向かうだけでは取り逃すことも多いので、コンプを目指す方は散策がてら寄り道することをオススメします。

1日の後半を占める過去体験パートは、博物館内の展示品を鑑賞することで始まります。このパートでは、過去に生きた人々と現代を生きるマイケルの2者をシンクロさせて視点を切り替えつつ、過去の出来事を体験することができます。「選択によって形成される過去と現在」をテーマとする『Father and Son』にとって、最大の目玉とも言えるパートです。

また、『Father and Son』の本筋は一本道ですが、選択肢による分岐が一部に存在します。

本筋に影響を及ぼさない分岐としては、ナポリの街や博物館にいるキャラクターとの会話が挙げられます。他のキャラと話す場合、プレイヤーは常に発話内容を2択で選択する必要があります。朗らかに接するか無愛想に話すか、本題だけ聞くか世間話をするか……といった感じに。プレイヤーの選択に応じて、会話相手の反応は変化します。

一方、選択肢がメインストーリーに直接影響を及ぼすシーンも存在します。具体的には、2日目の展示鑑賞における過去パートです。ここではヴェスヴィオ山の噴火直前のポンペイを探索できますが、途中のある選択によって結末が大きく分岐します(最終日のエピローグの一枚絵も変化します)。

『Father and Son』の魅力とは?

『Father and Son』をプレイしようと思ったそもそもの理由は、「舞台はナポリ」という情報に大いに心を引かれたからです。ジョジョ好きなので、これはプレイせずにはいられないと思いました(ジョジョにおけるナポリは基本的に「ネアポリス」ですが)。あと、ビジュアルイメージの美しさにも惹かれるものがありました。

そんな動機で始めた『Father and Son』をプレイし終えてまず思ったのは、「すごく良いゲームだった……」ということでした。洗練されたアニメーション&ミュージックも素晴らしかったですが、それ以上に、豊かで明確なストーリーが印象に残りました。父と息子の物語から始まって、時代を超えて過去のエピソードを体験し、最後は再び父と息子の物語に戻る……という構成もきれいです。伝えたいことやテーマも一貫していました。

『Father and Son』を一言で表すなら、「父と息子の物語であり、人の営みによって生み出される偉大な遺産に対する敬意がその底流にあるゲーム」でしょうか。素朴な感想を書くと、「超雰囲気の良いゲーム」です。つまり個人的にツボな作品でした。めっちゃ好きです。というわけで、以下『Father and Son』の魅力をいくつか挙げていこうと思います。ネタバレにご注意ください。

美しいアニメーションとミュージック

father and son スクショ ナポリ国立博物館内の広場 美しいミュージックによる演出 min

『Father and Son』

まず第一に挙げたい『Father and Son』の魅力、それは洗練されたアニメーションとミュージックです。より具体的に言えば、その2つをマッチングさせプレイヤーの感動を呼び起こす演出の妙に感嘆しました。

そもそも、このゲームをプレイしようと思った理由の1つは、スクリーンショットで見たビジュアルの素晴らしさに惹かれたからです。色彩もタッチもとにかく好みで、「このクオリティで描かれたナポリの街や博物館を堪能できるってすごくない?」とワクワクしながら遊び始めました。そして、想像以上のクオリティーだったイラストレーション&アニメーションと、ノーマークだったミュージックの素晴らしさに心を奪われました。

イラストに関しては、色彩と光が絶妙だと思います。特に光の加減というか、明暗に対する繊細な感覚が非常にイイですね。明るさと暗さの細やかな変化によって、少し埃の舞っている室内だったり、雑踏の街角だったり、がらんどうとした遺構だったりの空気感が一目で伝わってくる気がしました。

個人的には、明暗の同居する昔風だけど住みやすそうなアパートメントの一室を歩くのが大好きです。あとDay3限定のネオンと街燈に照らされた夜のナポリも、昼間とはガラリと雰囲気が違っていて歩くだけでドキドキしました。その他、明るく晴れ晴れとした昼のナポリの街、上品で静謐な空気で満たされた博物館内、砂塵舞う古代エジプトの都市など、いつどこであっても眼福ものの映像を楽しめました。

『Father and Son』をプレイしていて、『ルノワール 陽だまりの裸婦』というルノワール(フランスの画家)の伝記映画を思い出しました。ストーリーが淡々としすぎているので正直面白い作品ではないものの、著名な印象派の画家にフォーカスしただけあって、目に快いシーンの多い映画です。特に前半部分は色彩と光に対する意識が繊細で鋭く、「ここをおろそかにしてなるものか」という気合とこだわりが感じられます。『Father and Son』のグラフィックが好きな方にオススメです。

また、視点人物のアニメーションも滑らかで素晴らしかったです。たとえば開始直後にアパートメントでコーヒーを淹れたとき、マイケルの緩急のついたモーションを見て「これ絶対良いゲームだ」と直感しました。その直感通り、優れたアニメーションによっていくつかの重要シーンのインパクトが大いに増していたように思います。

そして、ビジュアルイメージとは違って完全にノーマークだったのがミュージックです。基本的に『Father and Son』はBGMのないゲームであり、自然音が静寂を補っています。ただ、重要な場面ではここぞとばかりにミュージックが流れ出し、プレイヤーのゲームへの没入を促し感動を大いに高めてくれます。

音楽に関して最初にハッとしたのは、明るい博物館内の広場にシーンが切り替わり、ピアノの旋律と続く女性歌手の歌声を聴いた瞬間です。長らく自然音だけを聞いてきたため、突然始まったミュージックに驚き、操作の手を止めて聴き入ってしまいました。その音楽がまたなんともいえず神秘的で明るく美しいんですよね。

街角の雑踏が博物館に近づくにつれて遠ざかり、エントランスは静寂で満たされ、博物館内部に入ると豊潤な音楽が流れ出す……一連の音の演出によって外界と博物館の中を明確に区切り、プレイヤーを驚かせつつ先の展開への期待感を抱かせる仕掛け、非常に見事だと思います。

ここまで個々の要素について書きましたが、アニメーションとミュージックが合致して感動を呼び起こすシーンの例を1つ挙げたいと思います。それは、1日目の過去体験シーンのラストです。古代エジプトに生きる彫刻家の女性と、現代ナポリに滞在する主人公マイケルがシンクロし、わき起こるインスピレーションに突き動かされて創造にいそしむシーンですね。

過去と現代が交互に切り替わり、マイケルと女性がそれぞれ筆とミノと振るうあのシーンを見たとき、私は誇張ではなく心が震えるような感覚に襲われました。芸術にかける情熱が時代を超越することが、あの短いシーンによってあまりにも壮大かつ雄弁に語られていて、圧倒されると同時になぜか目頭が熱くなりました。

そして、1分にも満たないあのシーンになぜあれだけ心動かされたのかと言えば、アニメーションとミュージックが非常にうまくマッチングして「感動の一幕」を演出していたからだと思います。

スッと構えて力強く迷いのない動きで創作に取り組む2人の芸術家(アニメーション)、過去と現代が次々に切り替わるタイミング、そしてここぞとばかりに流れる神秘的でエモーショナルなミュージック……もうこれだけガッツリとスクラムを組まれたら感動しないわけないやん、と言いたくなります。まさにアート作品としての『Father and Son』の面目躍如です。博物館内に入った時点でもある種の「予感」を覚えましたが、1日目ラストのこのシーンによって、『Father and Son』のテーマに完全に心奪われたなーと振り返って思います。

ここに限らず、『Father and Son』はアニメーションとミュージック(と、過去と現代をシンクロさせる際のシーンの切り替え)を活用して見事な演出を行っているゲームです。プレイ中は『Father and Son』の美しいシーン1つ1つを大いに楽しむとともに、新しいアートの創造を標榜するTuoMuseoの実力の高さに感じ入りました。

「永遠かつ普遍なるものの」と肯定と人間賛歌

Father and Son スクショ ブルボン朝時代のナポリに住む彫刻家とその妻 芸術と永遠 min

『Father and Son』

公式サイトを覗いてみると、『Father and Son』は、「意味ある選択の積み重なりとしての現在と過去における、普遍的かつ時代を超越する物語」(ざっくり訳)であると説明されています。

クリア後にこの説明、特に「普遍的で時代を超越する物語」という箇所を読んで深く納得したことを覚えています。というのも、私が同ゲームのテーマとして強く意識したことこそ、「永遠性と普遍性の肯定」だったからです。

『Father and Son』は実質的に3日間のストーリーだと上に書きました。フェデリコが生前手がけた展示を鑑賞するその3日間において、主人公マイケルとプレイヤーは「永遠かつ普遍なるもの」をいくつも発見することになります。以下、1日目から順に振り返ってみます。

1日目の過去体験パートでは、古代エジプトに生きる女性彫刻家が描かれます。仕事に行き詰まった彼女はいったん市街に出てぶらつきますが、インスピレーションを得るとわき目も振らずに自宅に戻り、一心不乱に創作に着手します。彼女とマイケルが創造においてシンクロするシーンは、先にも述べた通りこの上なく感動を呼び起こすものであり、ある種の崇高ささえ感じさせるものでした。

この女性彫刻家によって体現される永遠かつ普遍なるもの、それは、「創造に対する情熱」ではないかと私は感じました。つまりは、豊かなインスピレーションを糧とし、自らの手と道具によって何かを創り出すことに対する熱いパッション。一心に創造に向き合う彫刻家を駆り立てる情熱が、現代の芸術家(マイケル)のそれと変わらないことを、このシーンは雄弁に語っているように思いました。

続いての2日目、過去体験パートで登場するのは古代ローマ都市のポンペイに暮らす父親です。ヴェスヴィオ火山の噴火を予期した彼は、お金持ちの家から金子を盗んで家族そろって逃げ出すことを計画します。しかし、同じことを考えていた知人に譲ってくれと懇願された彼は、自分の分の船代を諦めて愛する妻子だけを逃がし、燃え盛る火山によって滅びるポンペイと運命を共にします。

この父親の行動によって描かれる永遠かつ普遍なるもの、それは「家族を思う心」だと私は思います。自らの命を犠牲にしてでも妻子を守ろうとする父の行動、その根底にある家族への思いは、時代を超えて人の心を打つものです。彼と友人がおそらく自分の知り合いor主人であるお金持ちの家からためらいなく窃盗する(しかも妻もフツーに「あの家今無人よ」とそそのかす)ことは、いったん脇に置いておきます。

実は2日目は、知人にお金を譲るか否かで分岐が発生します。そして、家族が待っているんだと懇願する彼からお金を分捕って戻ると、特筆すべき会話もなくさらっとポンペイ脱出に成功します。一方お金を譲ると、妻アウレリアや娘マクシマとの会話が発生し、噴火によって崩壊するポンぺイのシーンまでプレイすることができます。

崩壊ポンペイに至った時点で確定死亡エンドだとは思いますが、このシーンは妙に尺があるので、「もしかしてもしかすると逃げ道があるのかな?」と思ったりもします。

最後に3日目、過去体験パートで描かれるのは、ブルボン朝ナポリに住む彫刻家とその妻のエピソードです。ナポリの王に仕える彫刻家は苦悩のただ中にありました。ミケランジェロの弟子が見事に修復した古代ローマ時代のヘラクレス像、その脚をオリジナルの脚に付け替えろと王命を受けたからです。先人から受け継いだ遺産を書き換えることに対する彼の激しい葛藤は、愛する妻と芸術について語らううちにしだいに鎮まっていきます。

この3日目に強調される永遠かつ普遍なるもの、それは「愛と芸術」かなーと私は思います。大切な人への愛情と、その愛する人の支えを受けて創造される芸術……エピソードの最後において、私たちの時代の芸術に愛があったことを未来に生きる人はきっとわかってくれるはず、と彫刻家夫妻は信じるに至ります。

夫妻の会話では、自分たちが歴史の大海における一滴の水であるという認識と、それでも何かが未来に残るはずだという希望が同時に語られます。過去と現在は断絶されたものではなく連続的なものであって、二者を明示的に繋いでくれるものこそ芸術品といった先人の遺産である……そんな『Father and Son』を貫く信念もまた、この3日目で主張されている気がします。

さて、ここまで3つの展示の内容とそのメッセージについて振り返って考えてみました。重要なのは、それら3つの展示に携わった人物は他ならないフェデリコであり、3つの展示には彼の息子へのメッセージが込められているということです。

フェデリコは、マイケルが展示から人生の道しるべとなる善きものを学び、良い人生を送ることを望むと手紙に書きました。つまり、上に述べた3つのテーマは、フェデリコが息子に学んでほしいと望んだ考え方・価値観とイコールで結ばれ得るということになります。

ここで主人公マイケルの背景を振り返ってみると、彼は幼い頃から父親と疎遠だった青年です。フェデリコは家庭と仕事を天秤にかけたとき、常に後者を選択してきました。言ってみれば常に父親に斬り捨てられてきたマイケルは、必然的に、父子関係というものに大きな期待や信頼を寄せずに育ちます。

たとえば「息子がナポリに来たことをフェデリコは喜ぶだろう」と言われたとき、マイケルは「僕もそう思う」と屈託ない返事を返すことができません。彼は父を知らないし、父に愛されている実感をおそらく抱いたことがないからです。マイケルが父親に懐疑的(選択肢によっては厳しく批判的)なのは、父親であることではなく考古学者たることを優先し続けたフェデリコの選択の結果だと言えます。

ただ私は、フェデリコは過去の選択をやり直せないこと、つまり、息子を対する過去の行いをけして償えないことを理解していたと思います。その証拠に、死を目前にしたとき、彼は息子を放置した過去の言い訳に終始するのではなく、今後長い人生を歩む息子のために今できる「贈り物」をしようと考えました。時間がないからこそ、自らの専門分野である人類の偉大な遺産に頼り、少々迂遠であっても息子の心に響くメッセージを伝えようと思ったのでしょう。

そして、フェデリコのメッセージの核心にあるものは、「人間賛歌」ではないかと私は感じました。

創造への情熱、家族への思い、芸術と愛……物語において永遠かつ普遍なるものとして扱われているそれら価値観は、そもそも人の営みから生み出されるものです。たとえ暗い影が時代を覆うことがあっても、人に内在する温かで美しいものは時代を超えて受け継がれるし、私たちは人間(性)というものを信頼してもよい。突き詰めればそのようなポジティブな考えが『Father and Son』のストーリーにはあったように思います。

フェデリコがマイケルに伝えたかったこともまた、そのような前向きな考え方だったのではないでしょうか。つまり、まずは展示の真価(人間の営みに存在する永遠普遍なるもの)を息子に知ってもらう。そして、それら展示の表す価値観をフェデリコが支持していること、すなわち「父の我が子への思い」がフェデリコ-マイケル間に確かに存在していたことを理解してもらう……それがフェデリコの狙いというか願いだったのではないかと感じました。

ちょっと話が父子関係に逸れた感もありますが、展示と付随するストーリーを観ていて、私は「フェデリコはいい人だったんだろうな」と素朴に思ったんですよね。
「父の携わった展示を鑑賞し父を知る」というコンセプト上、3つの過去回想パートはフェデリコの信条や思いを暗に伝えるものであり、そこに表れた価値観はフェデリコが大事にしていたものだろうと思います。だからフェデリコは、マイケルの芸術家としての才能と感性をよく理解し、仕事を優先しつつも彼なりに妻子を愛し、人類の遺産に敬意を払って後世に伝えようとした人だったんだろうなと感じました。

私自身は、『Father and Son』において示された上記のようなテーマに強く共感しました。無数の人の過去の選択が積み重なって現在があること、過去と現在で変わらないものが存在することを描いて人間を肯定する、非常に希望のあるストーリーだと思います。(過去と現在を繋ぐ品々を研究し、今の人々に伝え、さらに未来に繋ぐ)博物館が制作したことに大いに納得のゆくゲームです。

「フェデリコ」か「父さん」か――選択肢によって変化する父と息子の物語

father and son スクショ 父に否定的なマイケルに対する博物館スタッフの言葉 min

『Father and Son』

『Father and Son』は、そのタイトル通り、父と息子の関係性にスポットを当てたゲームです。「『Father and Son』のあらすじ」にも書いた通り、主人公のマイケルは、仕事一筋だった父のフェデリコと物理的にも精神的にも疎遠な状態で育ちました。
本人の述懐によれば、(ナポリで働いていた)父は自分に一切会いに来なかったし、自分もまた父に会いたいとは思わなかった……とのこと。このコメントだけでも、マイケルとフェデリコの間に親子らしい交流がほぼなかったらしいことがうかがえます。

そんな父子関係において、フェデリコが突然この世を去ります。本来ならこの時点で、冷え切った父子関係が変化するチャンスは永遠に失われるはずでした。しかしフェデリコは息子に手紙と「遺産」を遺しており、マイケルもまた、葛藤を抱えつつも父の最後の願いに応えることを選びます。これにより、父子関係の変化を追う『Father and Son』の物語の幕は上がるのです。

先述した通り、『Father and Son』は3日間のストーリーです。マイケルは3日かけてフェデリコを知る人たちと会話し、父が携わった展示を鑑賞することによって、亡くなった父のことを理解しようと試みます(そして4日目に父への思いを総括します)。

私は最初『Father and Son』を、「博物館の展示と歴史を綺麗なイラストレーションと音楽で学ぶゲームなのかな」と思っていました。
しかし実際にプレイするうちに、意外にも選択肢による会話変化の多いゲームだと気づき、同時に「『Father and Son』は父と息子の関係性を丁寧に描いた作品だ」と感じるようになりました。というのもこのゲームは、細かく発生する選択肢によって、主人公マイケルの人となりや父への思いの着地点を幅広く確保してくれているからです。

たとえば、主人公マイケルは肉親である亡き父と和解したかったと思っている青年なのか、それとも家庭における責任を放棄した父をけして許せないと思っている青年なのか。父と親しかった人たちに対して親しみを持って接するか、それとも斜に構えて接するか。また、肯定的or否定的な態度から始まって3日間を終えたマイケルは、最終的に父に対してどのような判断を下すのか。

『Father and Son』は、マイケルとフェデリコの関係に対するプレイヤーの反応を広く想定し、それに基づく意思表示ができるようにゆったりと「幅」を取ってくれます。そして短い旅の終わりに、「それでも父が理解できないし、今までの父を許すことはできない」と答えを出すマイケルの存在を、プレイヤーの1つの答えとして許容してくれるのです。

この『Father and Son』の寛容さに気づいたのは、実は最終日の4日目を迎えたときでした。最終日にマイケルは父への手紙をしたためます。ここでは7回文面を選べるのですが、その内容ははっきりと2つの系統に分かれています。

すなわち、「あなたの仕事や思いを理解できなかったし過去の行いを許すことはできない」と綴って「さようなら フェデリコ」と結ぶパターンと、「親愛なる父さん」から始まって「僕には父親が必要だった」と綴り、「永遠にあなたの息子である マイケル」と結ぶパターンの2通りです。

4日目に至るまで、私は基本的にフェデリコに肯定的な選択肢を選んでいました。フェデリコは立派な仕事をしていたし、周囲の人はみんなフェデリコを惜しんでいるし……と単純に思ったせいでもあり、マイケルとしてもずっと父を許せないのはつらいだろうし……と想像したためでもあります。

ただ、その判断の根底に、「これは『父と息子の物語』なんだから」という感覚があったことは否めません。つまり、3日間かけて父の仕事を見て父の知人に会えば、主人公は父への考えを改めるし、父の思いを完全に理解するようになる、だってこれは「父と息子の物語」なんだから……という、物語的な美しさや予定調和を求める心が働いていたような気がします。

だからこそ、「4日目に至ってもフェデリコをまだ理解できないし許すこともできないマイケル」を見つけて驚きました。驚いた後でそもそものストーリーの前提を思い出し、その「驚いた自分」に対してハッとしました。
「さようならフェデリコ」パターンのマイケルの言い分は、彼の立場に立ってみれば「そりゃそうだ」と納得せざるを得ないものだからです。フェデリコは愛する妻と幼い息子を放り出して単身ナポリへ移り住み、おそらく死ぬまで彼らのもとに戻らなかったわけですから。

父を待って報われなかった十数年間をもって、「父として息子に接してこなかったあなたに対する感情・考えがたった数日で変化するはずがない」と突きつけるマイケルの意見。それは当然あり得るものだし、ごく自然なものである。

そんな風に思い直してから、なんだかばつの悪い気持ちになったことを覚えています。父を理解「できず」許すことも「できない」マイケルに驚いた自分は、ちょっと視野も心も狭かったなーと。そして同時に、画一的な父と息子の物語をプレイヤーに強制せず、最終地点に幅をもたせている『Father and Son』は懐の広い作品だなと感じました。

『Father and Son』の姿勢を理解した上で2周目をプレイすると、ナポリの住人に対する選択肢にも、実はかなりの幅と反応があることに気づきました。つまり、先ほども述べた通り、「フェデリコはひどい父親だった」と強く思っているマイケルに寄り添う選択肢が用意されているんですよね。
もちろんフェデリコの知人はマイケルの考えに対して当惑したり反論したりしますが、少なくとも「フェデリコはひどい父親だった(とマイケルは思っている)」という意思表示を最初から封じられることはありません。

多少態度が軟化はすれども父親に対して否定的な選択肢を選び続け、「さようならフェデリコ」と別れを告げた周回では、これはこれで父と息子の1つの結末なんだろうな……とひとり納得しました。

もっとも、個人的には「親愛なる父さん」からの「永遠にあなたの息子であるマイケル」と結ぶパターンが一番好きです。理解できない、許せないマイケルも当然あっていい。ただそれなら、自分には父が必要だった、傍にいてほしかったと素直に打ち明けるマイケルもあっていいと思うんですよね。

完全に個人の感覚ですが、「永遠にあなたの息子」パターンのマイケルは、「俺の父さん考古学者としてスゲー仕事したんだな! 見直したよ父さん!」と思うに至ったイメージです。そしてその場合、そもそもマイケルが父の仕事のスゴさに気づいたのは、彼が展示品からインスピレーションを得られる感性豊かな芸術家だからだと思います。

すなわち、「芸術家である息子に最高の贈り物を」と考えた父の計らいが見事にハマり、息子は考古学者として人類の遺産を研究していた父を見直す……という、それぞれに専門分野を持つ互いへのリスペクトが成り立ったからこそ父子関係が改善されるハッピーな結末であるわけです。

一方、「さようならフェデリコ」パターンのマイケルは、考古学や芸術は関係なく、フェデリコにはまず自分の父親であってほしかったのかなーと思います。その思い(前提)ゆえに、「大人になった今なら仕事を優先するのもまあわかる」と優しい譲歩をしつつも、父が妻子との時間を犠牲にしてまで続けた研究に納得のゆく価値を見出せなかったのではないでしょうか。

フェデリコは冒頭の手紙で、「離れていた時間ではなく自分が手掛けた展示を2人の思い出として共有してほしい」と願いました。しかし、このパターンではその願いは叶わなかったことになります。とはいえ、フェデリコがかつて家庭をないがしろにしたことは事実なので、息子の感情としてはこちらの方が自然かなーと思います(父を理解しようと努めた結果「理解できない」に行き着いているので、息子として十分に誠実な行動だとも思います)。

だぶん、どちらのパターンのマイケルも、「父に傍にいてほしかった」と感じているような気がします。ただ、父の仕事の意義を理解できなかった「さようならフェデリコ」パターンのマイケルは、その事実を父に宛てた手紙の中で素直に認めることはありませんでした。一方「永遠にあなたの息子」パターンのマイケルは、家族と離れている間に父が立派に働いていたことを理解できたから、素直に自分の寂しさを吐露したのではないかと思います。

私自身は、「フェデリコは善き父親ではなかったけれども、才能ある芸術家であるマイケルの将来のために最良の贈り物(道しるべ)を遺した」と考えています。だから、フェデリコの推測通りにマイケルは素晴らしい「眼」を持っていて、展示品の真価を見抜き、フェデリコは素晴らしい仕事をした人だったと見直す……というストーリーだと、流れとしてきれいだなーと思う次第です。

『Father and Son』の父子関係(永遠にあなたの息子パターン)に既視感を覚えていましたが、ストーンオーシャンの承太郎とジョリーンでした。家庭にろくに時間を割かなかったけど一人息子(娘)をいつだって大切に思っていた父親と、父に反発しつつも彼の思いを理解していく息子(娘)。

『Father and Son』にしてもストーンオーシャンにしても、事情はあれど家庭を持つ親としてダメダメだった父親側にちょっと都合が良すぎるなーと感じる場面がないわけではありません。父親と永久or一時的に交流ができなくなる時期に、子供側が(過去に折り合いをつけたり隠れた意図に気づいたりしつつ)一方的に父を理解しようと努めることもその印象を強めます。

ただまあ親子関係は千差万別であり、結局は当事者の納得がすべてです(だからマイケルが父を理解しようとしてできなかったパターンもそれはそれで良い)。それまでの過程を自分なりに呑み込んで、最終的にマイケルとジョリーンは「父と通じ」ました。それは幸運かつ幸福なことだし、どっちの親子関係も私は好きです。

すごく脱線した気がしますが、『Father and Son』はユニバーサル&時間超越的なテイストをとり入れつつも、一貫して父と息子の物語を描いていたと思います。父の手紙に始まり、息子の手紙に終わる構成からもそれは明らかです。かつ、父と息子の結末についてプレイヤーに解釈と意思表示の余地を残してくれている、なんとも包容力のある作品だなーと感じました。

英語バージョンでのプレイを推す理由

Father and Son スクショ 日本語翻訳の一例 min

『Father and Son』

『Father and Son』は、海外(イタリア)で制作されたゲームであり、イタリア語や英語を始めとするいくつかの言語に対応しています。ただ、当初は日本語に非対応だったので、私は言語を「英語」に設定してプレイしました。

そして最近、「日本語に対応した」との情報を得て『Father and Son』を再プレイしたことは記事の冒頭で述べた通りです。その上での意見ですが、これから『Father and Son』をプレイしようかなーという方がもしいらっしゃったら、できれば日本語ではなく英語でプレイしてほしいなあと思いました。

なぜかと言うと、確かに日本語で読めはするものの、翻訳内容がまったくこなれた感じではないからです。率直に言って、かなり精度が低い翻訳だと思います。単語の訳し方が直訳に過ぎたり、1つの発話内で丁寧体と普通体が入り交じっていたり、開始5分プレイするだけでも明らかな誤字脱字が散見されたり。

具体的な例を1つ挙げます。1日目、マイケルにフェデリコの面影を見出した博物館スタッフが「すみません、私たち前に会ったことないですか?」と尋ねるシーンがあります。マイケルが「いや、残念だけど誰かと間違えてると思いますよ」と否定すると、彼女は「本当にそう? あなたの顔にこんなに見覚えがあるのに?」と半信半疑に食い下がります。

日本語版では、上記のやりとりは以下のように訳されています(すべて原文そのままです)。

スタッフ「申し訳ありま味んが、私たちはもう会いましたか?」
マイケル「いや、すみません、あなたが他の人とをと間違えました。」
スタッフ「本当にいいの?」

『Father and Son』

ことわっておくと、『Father and Son』の日本語訳をことさらにディスりたいわけではありません。ただ、『Father and Son』は、美しい色彩と音楽を堪能しながら、(日本人にとって)遠い異国であるナポリを歩き回り、さらに遠い過去へと思いを馳せることのできるゲームです。ナポリを初めて訪れるマイケルと一緒に、日常を離れて遠い土地やなじみのない世界と触れ合うことこそ醍醐味の1つだと言えるゲームです。

しかし、日本語バージョンでプレイすると、その一種完成された「日常から離れた遠い世界」の雰囲気を十分に味わえないのではないかと感じました。なめらかで違和感のない日本語訳であれば、むしろストーリー内容をより理解できるし集中できることでしょう。ただ、実際の翻訳内容は上に述べた通りなので、表現のぎこちなさや明確な誤りがまず目について物語に没頭できないのでは……と私は思います。

先にも述べたように、『Father and Son』は最高に雰囲気の良いゲームです。だから、英語がある程度できるという方には、ぜひ言語を英語に設定してプレイしてほしいです(ゲームの公式サイトの第一言語が英語であることを見ても、たぶん英語バージョンはオリジナルのイタリア語バージョンと並んで原意をつかみやすいはず)。その方がおそらく気持ちよく没入できるし、多少辞書を引きながらであっても、このゲームの雰囲気をゆっくりと楽しめるのではないかと思います。

もちろん、「日本語でプレイするな」などと言いたいわけではありません。日本人プレイヤーに向けて日本語のオプションが追加されたのはとても有り難いことです。英語だとどうしても意味をつかみにくい箇所もあるので、日本語バージョンならそのあたりでモヤモヤすることなくストーリーを追えるかもしれません。

*****

『Father and Son』の不満点も一応挙げると、任意セーブができないこと(もっとも、場面ごとに細かく自動セーブされる)、たまに途中で動作しなくなること、1日目の博物館スタッフとのやりとりの流れが一部おかしいこと……などでしょうか。そのほかの内容が素晴らしいので、スルーできる範囲内だと個人的には思います。

『A Date in the Park』という海外のフリーゲーム(実在するポルトガルの公園を舞台にしたサスペンスADV)の記事を書いたときにも思いましたが、実在する施設や土地を舞台にしたゲームって、ゲーム内アイテムの由来や元ネタを調べる作業がすごく楽しいですね。今回の場合、「実在する展示品を様々な形でゲームに登場させていたんだなあ」と感心&感動してMANNの公式サイトをじっくりと読んでしまいました。

≪関連記事:『A Date in the Park』 公園で奇妙なデートを楽しむアドベンチャーゲーム 感想 攻略

余力があれば、MANNの公式サイトも参考にしつつ、4日間のストーリーを振り返って詳しく感想を書きたいなーと思います。もし更新したら追記します。

※記事を書くにあたって参考にさせていただいたサイト:

Father and Son(ゲームの公式サイト)
Museo Archeologico Nazionale di Napoli(MANNの公式サイト。展示品の説明はもちろんゲームの紹介ページもある)
Associazione Culturale Tuo Museo(TuoMuseoの公式サイト。面白そうなゲームや企画がたくさん)

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かーめるん
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