【薄明の翼】 「トミー死亡説」と10の暗示――第6話「月夜」を振り返る 感想&考察 その1 ※ネタバレ注意
ポケモン剣盾のオリジナルアニメ・「薄明の翼」の第6話「月夜」配信後に話題になった【主人公トミーの死亡説】に関する考察記事です。アニメーション制作はスタジオコロリド。薄明の翼全体のネタバレを含みます。
※公式サイト:『ポケットモンスター ソード・シールド』 オリジナルアニメ「薄明の翼」
「薄明の翼」第6話の主人公は、同アニメのオリジナルキャラクターである「トミー」です。最終話の感想&考察記事でも触れましたが、この第6話は配信後に視聴者の様々な憶測を呼びました。というのも、「主人公トミーはすでにこの世の人ではない」と匂わせるかのような、奇妙で示唆的な描写が散見されたからです。
今回の記事その1では、発端となった第6話の描写を1つ1つ拾いながら、「トミー死亡説」の賛否についてあらためて考えました。続く記事その2では、第7話での描写も引きつつ、私自身がトミー死亡説を有力視する理由を挙げてまとめとしたいと思います。以下には「薄明の翼」シリーズ全体のネタバレが含まれます。未見の方はご注意ください。
※「薄明の翼」感想&考察記事
・「トミー死亡説」とジョンが得た2枚の翼――あの日、一歩踏み出した「僕ら」とは? 感想&考察 その2
・なぜ「夜明け前」ではなく「黄昏時」か――主人公ジョンとチャンピオン・ダンデが直面する「人生の薄明」 【第7話感想】
トミーと奇妙な描写群 in 第6話

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薄明の翼の第6話「月夜」には、トミーに関する気になる描写がいくつか存在します。ストレートに表現すると、「もしかするとトミーはすでに亡くなっているのではないか?」と思わせるような描写です。そのため配信後には視聴者の間でさかんに意見交換がなされ、該当するシーンや描写が多数指摘されました。
まずはそれらトミー死亡説を暗示するような10の描写を、個人的な推測と補完も交えつつ簡単に振り返ってみたいと思います。あらかじめことわっておくと、私自身はどちらかと言えばトミー死亡説を支持しています。なるべく主観に走りすぎないよう努力しましたが、そのことを念頭に置いてお読みいただけると幸いです。
①ポケモントレーナーでもない子供が夜中にひとりきりで墓場を訪ねている
第6話は、主人公トミーが夜の墓場にいるオニオンを訪ねるところからスタートします。まず、このシチュエーション自体がすでに奇妙だと言えます。
というのも、トミーはまだ少年(しかもつい最近まで入院していた)です。そんな彼が夜中に、ゴーストポケモンが跋扈する人気のない墓場へたった一人きりでやってくる。常識的に見ればおかしいというか、不思議な状況だと言わざるを得ません。
これに関しては、「同年代のオニオンだって夜中にひとりで墓場にいる」とか「ゲーム主人公も夜中にひとりで活動している」といった反論が考えられます。
ただ、トミーとオニオンorゲーム主人公を「子供」としてひとくくりにするのはやや大味だと言わざるを得ません。なぜなら、オニオンやゲーム主人公はれっきとしたポケモントレーナーであり、一方のトミーはポケモントレーナーではないからです。
ポケモン世界においては、ある人の能力を判断する際、その人がポケモントレーナーであるか否かが重要になることがあります。ポケモントレーナーでさえあれば、たとえ10歳の子どもでも冒険に出かけてOKだと認めてもらえます。ポケモンはトレーナーと共に戦い、時には危険からトレーナーを守ってくれる存在だからです。実際第6話においても、オニオンのポケモンであるゲンガーたちは、見知らぬ少年であるトミーからオニオンを守ろうとしています。
ポケモントレーナーであるならば、ひとりで危ない場所に行っても大丈夫。この考えを裏返すと、ポケモントレーナーではない子供がひとりで危ない場所に行くのは危険である、少なくとも一般的とは言えない……という話になります。よって、ポケモントレーナーでもない子供のトミーがひとりで墓場を訪ねているシチュエーションは、普通ではないし奇妙であると言えます。
②ゲンガーらに気づかれることなくオニオンの真後ろに回り込む
第6話冒頭では、オニオンとトミーの出会いが描かれます。人見知りのオニオンはゲンガーたちに協力してもらってトミーを追い払おうとしますが、トミーはいつの間にかオニオンの背後に回っていて……というシーンです。
「向こうへ行ったはずの人物かいつの間にか自分の背後に立っていてビックリ」というのは、アニメでもマンガでも珍しくない演出だと思います。主にギャグやホラーの文脈でよく見かける印象です。ただ、この一連のシーンには気になるポイントが2点あります。
1つ目は、反対方向へ走っていったトミーはどうやってゲンガーたちの注意をひかずにオニオンの背後に回り込んだのかということです。アニメでは、ゲンガーたちにおどかされたトミーは画面右へと走っていき、その後左からオニオンが現れ、戻ってきたゲンガーたちと向かい合います。
オニオンの背後に回り込むには、彼の視界に入らないようにぐるっと迂回する必要があります。しかしあれだけの勢いで反対方向へ走っていったトミーに、そんなことが短時間で実現できるものでしょうか。仮にできるとして、人気のない静かな墓場でこっそりと、具体的には物音を立てずに、オニオンの背後に回り込めるものでしょうか。
また、背中を向けていたオニオンはともかく、トミーが声をかけるその時までゲンガーたちがそろって反応しないのも奇妙といえば奇妙です。ゲンガーたちはオニオンに対面しているわけで、追い払ったはずのトミーが背後からオニオンに近づいているなら、即座に気づけるはずなんですよね。しかしゲンガーたちはまったくのノーリアクションであり、トミーが完全に背後に回るまで、その接近をオニオンに報せませんでした。
これは、ゲンガーたちが注意を怠った結果なのでしょうか。私はそうではないと思います。というのも、アニメの描写を観ると、トミーは本当に唐突にオニオンの背後に立っているように見えるからです。こっそりと忍び寄ってきたというよりは、ゲンガーたちにも見えない死角(オニオンの真後ろ)ににゅっと湧いて出たようにも見えます。そして、そんな芸当は「普通の人間」にはできません。
2つ目の気になるポイントは、この「いつの間にか自分の背後に立たれてビックリ」描写がギャグともホラーとも扱われずに実にさらっと流される点です。トミーに声をかけられたオニオンがビクッとするのみで、“間”をとって演出をするなど、このシーンに特定の意味を与えようとしていないことが気になりました。むしろ、さり気なく流してこの場面を目立たせないようにしている感もあります。
尺の限られたアニメだから、と理由をつければそれまでです。ただ、その短い尺の中でわざわざテレポートじみた挙動をするトミーを描く(でもあまり注目されないよう演出を控えめにする)ことには、何らかの意図があるのでは……とも感じてしまいます。
③ゴーストポケモンに触れている
ゲンガー族はゴーストタイプのポケモンであり、たとえばUSUMでは「人間の手では触れない」と解釈されています。しかしオニオンに事情を訴える際、トミーはそんなゲンガーたちにガッツリと触れています。
ただ、この点に関しては単にアニメ的な表現であるとか、作品によってゴーストタイプのポケモンの解釈が異なると考えることも可能だと思います。
④数多いるジムリーダーのうち霊感の強いオニオンを選んで頼った
ジョンと喧嘩したトミーは、仲直りするためにダンデの試合のチケットを彼に贈ろうと考えます。そして、チケットを融通してもらうべくジムリーダーの1人であるオニオンを訪ねました。ただこの選択、つまり数あるジムリーダーの中でオニオンを選んだことにもいくらか疑問の余地があります。
まず、ガラル地方にはジムリーダーがタイプの数だけ存在します。20人近いジムリーダーが定期的にバトルの技量を競い、そのうち上位8名が自分のスタジアム(あるいはジム)を持ってチャンピオンカップに参加することを許されるわけです。原作の剣盾で主人公が戦ったジムリーダー8人はいわばメジャーリーグのプレイヤーであり、残る10人はマイナーリーグのプレイヤーとして昇格の機会を狙っていることになります。
このガラル地方独特のメジャー&マイナーリーグ制度こそ、ソードとシールドで一部のジムリーダーが異なる理由だとされています。つまり、ソードでサイトウとマクワがジムリーダーとして登場することは、その時点でオニオンとメロンがマイナーリーグにいる事実の裏返しだと言えます。けしてソード世界にはオニオンとメロンが存在しないわけではなく、一時的にマイナーリーグにいるから露出もないわけですね(シールドではその逆)。
さて、以上を踏まえて薄明の翼を振り返ってみると、第1話冒頭でダンデとサイトウの試合(inシュートシティスタジアム)がテレビ放映されています。この試合でダンデに敗北したサイトウは、第2話でワイルドエリアに籠って修行に励むことになります。ここで注目したいのは、サイトウがローズ委員長の秘書であるオリーヴに対し、「数日間ジムを空ける」と報告していることです。つまり、サイトウは自分のジム(かくとうタイプ)を持っていることになります。
スタジアム戦でチャンピオンに挑んでいる、1つのジムを任されている、ローズ委員長&ダンデ&ヤローと一緒に映っているポスターがある……といった描写を鑑みるに、おそらく薄明の翼におけるサイトウは、上位8名のジムリーダーの1人なのでしょう。そして彼女が自分のジム(inラテラルタウン)を持っているとすると、シールドでラテラルタウンジムリーダーを務めるオニオンは、薄明の翼時点ではマイナーリーグにいる可能性が高いのではないかと思います。
ここで最初の疑問に立ち返りますが、なぜトミーはダンデのチケットを手に入れるためにオニオンに接触したのでしょうか。トミー自身は「ジムリーダーの人ならどうにかできると思った」と理由を述べています。彼の言う通り、たしかにオニオンはジムリーダーです。しかし、ジムリーダーと呼ばれる人間は何もオニオンただ1人ではありません。彼のほかに17人ものジムリーダーがいます。
また、先にも述べた通り、オニオンは現在ダンデへの挑戦権を得られるメジャーリーグではなく、マイナーリーグに所属している可能性が高いです。メジャーリーグで活躍する8人と比べれば露出も相応に少ないことでしょう。リーグの違いに加えてオニオンはかなりの人見知りであり、普段は墓場や遺跡でひとり過ごしているため、(インタビューなどは受けるとしても)SNSやテレビで独自の活動を繰り広げていることもなさそうです。
そして、オニオンはジムリーダーと言えどもまだ少年です。それも、(あくまで見た目に拠った話ですが)10歳~13歳程度に見える主人公やホップたちよりも明らかに背が低く、顔つきもやや幼く見えます。「若くしてジムリーダーを務める」とリーグカードに書かれている通り、ジムリーダーに選ばれたのも多めに見積もってここ数年のことで、期待の新鋭ではあっても活動実績はまだまだ少ないのではないでしょうか。
以上のような推測が成立するとして、トミーはどうして、入院時代にテレビやグッズで親しんでいただろうメジャーリーグのジムリーダーではなく、長年活動していて実績のあるジムリーダーでもなく、オニオンを選んで頼ろうとしたのでしょうか。
考えられる理由は、「自分と年の近いオニオンになら頼みやすそうだと思ったから」とか、「ラテラルタウン付近に住んでいるから」……などでしょうか(とはいえ後者なら、現状ジムを任されていてダンデと戦ったこともあるサイトウを頼る方がやはり自然かも)。
しかし、ここで某裁判ゲーばりに発想を逆転してみましょう。すなわち、「なぜトミーは18人もいるジムリーダーのうちオニオンを選んだのか」ではなく、「オニオンにあって他の17人のジムリーダーにはない特徴・強みとは何か」を考えてみます。こう考えると答えは簡単で、オニオンと他のジムリーダーたちを分けるものは、幽霊が見えるか否かです。
オニオンはゴーストタイプを専門としています。そして同タイプのジムリーダーの例にもれず、「4歳の時に事故に遭って以来幽霊が見えるようになった」と公式で説明されています。ここで第6話におけるオニオンを振り返ってみると、彼は自分を頼って墓場までやってきたトミーを、ジョンのいる病院へと導きました。もしもトミー死亡説を前提とするなら、オニオンは幽霊の見える人間として、生者と死者の橋渡し役を担ったことになります。
なぜトミーはオニオンを頼ったのか。この疑問は、トミー死亡説を踏まえるときれいに解消されます。トミーがこの世の人でないなら、トミーがオニオンを頼ったのはむしろ必然だと言えるでしょう。ジムリーダーであり、幽霊の言葉を聞いてくれる可能性のある人物は、オニオンをおいてほかにいなかったわけですから。
⑤唐突に「退院」している
第1話で入院していたトミー少年は、第6話ではオニオンを訪ねてひとり墓場までやってきます。その理由は、「退院した」から。ジョンと深刻な喧嘩をした後、トミーだけが退院することになり、2人は仲直りできずに別れてしまったようです。しかし、この言葉少なに語られる「トミーの退院」には色々と気になる点があります。
まず初めてこのシーンを見たとき、素朴な感想ですが「えっ、もう退院できたの?」と思いました。なぜならその直前の回想で、「おれら、この病院からだっていつ出れるかわからないんだぞ」とトミーは主張していたからです。いつ退院できるかさえわからない、つまり、ジョンと自分の病気が治る見通しはまるで立っていないと彼は認識していたことになります。回想時の様子から、トミーがその現実に際して非常にナーバスになっていたこともわかります。
それにもかかわらず、第6話でトミーは「おれだけ退院することになった」と実にあっさりと語ります。第1話から第6話に至る間にどれだけ日数が経過したのか、また2人の喧嘩からトミーの墓場訪問までの間隔はどの程度なのかははっきりとはわかりません。ただ、ローズに手紙を渡す(第1話)→ローズから返事が来ない(第1話~第6話の間)→ローズから返事が来る(第7話冒頭)という話の流れを見るに、第6話回想シーンからトミー退院までの間にそれほど日が経っているように思えないんですよね。
だから、「いつ退院できるか(病気が治るか)わからない」と思いつめていたトミーが、その後早々に「退院することになった」ことをやや不思議に思いました。
さらに不思議なのは、「謝れないまま自分だけ退院することになった」という説明です。トミーの退院に関して、たとえば手術を受ける目処が立ち、無事に成功して経過観察ののち病院を去ることになったのだとしましょう。ここで疑問なのは、どうしてトミーはジョンと離れ離れになる前に関係を修復しようとしなかったのかということです。
回想シーンを見ても分かる通り、2人の喧嘩の引き金となったのはトミーの辛辣な物言いです。そしてそんな言動をするに至った根本的な理由はおそらく、病気が治らない現実にトミーが苛立ちややるせなさを覚えていたからだと思います。
だとすれば、「病気を治すための手術を受けることになった」、あるいは「病気が快方に向かって数日後に退院することになった」とわかった時点で、トミーがナーバスになる理由は消えるのではないでしょうか。というか、病院を去った第6話時点で深く後悔している様子を見るに、退院するまでになんとしてもジョンに謝りそうなものだと思います。ジョンの方も回想の最後でトミーの様子のおかしさをいぶかしんでいたので、トミーに謝罪の気持ちがあり、かつ彼が退院することになったのであれば、素直に和解に応じるのではないでしょうか。
要するに、「退院できそうだ」と見通しが立って実際に退院するまでの間に、トミーはいくらでもジョンに謝ることができたはずじゃないか……ということが疑問です。「おれだけ退院することになった」とさらっと語っているけど、まさかいきなり手術をすることになって即日退院したというわけでもないだろうし、と(トミーは小さい頃からあの病院で生活している子供なので、病気が治ったからと言ってそそくさと去ることもなさそう)。
退院するまでの期間(少なく見積もっても数日以上)はジョンとの和解を避けていて、退院してからジョンに謝りたくなった可能性もないわけではないですが、(上にも書いた通り)2人の喧嘩の経緯を見ていると考えにくい線だと思います。
仲の良いジョンと喧嘩をするほど退院の目処が立たないことを気に病んでいたトミーが、それからさほど時間も経たないうちに退院したのはなぜか。単身オニオンを訪ねるほど後悔しているのに、退院するまでの間に同室のジョンに謝らなかったのはなぜか。
それら唐突かつ奇妙な「トミーの退院」に対する疑問は、トミー死亡説を前提にするとある程度解消されます。つまり、トミーの言う「退院」とは病気が治って病院を去る通常の退院ではなく、病気が悪化して亡くなり病院を出るのを余儀なくされたことを指すのではないか、と考えます(ひぐらしの「転校」みたいなもの)。
回想シーン時のトミーは、友達のジョンから見ても明らかにおかしな様子でした。おそらくあの時点で、トミーは自分の未来にある種の予感を抱いていたのではないかと思います。そしてその予感は間もなく的中し、彼は病魔に命を奪われてしまったのではないでしょうか。かつ、病状の悪化があまりに急だったために、ジョンに謝罪の気持ちを伝えることなくこの世を去ってしまったのではないでしょうか。
「退院」=「病気の平癒」ではなく「死亡」であり、急死によりジョンと和解することができなかったと考えれば、急な退院や病院にいる間にジョンと仲直りしなかったことにも納得が行きます。退院の事実を語る際の実にさらっとした流し方にも、オニオンと出会うシーン(参考:「②ゲンガーらに気づかれることなくオニオンの真後ろに回り込む」)と同じく、違和感を目立たせないようにとの意図を感じてなりません。
トミーの退院に関して注目すべきは、ルームメイト兼友人であるジョンの反応です。トミーの「退院」について、第6話でも続く第7話でもジョンははっきりと言及していないんですよね。第6話では病室に現れたトミーにさほど驚くこともなくすんなりと和解し、第7話では(一見)まったく言及なし……という感じなので。
ただ、あくまで個人の意見ですが、ジョンはトミーがどこへ行ってしまったのか無意識下で分かっているのではないかと思います。トミーと再会した際の一連の反応、第7話での言葉や仕草、そして第6話に関する制作陣のコメントを見た上での感想です。詳しくは「【薄明の翼】 「トミー死亡説」とジョンが得た2枚の翼――あの日、一歩踏み出した「僕ら」とは? 感想&考察 その2」の中で書きました。
⑥退院したのに赤いスニーカーを履いていない
「薄明の翼」・第1話の冒頭では、トミーとジョンの暮らす病室がぐるりと映し出されます。注目したいのは、窓際の棚の上に飾られている4足のスニーカーです。まるでコレクションのように並べられているそのスニーカーは、トミーとジョンのどちらの持ち物なのか。第6話まで視聴して、「持ち主はトミーである」と私は推測しました。
まず第1話を見返すと、トミーはワンポイントの入った青色の靴を履いています。一方、ジョンはきちんとした靴を履いていません。初登場時にベッドに座っているジョンは裸足であり、興奮してテレビに近寄る際も素足で歩いています。ローズを追って急いで階段を駆け上がる際には、運動にはおよそ向いていないだろうスリッパを履いています。この第1話を観るだけでも、「スニーカーに興味があって複数所持していそうなのはトミーの方ではないか」と自然と考えたくなります。
そもそも病院暮らしが長くて外出する必要もないなら、極論ですがトミーのように常時素足にスリッパでも問題ないんですよね。しかしトミーはちゃんと靴を履いています。だから、ジョンがダンデに憧れてグッズをコレクションしていたように、トミーの方は格好いいスニーカーを好んで収集していたのではないか……と私は感じました(ダンデグッズを収集しているのは主にジョンだと考えるのは、ジョンがまだダンデに興味を持っていなかった第7話回想時、病室にダンデグッズが見当たらないから)。
そして、第6話でトミーとジョンが和解した後、警備員が病室を覗きこむシーンがあります。ここで窓際の棚が映されますが、以前並んでいた4足のスニーカーがすべてなくなっていることがわかります。スニーカーが消える前と後、病室で起こった変化といえばトミーの「退院」です。したがって、靴を愛好して集めていたのはトミーの方であると結論づけてもよさそうです。
続いて、トミーがスニーカーに託した思いについて考えていきます。第6話の回想シーンでは、トミーが磨いている赤いスニーカーが印象的に描かれています。ジョンに将来のやりたいことを問われると、トミーはスニーカーを磨く手を止め、叶わない夢など見るなと言い放ちます。口論がヒートアップすると大事に磨いていたその靴を投げつけようとし、最後には手放して床に落とし、自分で拾おうともせずにうつむくのです。
この一連の描写から、赤いスニーカーはトミーにとっての希望ある未来の象徴であると推測できます。病気さえ治れば、お気に入りのスニーカーを履いて病院を飛び出し、どこでも好きな場所へ自分の足で向かうことができます。しかし病気が治らなければ、スニーカーを履いて冒険に出かけることなどできないし、そもそも強いて履く必要もありません。
赤いスニーカー(および棚の上に鎮座しているぴかぴかの靴たち)は、トミーの将来へのほのかな希望を示すものであり、彼がそれらを履く機会に恵まれていない現実を物語るものでもあるのでしょう。
さて、第6話でトミーは「退院した」と語ります。しかし彼の足下を見てみると、トミーは直前の回想シーンで磨いていた赤いスニーカーを履いていません。棚の上に飾ってあった靴のどれかを着用しているわけでもなく、第1話と同じ、少しくたびれた青い靴を履いているのです(トミー登場時にワンポイントがはっきり見える角度で靴が映されるので、病院時代と同じ靴を履いているとさりげなく強調している感もある)。
「退院した」にもかかわらず、「退院後の健康かつ自由な生活」と紐づけられているだろうスニーカーを履いていない。そもそも第6話のトミーは病院時代とまったく同じ服装ですが、それより何より、靴が入院時のものから変わっていないことはかなり違和感を覚えるポイントでした。
もちろん、トミーは実際に履くためではなく、ただ飾るためにスニーカーを集めていた可能性もあります。しかし、最終話の配信後に山下監督がツイートしたイラスト(ポケモンと一緒に今まさに冒険に出かけようとするトミーとジョンの一枚絵)を見ると、トミーはちゃんと例の赤いスニーカーを履いているんですよね。だから本編のトミーも、「退院後に履きたい」と思ってスニーカーを集めていたんだろうと考えられるわけです。
第6話にて「退院した」トミーが赤いスニーカーを履いていない理由。それは、病気が快方に向かったことによってではなく、もっと別の形での「退院」を余儀なくされたためではないか……と思わずにはいられません。
⑦昼間ではなく夜間にジョンの病室を訪ねている
ダンデのチケットを渡して仲直りしようと思ったと語るトミーに対し、オニオンは「直接言いに行けばいい」と一生懸命提案します(可愛い)。2人はそのままそらとぶタクシーで病院へと向かい、オニオンが警備員を引きつけている間に、トミーは深夜の病室に潜り込むことに成功します。
なかなか踏ん切りがつかなかったトミーの背中をオニオンが押した。そう表現するとただただ良い話です。しかし、墓場からそのまま病院へ向かう展開にも疑問を差し挟む余地がないわけではありません。
そもそも、どうしてトミーは夜にジョンを訪ねたのでしょうか。第6話の墓場シーンが昼間なら別に問題はありません。しかしどうして、面会時間もとうに終わってジョンも眠っているだろう夜更けに、警備員の目をかいくぐって病院に侵入するなどといったリスキーで非常識な行動に出たのでしょうか。
たしかにオニオンは「直接言いに行けばいい」と諭しました。しかし、何もすぐさま実行する必要はないのです。明日の朝が来るのを待ち、面会可能な時間になってからジョンに会いに行けばいい。もし1人では顔を出しにくいのなら、家族に相談するなりして一緒に来てもらえばいい。それをせずにその日出会ったオニオンを頼って即日夜中に忍び込むというのは、よくよく考えれば不思議な話です。
さらに不思議なのは、オニオンがトミーの行動を支持していることです。「明日にしたら」とは言わず、むしろ積極的にトミーを助けるために動いています。警備員の件もそうですが、そもそもジムリーダーのオニオンが同伴していなければ、トミーはそらとぶタクシーを利用できなかったのではないかと思います。ポケモンも持っていない子供が独りで夜歩きしていたら、家出の可能性を疑われてしかるべきところに通報されるのではないか……と思うからです(タクシー運転手の気がかりな言動に関しては後述)。
なぜトミーは昼ではなく夜にジョンを訪ねたのか。どうしてオニオンはその行動を咎めず、むしろトミーをジョンのもとへと導いたのか。それらの疑問に対する答えは、「むしろ昼ではなく夜でなければいけなかった、かつ(オニオンの助けを得られる)その日の夜でなければならなかった」ではないかと思います。
つまり、トミーはすでに昼間に活動できる状態になく、ひとりでは墓場から病院へ行くこともできなかったのではないか、と。オニオンもトミーの事情を理解していたからこそ、自分を選んで頼ってきた彼の願いを叶えるべく努めたのではないでしょうか。
もっとも、この「夜中に病院を訪ねたのはなぜか」に関しては、ストーリー上の都合という最強のアンサーが考えられます。というのも、「直接会いに行くべきか~そっかそうだよな~じゃあさっそく明日病院行ってみるわ! グッバイオニオン、アドバイスサンキュー!」ではお話としてまったく面白くないからです。子供2人が協力して真夜中に冒険する展開の方が面白いし、エンタメとしてはむしろ自然だと思います。
そもそもオニオンに提案されるまで、トミーはジョンに直接会って仲直りすることを考えていなかったようにも見えます。これはもちろん、ジョンにひどいことを言って傷つけたことに対する気後れ(合わせる顔がないという気持ち)ゆえかもしれません。ただ、トミー死亡説を念頭に置くと、トミーはジョンに直接会うことは不可能だと思っていたのではないか……とも考えられます。
オニオンに頼ってジョンのチケットを融通してもらう、という迂遠な形で仲直りしようとしたのも、今更ジョンに会って自分の気持ちを伝えることなど(物理的に)できないと考えていたからかもしれません。その考えがオニオンの提案で覆されたから、じゃあすぐにでも会いに行こうとなった……とか(オニオンに「直接~」と言われた直後のトミーの反応が描かれていないのも気になるポイント)。見方によって様々に解釈できる第6話の描写、あらためて絶妙だと思います。
⑧ドアを開けるカットなしに病室に入っている
第6話の後半、月明りのもと目を覚ましたジョンは、室内に佇んでいるトミーを見つけます。オニオンの協力を得て病院に忍び込んだトミーは、無事にジョンの病室にたどり着いたわけです。
ただ、このシーンで気になることが1つあります。それはトミーが病室に入るシーン、具体的には病室の扉を開けるカットが描写されていないことです。先ほどオニオンの背後に突然回り込んだシーンを挙げましたが、この場面でもまた、トミーは病室内に唐突に出現したように佇んでいます。
なぜ病室の扉を開けるカットがないことが問題なのか。それはトミーが去った後、見回りに来た警備員が病室の扉を開けて室内を覗き込むカットが描写されているからです。扉を開ける際の音や確認を終えて扉を閉める際のカットまで、尺をとって丁寧に描かれています。
なぜトミーに関しては扉を開けるカットがなかったのか。単に演出上、あるいは尺の問題で扉を開けるカットを省いただけだろう、という意見はもっともだと思います。ただ、「薄明の翼」は短い尺の中で(というか尺が短いからこそ)様々な暗喩や対比表現を用いている作品です。
だからこそ、トミーについては扉を開閉して出入りする描写を省き、直後の警備員に関しては扉を開け閉めして室内を見るカットを描いたことには、明確な対比の意図があるのではないでしょうか。もっとハッキリ書くなら、警備員とは異なり、トミーは室内に出入りにするにあたって扉を開閉する必要がなかった(だから該当するカットも当然なかった)のではないか、と思います。
⑨ジョンに贈る言葉の違和感
第6話のハイライトは、夜の病室でトミーとジョンが対話するシーンです。そしてこのシーンにおける2人のやりとりには、トミー死亡説を考える上で興味深いくだりが含まれています。以下に該当部分を引用します。
お前は、いつも夢中になると周りが見えなくなって……本当に危なっかしいけど。一度こうと決めたら絶対に曲げないやつだから……きっと良いポケモントレーナーになれるよ。
【公式】『ポケットモンスター ソード・シールド』オリジナルアニメ「薄明の翼」 第6話「月夜」
退院したらまた……おれがサポートしてやっから。いっしょに最強のトレーナーになろうぜ!
上の発言はトミーのものです。途中まで読むだけなら、単純に友人の夢の実現を応援するセリフだと受け取れます。しかしポイントは一番最後の、「いっしょに最強のトレーナーになろうぜ!」です。
第6話を初めて視聴したとき、唐突な「退院」発言と同じくらい違和感を覚えたセリフが「いっしょに最強のトレーナーになろうぜ!」でした。理由は単純で、「2人で最強のトレーナーになるって言い方なんか変じゃない?」と思ったからです。
「最強」という形容は、たとえば「世界最強の男」とか「動物界で最強なのは~」とか、基本的には1人or1種類のものを指して使われるものですよね。英語だと最上級は複数のものに対して使われたりもしますが、日本語だとそういう例はあまり見ない気がします。
もちろん、「うちらマジ最強~!」みたいなノリで使う場合はあるでしょう。ただ、それは自分たちを1つのチームやグループととらえたときの使い方です。勝つか負けるかで物事が決まり、戦いを勝ち抜いたただ1人がチャンピオンと呼ばれるポケモントレーナーの世界において、「(2人で)いっしょに最強のトレーナーになろう」は据わりの悪い言い方だと感じざるを得ません。
これがたとえば「最強のトレーナーになれよ!」であれば、何も違和感は覚えなかっただろうと思います。トミーは特段トレーナーになりたいとは言っていないし、直前に「ジョンをサポートする」と明言しているので。また、「いっしょに強いポケモントレーナーになろうな!」であっても、やはり引っかかったりはしなかったでしょう。ジョンが退院したら2人で一緒にトレーナーになって冒険する未来が待っているんだな、と話の流れで素直に思えるからです。
また、直前の「おれがサポートしてやっから」に重きを置き、「最強のトレーナーを目指すジョンをトミーが強力にサポートする、2人一丸となって頑張ろう」という意味合いの「いっしょに最強のトレーナーになろうぜ!」も考えられなくはありません。ただ、ジョンのサポート役に徹すると強調したいなら「おれがお前を最強のトレーナーにしてやる!」と宣言する方がわかりやすい気もするし、「いっしょに」というフレーズは出てこないのではないかと思います。
以上のように、流そうと思えば流せるものの、妙に気になる「【いっしょに】【最強の】トレーナーになろうぜ」発言。この発言が喚起する違和感は、トミー死亡説、および同説の延長線上にある「トミー=ジョンのドナー説」を前提とすると解消されます。
直前の会話では、何かが「うまくいった」ためにジョンの健康状態が良い方へ向かうことが示唆されています(実際第7話では、ジョンはようやく病院の外に出ることを許され、ダンデの試合を観る夢を叶えています)。「経過をみる」という発言を踏まえると、おそらくジョンは病気を治すために手術等の処置を受けたのでしょう。それは無事に成功し、ジョンの身体は快方へ向かうことになりました。
そして、ジョンの病気の平癒と「トミーの退院」は深く関わっているのではないか……と考えるのが、トミー死亡説から派生する「トミー=ジョンのドナー説」です。トミーがジョンと一体となり、今後長く彼の命を支えていくのであれば、「いっしょに最強のトレーナーになろう」は矛盾を生みません。トミーはジョンが未来に羽ばたくための一翼となり、2人はずっと一緒に生きていくわけですから。
トミー死亡説から派生する「トミー=ジョンのドナー説」に関しては、「【薄明の翼】 「トミー死亡説」とジョンが得た2枚の翼――あの日、一歩踏み出した「僕ら」とは? 感想&考察 その2」の中で掘り下げて書きたいと思います。また、この会話シーンにおけるジョンの意味深な反応も、トミー死亡説を考える上で重要だと言えます。これに関しても次の記事で触れる予定です。
⑩オニオンしか見えていないかのようなタクシー運転手
第6話にももちろん登場するそらとぶタクシーの運転手。夜更けにオニオンとトミーを病院まで運ぶ役目を果たし、そのまま夜明け頃まで2人を待つという律儀な働きをしてくれます。
このタクシー運転手の言動も、トミー死亡説を考える上では重要なものです。とりわけ注目すべきは第6話終盤、トミーとオニオンがタクシーに乗り込む前後の彼の言葉です。以下に引用させていただきます。
(夜明け頃、2人を待ちながら)遅いな……大丈夫かな、あの子……
【公式】『ポケットモンスター ソード・シールド』オリジナルアニメ「薄明の翼」 第6話「月夜」(下線と括弧内の説明は引用者による)
(いつの間にかタクシーに乗り込んでいた2人に)お客さん、こんな夜の病院で何してたんですかい?
ポイントは、「大丈夫かな、あの子」という発言と、「お客さん」という呼びかけの2点です。「大丈夫かな、あの子たち」、あるいは「お客さんたち」と言ってもよさそうなところ、タクシー運転手はまるで1人の人間に対するかのような言葉遣いをしています。
「お客さん」については、2人をひとまとめにして呼びかけたと解釈することもできると思います。ただ、「大丈夫かな、あの子」は1人に対して向けたものとしか思えないセリフです。
ここから、「タクシー運転手には最初からオニオン1人しか見えていなかったのではないか」という疑いが浮上します(最初にタクシーに乗り込むシーンでも、「病院まで」と行き先を告げているのはオニオンで、トミーは「お願いします」と当たり障りのない発言をしているだけだったりします)。
「大丈夫かな、あの子」については、「オニオンはジムリーダー(=強いポケモントレーナー)だとすぐに分かるはず」、「一般人のトミーのみを案じての発言だ」といった意見も見かけました。なるほどなーと思います。
ただ、運転手視点でのトミーとオニオンは、第一に「理由は知らないけど夜更けに病院の敷地内に入っていった子供たち」なんですよね。別に野生ポケモンのひしめく危険地帯に向かったわけではないので、「大丈夫かな」は「病院の中で見とがめられて何かトラブル起こしてないかな」みたいな意味合いの呟きなんじゃないかと思います。だから、そこでトミーとオニオンをわざわざ分けたりはしないんじゃないかなーとも感じました。
また、トミーが単独で病院に潜入した&運転手がそれを知っている(そう推測している)場合であれば、「あの子」発言も違和感がないかもしれません。ただ、終盤の握手シーンを見ても分かる通り、オニオンもトミーとともに病院内に侵入しているんですよね(2人が握手した場所は第1話でも映る病院の屋上)。そもそも運転手は2人が病院に向かった理由を知らないので、「友人に会いたいトミーをオニオンがサポートしている」といった事情も当然知らないはずだと考えられます。
もっとも、上に引用した運転手のセリフは、英語版だとトミーとオニオンの2人に宛てたものであることが明示されています。これに関しては、「トミー幽霊説を否定する"Twilight Wings"」の中で詳しく述べます。
トミー死亡説を否定する描写群
続いて、トミー死亡説を否定する(=同説とは矛盾する)描写を見ていきます。ここで挙げるのは3つのシーンです。第7話の内容にも触れています。
Ⅰ.オニオンによる「警備員の陽動」
トミー死亡説の否定材料その1は、病院に侵入する際にオニオンが警備員を驚かせていることです。詰め所の扉を開き、彼がチェックしに行く隙に正面に回り込み、戻ってきた警備員をゴーストと一緒にびっくりさせる……というシーンですね。警備員の叫び声をバックに、トミーがひとり病院の建物へと向かう様子が描かれています。
トミーが死んでいる、すなわち霊感のあるオニオン以外には見えない存在であるならば、警備員を脅かして気をそらす(その隙にトミーを病院に侵入させる)必要はない。つまり、オニオンによる警備員の陽動は、トミーが生身の人間であることを示している……と考えられるわけです。
ただ、オニオンによる脅かし作戦については、別の見方もできるのではないかと思います。ポイントは第6話終盤の握手シーンです。このシーンでトミーとオニオンがいる場所は、背後の建物や樹木とベンチの配置から推察するに病院の屋上なんですよね。つまりここで、トミーだけでなくオニオンも一緒に病院内部に侵入していたことが判明するわけです。
もし「トミーだけが病院に入り、オニオンは外でトミーの帰りを待つ」というプランであれば、オニオンによる警備員脅かし作戦は明らかに陽動を目的とするものでしょう。
しかし、オニオンもトミーと一緒に病院内部に侵入していたのであれば話は違ってきます。あの脅かしはトミーを秘密裏に侵入させるためのものではなく、自分自身が病院内に入るための手段だったのではないか……と考えることも可能だからです。その場合、たとえトミーが常人には知覚できない存在であるとしても、オニオンが警備員を驚かせたことに致命的な矛盾は見当たりません(詰め所の扉についてもゴースト以外の手持ちになんとか開けてもらえばOK)。
以上より、「オニオンが警備員を脅かして陽動しているからトミーは生身の人間である」とは断言できないのではないかと思います。まあそもそも「オニオンが病院に入る必要性ある?」と思わないではないですが、単純にトミーが心配だったとか手持ちと一緒に見張りをするためとか、色々と役割はありそうです。
Ⅱ.トミー幽霊説を否定する"Twilight Wings"(「薄明の翼」英語ver.)
海外向けのポケモン公式のYoutubeチャンネル、The Official Pokémon YouTube channelでは、「薄明の翼」の英語版が配信されています。実は、英語版の「薄明の翼」・第6話では、「トミー死亡(幽霊)説」がきれいに否定されています。
まずは上でも取り上げた、2人が病院から戻ってくる前後のタクシー運転手の発言を英語版で見てみましょう。
(夜明け頃、2人を待ちながら)What's keeping those two? I wonder if everything is all right.
Pokémon: Twilight Wings | Episode 6 | Moonlight(下線と括弧内の説明は引用者による)
(タクシーに乗り込んでいた2人に)So, what were you doing at the hospital so late at night? You both okay?
日本語版では「あの子」だった部分が、英語版では"those two"と明確に2人を指す表現になっています。また、「お客さん」と呼びかけていた部分も、"You both"とトミーとオニオンの2人に向けた言葉になっています。英語版におけるタクシー運転手は、「今夜自分が乗せたのは2人の子どもである」とはっきりと認識しているわけです。
続いて、同じく上で触れたジョンに対するトミーの語りかけを英語版で見てみます。
Let's become the greatest trainers together!
Pokémon: Twilight Wings | Episode 6 | Moonlight(下線は引用者による)
英語版においては、「最強のトレーナー」が"the greatest trainers"と複数形で表現されています。つまりそれまでの文脈から、「『2人で』いっしょに最強のトレーナーになろうぜ」と、「お前とおれの2人で」という主張を感じ取れるセリフになっているわけです。
以上2つの例より、英語版では「運転手はトミーを認識していないのでは?」という疑惑はそもそも成立せず、「2人で最強のトレーナーになるっておかしくない?」という違和感も感じ取れません。したがって、英語版・「薄明の翼」の言葉選びは、トミー死亡説を否定する強力な根拠であると言ってもよさそうです。
とはいえ、どうしてタクシー運転手の言動(上で触れた部分)は日本語版と英語版でけっこう違うんだろうとやや不思議です。「日本語で曖昧な部分がより厳密な英語表現で確定した」と考えるのが自然かもしれません。ただそれでも、「あの子」と"those two"の差異は解せないんですよね。呼びかけの「お客さん」はともかく、2人を対象にしているなら、日本語でも当然「あの子たち」と複数形で表現するだろう場面だと思うので。
あと、トミー死亡説の延長線上で「今後はトミーがジョンの命を支える役目を果たす、ずっとジョンに寄り添っていく」と解釈するなら、英語版の「(2人で)いっしょに最強のトレーナーになろうぜ」はむしろ同説の補強として働くような気もします。
「【薄明の翼】 なぜ「夜明け前」ではなく「黄昏時」か――主人公ジョンとチャンピオン・ダンデが直面する「人生の薄明」 【第7話感想】」でもチラッと言及しましたが、私は「トミーがジョンを肉体的な制約から解き放った説」を支持しています。詳しいことは、次回の「【薄明の翼】 「トミー死亡説」とジョンが得た2枚の翼――あの日、一歩踏み出した「僕ら」とは? 感想&考察 その2」の中で書く予定です。
Ⅲ.第6話以降のトミーの動向が示されている
トミー死亡説の否定根拠その3は、時系列的に第6話より後のエピソードorイラストで、トミーの姿が描かれていることです。
最も重要なのは、第7話であり最終話である「空」だと言えます。トミーはこの第7話に一瞬ながら登場しているからです。それも第6話で仲良くなったオニオンと一緒に、スタジアムの観戦席からダンデの試合を観て盛り上がっている様子が描かれています。トミーもフツーに試合見に来てるやん、生きてるやん、という話ですね。
もっとも、第7話におけるトミーの登場の仕方(トミーの扱われ方)は、かえってトミー死亡説を補強しているように個人的には感じました。この点に関しては次回の記事で詳しく書こうと思います。
もう1つの根拠は、先ほども(「退院したのに赤いスニーカーを履いていない」の中で)触れた、最終話の配信後に山本監督がツイートされたイラストです。 同イラストには、おそらくは「薄明の翼」最終話のその後、病気を克服したらしいジョンとトミーがポケモントレーナーとして旅に出ようとする場面が描かれています。トミー元気やん、やっぱり生きてるやん、という話ですね。
山下監督は、たとえば「最終話の後のジョンとトミーです」とは書かず、視聴者への感謝とともに「──あの日、僕らは一歩 踏み出した。」というお馴染みのキャッチコピーを付されています。上で「おそらくは」と書いた通り、たぶん最終話後の2人を描いたものではあるものの、イラストに描かれている内容がありのままの未来かどうかは確定していません。
とはいえ、ジョンがココガラを連れていたりトミーが赤い靴を履いていたりと、同イラストはシリーズを第7話まで視聴した後に観ると感慨深くなる素晴らしい一枚なんですよね。これを引いてトミー死亡説に繋げるのは無粋だと思うので、このイラストに関しては単に「幸せな未来」として受け取っておいた方がいいのかなーと思います。
*****というわけで、トミー死亡説を暗示する描写の数々と、同説に対する否定意見・根拠についてまとめました。次回の記事その2では、第7話の視聴後に、私自身がトミー死亡説をより強く意識した理由について書きたいと思います。更新したら追記します。
ところで、「薄明の翼」EXPANSION ~星の祭~の公開が発表されましたね。剣盾DLC第2弾・「冠の雪原」の配信にあわせての発表なので、もしかすると星の祭=スタートーナメントなのでしょうか。その場合、第7話で登場したジムリーダーたちが再び集結するのかもしれません。すごく楽しみです。
この記事的には、「トミーが登場するか否か」が超気になるポイントです。(第7話まで視聴した上で)トミー死亡説はフツーに「ある」と私は考えています。ただ、おそらく「薄明の翼」のその後を描くだろう特別編で再び同説が匂わされるかと言えば、可能性は低いような気がします。それどころか健康になったトミーがジョンと一緒にアッサリ登場しても驚きません。それはそれ、これはこれというか、シリーズ好評を受けてのお祭りアニメで暗い内容を描くことはないんじゃないかなーとも思うので(主人公ジョンにとってはその方がハッピーだし)。
正直なところ、特別編の発表がわかった時点でこの記事をアップしようかどうか迷いました。機を逸した感もあるし、単純にとんでもない大ハズレ考察になったらめっちゃ恥ずかしいなーとも思ったので。でも全7話を視聴して思ったことを自分なりにまとめたかったので、腹をくくってアップすることにしました。とりあえず、続く記事その2を11月5日の配信までに更新できるよう頑張ります。→ 更新しました!
→ 【薄明の翼】 「トミー死亡説」とジョンが得た2枚の翼――あの日、一歩踏み出した「僕ら」とは? 感想&考察 その2
※「薄明の翼」第7話から、一見対照的な立場にある主人公ジョンとチャンピオンダンデの共通点を考える記事も書いています。
・【薄明の翼】 なぜ「夜明け前」ではなく「黄昏時」か――主人公ジョンとチャンピオン・ダンデが直面する「人生の薄明」 【第7話感想】
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