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【薄明の翼】 「トミー死亡説」とジョンが得た2枚の翼――あの日、一歩踏み出した「僕ら」とは? 感想&考察 その2

2020/11/06
旅・映画・本・アニメ 0
薄明の翼 アニメ 感想 考察 レビュー ポケモン剣盾

ポケモン剣盾のオリジナルアニメ・「薄明の翼」に登場するトミーの死亡説とその行方について考える記事・その2です。前回は第6話のみを掘り下げましたが、今回は最終話である第7話「空」やシリーズ全体の構成などに注目します。アニメーション制作はスタジオコロリド。薄明の翼全体のネタバレを含みます。

※公式サイト:『ポケットモンスター ソード・シールド』 オリジナルアニメ「薄明の翼」

薄明の翼 考察 トミー死亡説とジョンが得た2枚の翼 あの日、一歩踏み出した「僕ら」とは 見出し画像 Photo by Guillaume M.on Unsplash

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「薄明の翼」に登場するオリジナルキャラクターにして主人公ジョンの親友・トミー。前回の記事では彼にまつわるある可能性、すなわち「トミーは第6話時点ですでに死んでいるのではないか」という疑惑(トミー死亡説)について、第6話「月夜」内の描写を細かく見ていきました。

今回の記事その2では、最終話まで視聴した後に、私自身がトミー死亡説を「アリ」だと思った理由を書きます。まずは同説が浮上した経緯を簡単におさらいした後、4つの視点からトミー死亡説を再考します。最後に、「薄明の翼」のキャッチコピーの実相に触れてまとめとしたいと思います。以下には「薄明の翼」シリーズのネタバレが含まれます。未見の方はご注意ください。

≪前回の記事:【薄明の翼】 「トミー死亡説」と10の暗示――第6話「月夜」を振り返る 感想&考察 その1

第6話における「トミー死亡説」と10の暗示

第6話とトミー死亡説のヒントを振り返る 考察 Photo by Tony Detroit on Unsplash

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まずは、トミー死亡説が浮上した第6話「月夜」を簡単に振り返ります。前回の記事(【薄明の翼】 「トミー死亡説」と10の暗示――第6話「月夜」を振り返る)で書いた、10の気になるポイントについてもおさらいします。※すでに把握済みの方は、次の【最終話まで見終えてトミー死亡説は「アリ」だと思った理由】へ飛んでください。

「薄明の翼」のオリジナルキャラクターである「ジョン」と「トミー」は、第1話に登場する入院中の2人の少年です。第6話は、仲違いしてしまったジョンとトミーの和解にスポットを当てています。

ジョンと喧嘩し仲直りできないまま退院したトミー。彼が頼った相手はゴーストタイプのジムリーダー・オニオンでした。「直接会いに行けばいい」と諭すオニオンとともに、トミーはタクシーに乗って夜の病院へ。病室へ忍び込んで無事にジョンと和解し、白みゆく空の下、協力してくれたオニオンと握手を交わす……というのが第6話のあらすじです。

さて、この第6話には奇妙かつ意味深な描写が存在します。ストレートに書くと、「トミーはすでにこの世を去っているのではないか?」と思いたくなるようなシーンやセリフです。ゆえに、第6話と「トミー死亡説」は一部の視聴者の間で様々に取り沙汰されました。

前回の記事では、「トミー死亡説」と絡めてトミーにまつわる10の気になる描写をピックアップし、自分なりの補足や意見も交えてまとめました。詳細な内容が気になる方はリンクからお読みください。ここでごく簡単に書き出すと、以下の通りです。

  1. ポケモントレーナーではない子供が夜中にひとりきりで墓場を訪ねるシチュエーション(トミーはつい最近まで入院していた少年であり、かつ一緒に冒険して時には身を守ってくれるポケモンを連れていない。なぜあえて夜中に、それも野生ポケモンの跋扈する墓場へ独りでやってきたのか)

  2. オニオンに出会う前後の不自然な挙動(直前に脅かされて逆方向に走っていったのに、物音を立てることなくあっという間にオニオンの真後ろに回り込んでいる。オニオンと対面しているゲンガーたちがそれに気づかない不思議と、テレポートじみた出現がギャグにもホラーにも繋がらずにさらっと流される謎)

  3. ゴーストタイプのポケモンに触れている(「ゴーストタイプのポケモンに素手で触れることはできない」と解釈されることが多い)

  4. 数多いるジムリーダーの中から霊感のあるオニオンを選んで頼った(ガラル地方にはジムリーダーが18人いる。発言や描写より現状上位入りしてジムを任されているのはサイトウ(剣限定ジムリ)であり、オニオン(盾限定かつサイトウと対のジムリ)はマイナーリーグにいる可能性が高い。まだ幼いことや本人の気質から、実績や認知度も他のジムリよりは相対的に低いと思われる。なぜトミーはオニオンを選んだのか。オニオンにあって他のジムリにないもの、つまり霊を見る力を求めたためではないか)

  5. 唐突な「退院」(長期入院中&回想で「いつ退院できるかわからない」と荒れていたのに、それほど時間も経っていないだろう第6話で早々に退院しているのはなぜか。病気が治って実際に退院するまでにはある程度猶予があるはずなのに、離れ離れになる前にジョンと仲直りしようとしなかったのはなぜか。実は病に倒れて急死し、ジョンと仲直りしたくてもできなかったのではないか)

  6. 退院したのに赤いスニーカーを履いていない(トミーは回想で赤いスニーカーを磨いていた。回想の内容や山下監督のツイートしたイラストを見るに、トミーにとっての赤いスニーカーは、病気を治して自由に生きることの象徴ではないか。しかし退院したと語るトミーは、赤いスニーカーどころか病室に飾っていたカッコイイ靴も履かず、入院時に履いていたものと同じ青い靴を履いている)

  7. 昼間ではなく夜間にジョンの病室を訪ねた(昼間に堂々と行けばいいのに、面会時間が終わりジョンも寝ているだろう夜更けに、警備員の目をかいくぐってまで病院に忍び込んでいる。社会的立場のあるオニオンもトミーの行動を咎めず、むしろ積極的にサポートしている。単なる作劇上の都合でないとすれば、トミーが昼間に活動できないorひとりでは墓場から病院へ行けない状態だったからではないか)

  8. ドアを開けるカットなしに病室に入っている(トミーと対比するかのように、警備員についてはSE付でドアを開閉するカットが存在する)

  9. 「いっしょに最強のトレーナーになろうぜ!」発言(日本語で「最強の」と形容するときは、基本的に1つの物or1人の人間を指すことが多い。「いっしょに」と「最強の」が同時に使われることへの違和感)

  10. オニオンしか見えていないかのようなタクシー運転手(具体的には、「大丈夫かな、あの子」という呟きと「お客さん」という呼びかけが1人に宛てたもののように聞こえる。乗車時に「病院まで」と行き先を告げているのも実はオニオン。運転手には最初からオニオン1人しか見えていなかったのではないか)

以上のように、第6話にはよくよく見返すと違和感があったり疑問符が浮かんだりするシーンが散見されます。ここからトミー死亡説(トミー幽霊説)が浮上し、さらに「いっしょに最強のトレーナーになろうぜ!」発言より、「トミー=ジョンのドナー説」などの仮説も浮かび上がりました(同疑惑については後述します)。

もちろん、トミー死亡説に対する否定材料も存在します。「トミーが幽霊ならオニオンが警備員を驚かす必要はない」とか、「英語版ではタクシー運転手が明確に2人に対して呼びかけている」とかですね。特に後者は強力な根拠です。これらトミー生存を示す描写に関しても、前回の記事の中で異なる見方や疑問に感じる点を付してまとめています。

≪関連記事:【薄明の翼】 「トミー死亡説」と10の暗示――第6話「月夜」を振り返る 感想&考察 その1

最終話まで視聴してトミー死亡説は「アリ」だと思った理由

さて、第6話の内容を振り返ったところで、シリーズ最終話にあたる第7話および「薄明の翼」シリーズ全体を、「トミー死亡説」を念頭に置いて眺めてみたいと思います。

実は、疑惑の第6話を視聴した時点では、私は特段トミー死亡説を支持していませんでした。他の方の感想を拝見する中で「たしかに色々と辻褄が合うなあ」とは思ったものの、あくまで「すごく面白い考え方だな」くらいで、トミー死亡説に深く納得していたわけではありませんでした。

しかしその数週間後、第7話を視聴し終えて感慨に浸りながら、「トミーは本当にこの世を去ってしまったのかもしれないな」とふと感じました。そういうフィーリングは大事にしたい派なので、直感の原因を掘り下げたり、第6話を振り返ったり、シリーズ全体の構成を俯瞰したり、制作陣に対するインタビュー記事を見直したりして色々と考えました。そして、最終的にトミー死亡説はフツーに「アリ」だと思うようになりました。

以下では、いくつかの観点から「トミー死亡説」を考えてみたいと思います。具体的には、①「薄明の翼」シリーズのコンセプトに照らした際の第6話の特異性、②最終話におけるトミーの扱われ方、③3枚のコンセプトアートとトミーの消失、④第6話の病室シーンは現実か夢かの4点に注目します。

トミーが主役の第6話は唯一「夜」の物語である

夜空 流れ星 子供 一人 Photo by Jonatan Pie on Unsplash

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まず最初に、トミーが主役を務める第6話の特異性と、全7話の「薄明の翼」シリーズにおいて第6話が持つ意味合いについて考えます。以前書いたなぜ「夜明け前」ではなく「黄昏時」か――主人公ジョンとチャンピオン・ダンデが直面する「人生の薄明」と内容がかぶる部分も多いです。

第6話「月夜」は、そのタイトル名通り「夜の物語」です。エピソードは夜に始まり、夜が明ける前に幕を閉じます。実は、この「夜に始まり夜に終わる」構成は「薄明の翼」シリーズにおいては異質なものです。というのも、第6話という例外を除くと、「薄明の翼」は基本的に黄昏時にスポットライトを集める作品だからです。

たとえば、第1話のハイライトである主人公ジョンがローズ委員長を追いかけて手紙を手渡すシーンを見てみましょう。このシーンでは屋上全体がオレンジ色に照らされ、日が傾いていることがわかります。その他、第3話のホップとウールーの再会シーン、第4話のルリナがミロカロスの背に乗って泳ぐシーン、第7話でジョンが憧れのダンデに出会うシーンなど、エピソード内の重要なイベントはたいてい「黄昏時」に発生しています。

また、公式サイトを下にスクロールすると見られる「薄明の翼」シリーズのコンセプトアート(東みずたまりさんによるジョン&トミーのイラスト)もまた、色合いや影の伸び方から黄昏時を描いたものだと考えられます。以上より、「薄明の翼」は全体として「黄昏時の物語」とでも言うべき側面を持っているわけです。

そして上のように考えたとき、「夜の物語」としての第6話の異質さはいっそう際立ちます。主役のトミーは夜に墓場を訪れ、夜更けに病院へ忍び込み、夜明け前にオニオンと握手を交わします。子供が1人きりで夜の墓場を訪れるシチュエーション以前に、夜にのみ狙いを定めた第6話は、「薄明の翼」のコンセプトにそぐわない一種特異なエピソードであるわけです。

さて、ここでいったん第6話を脇に置き、【なぜ「薄明の翼」は夜明け前ではなく黄昏時を好んで描くのか】について考えたいと思います。

「薄明」という言葉が指す時間帯は、「夜が明ける前」と「日が沈む頃」の2通りです。「薄明の翼」が剣盾本編より前のストーリーであるなら、(本編開始を“夜明け”に見立てて)「夜明け前」の方を推し出しそうなものだと思います。実際脚本家の木下さんも、タイトルの薄明には「(空の)夜明け」の意味を込めている……と制作陣インタビューにて言及されています。

しかし現に、「薄明の翼」はエピソード内で必ず黄昏時を描き、そこに重要な意味を持たせています。これはなぜか。前回の記事であれこれと考えたわけですが、その中で、「薄明の翼」はガラル地方に生きる人々をリアルに描いた物語だから、夜明け前ではなく黄昏時に重点を置いたのではないかと考えました。

公式サイトのストーリー概要欄を確認すると、【「ガラル地方」で暮らす若者たちの苦悩と葛藤を、リアルに描いた物語】という文言が載っています。この一文に注目すると、「薄明の翼」シリーズが、夜明け前ではなく黄昏時にスポットライトを当てた理由が見えてきます。

ポイントは、「人の活動」です。夕日が沈む頃と朝日が昇る前を比べたとき、より多くの人が起きて活動する時間帯はどちらの方でしょうか。単純に考えれば前者、つまり黄昏時の方ではないかと思います。特に若者にターゲットを絞った場合、夜明け前に起きている人は夕方に起きている人よりも圧倒的に少ないはずです。だからこそ、ガラル地方の若者をリアルに描く「薄明の翼」は黄昏時の方に焦点に絞っている……と考えられるわけです。

「薄明の翼」のコンセプトはガラルの若者をリアルに描くことであり、ゆえに人の活動が活発な黄昏時を重視した。そういう風に考えると、「では、どうしてトミーが主役の第6話だけ終始夜に展開されるのか?」という疑問が湧いてきます。

トミーが活動するのは多くのガラル人が眠っているだろう時間帯です。他のエピソードの主人公は大人も含めておおむね常識的な時間帯に活動するのに、どうしてまだ子供のトミーだけは、そこから大きく逸脱しているのでしょうか。

この違和感は、トミー死亡説を前提にすると解消されます。ガラルに生きる主人公たちの日常を描く他6つのエピソード(黄昏時に重点)に対して、ガラルで死んだ主人公の非日常を描く第6話(夜に重点)がある……と考えるわけです。

つまり、全体として生者の物語である「薄明の翼」シリーズにおいて、第6話だけは死者の物語としての性格を持ち、だからこそ夜を舞台に話が展開されるのではないでしょうか。死者であるトミーはもはや生前の肉体的・社会的な時間のサイクルにとらわれず、ゆえに夜を徹して活動し、夜が明ける前に退場したのではないでしょうか。

上のように考えたとき、トミーの同伴者に最適な剣盾キャラはやはりオニオンを置いてほかにはいません。彼が霊感を得たそもそもの理由は、幼い頃事故に遭い生死の境をさまよったからです。一度は死の世界に臨み、生還後もゴーストポケモンに囲まれて暮らすオニオンは、他のガラル人よりも死の世界を身近に感じている少年だと言えます。だからこそ、夜と死者の物語である第6話の同伴役として登場したのかもしれません。

ところで「第6話は夜の物語である」と最初に書きましたが、同エピソード内でも黄昏時のシーンは描かれています。ジョンとトミーが深刻なケンカをする場面です。黄昏時のシーンがあるなら上の推測は当てはまらないのでは……と思われるかもしれません。しかし、あのシーンの存在は「トミー死亡説」をさまたげるものではないと思います。

というのも、あの2人の喧嘩シーンは過去回想であるとハッキリと示されているからです。あの時点のトミーはおそらく、自身の将来について暗い予感を抱きつつもちゃんと生きていました。だからあのシーンで病室が夕日によって真っ赤に染められていたとしても、特段の矛盾はないと言えます。

ちなみに、夕暮れの空気感を柔らかく描写する「薄明の翼」において、夕日の光線があれほど赤くまがまがしく描かれるのは第6話の喧嘩シーンくらいです。あの太陽の断末魔とでも言うべき赤は、トミーのネガティヴな心象を映すものであり、その後に起こった悲しい出来事と訪れる夜を暗示するものではないかとも感じます。

第7話におけるトミーの登場は1カットのみである

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続いて、第7話におけるトミーの登場シーンについて考えます。ジョンの夢が叶う第7話にて、トミーは観客達が次々と映るシーンで再登場しました。該当場面を最初に観たとき、「あれトミーいるやん、生きてるやん」と私は思いました。ただよくよく見直すと、この登場の仕方はトミー死亡説を否定するものではなく、むしろ補強する可能性さえあるのではないかと感じました。

まず、トミーはオニオン&ゲンガーたちと一緒にスタジアムで試合を観戦しています。あの後仲良くなったオニオンに招待してもらった、と考えれば別におかしくはない話です。

ただしこのシーンでも、オニオン以外の人物がトミーを認識している描写はありません。一緒にいるのは霊感のあるオニオン&ゴーストタイプのゲンガー族だけで、はしゃいでいるトミーの周りに他の観客などの姿は見えないからです。よって第7話でも第6話と同じく、トミーは幽霊でありオニオンに同伴してもらいスタジアムにやってきた……と考えることは可能です。奇しくも第7話で試合が行われている時間帯は、第6話と同じく夜中だったりします。

また、第7話におけるトミーの登場自体がアッサリしすぎている点もやや気になるポイントです。キービジュアルのイラストでジョンとともに描かれ、第1話に登場したトミーは、公式サイトのキャラクター紹介ではジョンの隣に配置されています。しかし締めとなる最終話でガッツリとスポットライトを浴びたジョンに対し、トミーはわずか1、2秒ほど登場したのみでした。

そもそも「薄明の翼」のキャッチコピーは、“あの日、僕らは一歩 踏み出した。”です。各エピソードで主役になったジョン、トミー、サイトウ、ホップ、ルリナ、オリーヴのうち、一人称が「僕(ぼく)」なのはジョンただ1人です。「ダンデの試合を観たいジョン」に始まり「ダンデの試合を観ることができたジョン」に終わるシリーズなので、同キャッチコピーも第一にジョン少年視点のものであると解釈するのが自然ではないでしょうか。

そしてジョンにとってともに一歩を踏み出す「誰か」とは……と考えたとき、その対象は親友兼理解者であり同じ病室で暮らしていたトミーを置いて他にないのではないかと思います。

それにもかかわらず、ジョンにとっての「あの日」に当たる第7話でトミーはほんの1カットしか登場しませんでした。

もしも第7話でジョンがポケモントレーナーとして冒険を始めるところが描かれ、その隣にトミーがいたならば(たとえば山下監督がツイートされたイラストのような内容がアニメで描かれたのであれば)、特に違和感は覚えなかったと思います。

退院したジョンをサポートする、一緒に最強のトレーナーになる……というトミーが明確に言及した夢を踏まえると、同じ志を抱くジョンと一緒に冒険に出るというのは、まさしく「あの日、僕らは一歩 踏み出した」を体現する結末だからです。

しかし実際の最終話では、トミーは「ダンデの試合を観たい」というジョンの夢の実現の場に居合わせたのみでした。それもジョンと交流するわけでもなく、「ジョン、よかったな!」と祝福するわけでもなく、ダンデの生試合に興奮する様子が描かれただけです。いくら第6話で主役を張ったとはいえ、最終話でのトミーの影の薄さは(ジョンがまったくトミーを気にしないことと併せて)どうにも気になるというか、全体の流れを思うとやや不思議になるポイントでした。

そこでふと頭をもたげたのは、「トミー死亡説」および「トミー=ジョンのドナー説」でした。要するに、最終話で一歩踏み出したジョンは、その時点で彼は「僕」ではなく「僕ら」だったのではないか、と。

そういう風に捉えるなら、最終話でジョンとトミーに割かれるシーン量に圧倒的な差があったことにも合点が行きます。トミーがジョンの命を支えているとするなら、夢を実現し次のステップへ踏み出そうとするジョンにクローズアップすることは、「ジョンをサポートし一緒に最強のトレーナーになる」というトミーの夢を描くことでもある……と解釈できるからです。

3枚のコンセプトアートとトミーの消失

コンセプトアートとトミーの消失 薄明の翼 トミー死亡説考察 Photo by Kelli Tungay on Unsplash

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「薄明の翼」には何枚ものコンセプトアートが存在しますが、トミー死亡説に絡んで注目したいものが3枚あります。その3枚はどれもジョンに関わるものであり、時間の経過とともにトミーの消失が明示されているのです。

まず1枚目は公式サイトにも掲載されている、シリーズ全体のキービジュアルになっているものです。「病院屋上のベンチから(たぶん)シュートシティを指差すトミーと、それを顔を輝かせて眺めるジョン」というイラストですね。このイラストの時間帯は、先ほども述べた通り「黄昏時」だと思われます。

次に注目したい2枚目は、以下のツイートで公開されたコンセプトアートです。1枚目の「夜バージョン」と説明されている通り、夜の病院の屋上からシュートシティを眺めるジョンが描かれています。

1枚目と2枚目で明確に異なる箇所は2つ。1つ目は時間帯が黄昏時から夜になっていること、そして2つ目はトミーが消えていることです。初報で公開された黄昏時の1枚目に居たトミーは、2枚目の夜バージョンでは忽然と姿を消しています。顔を輝かせてトミーを見ていたジョンも、どこか心許ない様子でガラルの夜景を眺めています。

そして3枚目は、最終話の配信後に公開されたコンセプトアートです。スタジアムに降り立ちチャンピオンダンデと対面するジョンを描いたイラストであり、スタジアム奥から光が放たれているような構図から、「夜明け」を彷彿とさせる一枚になっています。

この3枚目には皆勤賞のタクシー運転手はもちろん、遠くの方にサイトウやルリナ、オリーヴなどそれまでのエピソードで登場したキャラクターの姿が描かれています。しかし、その中にトミーの姿はありません(ちなみにホップもいません。アニメでの描写通りテレビで観戦しているのでしょうか)。

まとめると、キービジュの1枚目は黄昏時、第6話配信後に公開された2枚目は夜、最終話配信後に公開された3枚目は夜明け……と、明確に時間が経過していることが分かります。

そしてこの3枚は、アニメで描かれたジョンの状況の変化を忠実に示してもいます。悩み多き人生の黄昏時にあるジョン(第1話)→暗い夜が訪れ病院に1人残されたジョン(第6話)→夜が明けて夢を叶えたジョン(最終話)……という風に。※このエピソードと時間帯の対応&変化に関しては、以前の記事でも詳しく触れました。

≪関連記事:【薄明の翼】 なぜ「夜明け前」ではなく「黄昏時」か――主人公ジョンとチャンピオン・ダンデが直面する「人生の薄明」 【第7話感想】

そして注目したいのは、コンセプトアート1枚目(第1話と対応)でジョンの隣にいたトミーが、2枚目(第6話)で消失し、ラストの3枚目(最終話)においても姿を消していることです。

もちろん、2枚目にトミーがいないのは第6話で彼が退院したためかもしれません。しかし1つのエピソードの主役を務め、第7話ではスタジアムにいる姿が描かれたのに、どうして最終話に対応する3枚目にもトミーは姿を見せないのでしょうか。主役になっていないローズやヤローやキバナが描かれているのに、「薄明の翼」オリジナルキャラクターでもあるトミーがわざわざ省かれているのはどうしてでしょうか。

コンセプトアートは、脚本から受けるイメージを統一するために具体的に描かれる絵だそうです(イラストレーター東みずたまりさんに聞く!WEBアニメ「薄明の翼」がもっと面白くなる制作陣インタビュー!より)。実際のエピソードの内容とも対応している上記3つのコンセプトアートは、トミーの行方を考える上で有力な手掛かりになるのではないかと思えてなりません。

第6話の仲直りシーンはまどろむジョンの見た夢か

手 友情 男性 二人 Photo by Toa Heftiba on Unsplash

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最後に考えたいのは、トミーの親友であるジョンの反応です。最初に結論から書くと、第6話での2人の和解シーンは現実のようであって現実ではなく、眠るジョンにトミーが干渉することで実現したのではないかと思います。つまり、2人の仲直りはジョンの夢の中で成立した出来事だったのではないでしょうか。以下、そう考えた理由を書いていきます。

最初に気になったのは、第6話でトミーを見つけた際のジョンの反応・態度でした。「トミー?」と最初に驚いた声を上げはするものの、「どうしてこんな時間に?」とか「どうやってここに来たの?」といった当然生じるだろう疑問はぶつけず、最後まで平静にトミーとやりとりしています。単に尺がなかっただけかもしれません。しかし、普通なら「えっ、なんでここに!?」ともっとびっくりしてもいい場面だと思うので、ごく素直にトミーを受け入れていることが不思議でした。

そこでふと思ったのは、「ジョンはもしかして夢を見ているんじゃないか」ということです。つまり、喧嘩別れしたトミーが突然夜中に病室に現れ、仲直りをしたのち自分を励ましてくれる……そんな幸せな夢をジョンは見たのではないかと思いました。会話の後にトミーが退出するシーンが描かれないのも、あのタイミングでジョンが目を覚まして夢が途切れたためではないか、と。

たとえば、夢を見ているときには非現実的なことがバンバン起こりますよね。空を飛んだり、高所から落ちたり、行ったことのないところにいたり、最近全然会っていない人と唐突に出会ったり。しかし不思議と夢を見ている最中には、「おかしいな、変だな」とは思わないものです。

実は、ヒトの脳には「今認識している出来事は経験・常識に照らして妥当であるか否か」を判断する部分が存在し、かつ、寝ている間はその部分の働きが大きく低下すると言われています。そのため夢の中では常識的判断能力はうまく働かず、目の前で起きている出来事がどれほど奇妙であっても、さして抵抗なく受け入れてしまうのです。

その脳の働きを念頭に置くと、突然病室に現れたトミーに対してジョンが大きな驚きを見せなかったことにも納得が行きます。ジョンはトミーと現実に対面したわけではなく夢の中で出会っていて、ゆえに異常な状況をすんなりと受け入れた……と考えられるわけです。

そして「第6話の再会は夢だったのではないか」という推測を補強する、気になる情報を2点発見しました。どちらもアニメを制作したスタジオコロリド(@studiocolorido)さんの公式アカウントからの情報です。1つ目の情報を引用させていただきます。

上のツイートでは、第6話のカラースクリプトが公開されています。クリックして拡大すると、墓場シーンから過去回想、そして月夜の再会の場面まで、色彩や明暗がその意図とともに細かく指定されていることがわかります。

注目すべきは、トミーが病室に現れるシーンに付された指定です。引用すると、「静かなモーメントを青い色で表現。夢なのか現実なのか微妙な瞬間なので背景具体的に描きすぎず、少し抽象的に表現したいです」……と記載されています。

「夢なのか現実なのか微妙な瞬間」……この部分を読んだとき、第6話の病室シーンはやっぱり夢だったのではないかという疑念は強まりました。

トミーはたしかにオニオンの助けを借りて病院へ向かい、ジョンと再会しました。しかしジョンにとってトミーとの再会は現実に発生したものではなく、眠りが見せてくれた夢の中での出来事だったのではないか。だからこそ、トミーの出現は「夢なのか現実なのか微妙な瞬間」と形容されているのではないか……と。

続いて、2つ目の気になる情報を引用させていただきます。

上のツイートに添付された画像は、「未公開設定放出!」と銘打って出された資料のうちの1つです。1枚目のカレンダーは、第7話でジョンの病室にあったもの。そして2枚目のカレンダーは、「第6話でカレンダーが映る場合はこちら準拠でよろしく」と指定されているものです。説明には、「霧深い森の中にいるサニゴーンです」と書かれています。

最初にこの指定を見たとき、「第6話にオニオンが登場するからサニゴーン指定なのかな?」と思いました。サニゴーンはオニオンの手持ちの1体です。ユニフォームのサスペンダーにサニーゴを模したマークがついていたり、オニオンの仮面の原料はガラルサニーゴが進化するときに割れた殻なのではないかと言われていたり、切り札のゲンガーに次いでオニオンと縁の深いポケモンだと言えます。

しかしよくよく見返すと、指定のある部分に引っかかりを覚えるようになりました。具体的には「霧深い森の中にいる」という指定です。まず、サニゴーンは野生では手に入らないポケモンです。ワイルドエリアのマックスレイドバトルで入手するか、ガラルサニーゴを進化させて手に入れる必要があります。

ただ、ワイルドエリアの巣穴にしてもガラルサニーゴの生息地にしても、「霧深い森」と形容できるような場所ではありません。オニオンのいるラテラルタウンは荒涼とした山岳地帯に位置し、(付近に暗いルミナスメイズの森はあっても)やはり「霧深い森」はありません。要するに、どうしてガラルサニーゴと「霧深い森」がセットで指定されているんだろう……ということが不思議でした。

ここで原作を思い返していただきたいのですが、剣盾本編には「霧深い森」と形容できる場所が1つだけ存在します。そう、ザシアンとザマゼンタが眠る「まどろみの森」です。つまり、第6話のジョンの病室のカレンダーには、「まどろみの森の中にいるサニゴーン」が描かれていたのではないでしょうか。

「まどろみ」とは、少しの間眠ることを意味します。だとすれば、第6話の病室に飾られた「まどろみの森の中にいるサニゴーン」は、あそこで起こった出来事が眠りに落ちたジョンが見た夢であることを暗示しているのではないでしょうか。

そして、もしも2人の仲直りがジョンの夢の中で成立したのであれば、病室に現れたトミーは生身の人間ではなかったということになります。もしかすると第6話カレンダーのサニゴーンは、単にオニオンの手持ちとして描かれたわけではなく、トミーがすでにこの世を去った存在であることをもほのめかしているのかもしれません。

トミーとジョンが1つになった可能性――トミー=ジョンのドナー説

薄明の翼 トミー死亡説 トミーはジョンのドナーなのか Photo by Piron Guillaume on Unsplash

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第7話におけるトミーの登場が1カットのみである」でも触れましたが、「トミーはジョンのドナーになったのではないか」という説があります。この項目では、その説に関して考えたいと思います(最初にことわっておくと、ドナー云々についてはふんわりとした認識で書いています)。

振り返れば第1話が配信された時点で、「トミーorジョンは命を落としてしまうのではないか?」という予想はちらほらとありました。「薄明」=「薄命」と連想したり、寿命を見通すゴチルゼルがじっとトミーの姿を目で追っているところに注目したり(後者はかなり説得力のある根拠だと思います)。

そしてそれら予想の中に、【トミーとジョンの名前の元ネタは「トミー・ジョン手術」ではないか】という説もありました。この説は「トミー死亡説」が浮上した第6話配信後に再注目されたので、わりと有名な話ではないかと思います。

「トミー・ジョン手術」は、ざっくり言うと野球選手が故障した肘を治すために受ける手術です。ポイントは、トミー・ジョン手術が移植手術であること。ここから、「ジョンはトミーから体の一部を移植してもらい、健康な体を手に入れたのではないか」……と考えるのが「トミー=ジョンのドナー説」です。

同説について、私は大いにアリな予想だと思っています。トミーはジョンと1つになったと考えれば、第6話における「いっしょに最強のトレーナーになろうぜ!」というやや違和感のあるセリフもきれいに解決します。ジョンに体の一部を提供したトミーは約束通り、退院後のジョンをずっとサポートしていくことになるわけなので。

そもそも、第6話で「退院」したトミーに関して死を連想させる奇妙な描写が様々あり、一方のジョンは健康状態について「うまくいった」と示唆されている、その2人の名前を合わせると移植手術を受けて大復活を遂げた1人のスター選手の名前が完成する……となると、「ジョンは亡くなったトミーから体の一部を移植してもらったのではないか」とどうしても考えたくなります。ジョンはポケモントレーナーを目指していて、ガラル地方のポケモンバトルはスポーツライクだし。

実はトミー=ジョンのドナー説と絡んで、第6話と第7話のジョンは気になる動作を見せています。それは、胸に手を当てる動作です。

もちろん、手を胸にやる仕草自体は第1話でも描写されています(ローズに「手紙を読んでください」とお願いする場面)。ただそこでは、その動作自体に目が行くように描かれているわけではありません。 一方、第6話(トミーに将来の夢を応援してもらった場面)と第7話(リザードンポーズをとるダンデを目の当たりにした場面)では、自然と目が行くような構図で胸に手を当てる動作が描かれています。

特に第6話については、「いっしょに最強のトレーナーになろうぜ」と告げられた直後に胸にぎゅっと手を押し当てていることがわかります。

仮にトミーが亡くなりジョンのドナーになったとして、おそらくジョンはその事実を知りません(知っていたら激しく取り乱すはず)。ただ、無意識下でトミーの退院と自分の体調の好転の関連に気づいている、あるいは体内にトミーを感じたがために、「いっしょに」というワードに反応して胸をぎゅっと押さえたのではないでしょうか。

また、第7話でジョンが胸を押さえるのは、「ダンデの試合をスタジアムで観戦する」という夢がまさに叶いつつあるその瞬間です。胸に手を当てながら、ジョンははらはらと落涙します。

第6話と共通するのは、ジョンの夢に関わるシーンであること。そもそも「ダンデの試合をスタジアムで観る」という夢が実現したのは、ジョンの体が快方へと向かったからです。だからこそ夢の実現を実感するシーンで、ジョンは親友の強力なサポートを感じて胸を押さえたのではないか、と想像してしまいました。

ところで、「トミー=ジョンのドナー」と仮定したとき、「ジョンはトミーが自身のドナーになったことを知っているのか」ということが問題になります。上で書いた通り、当然ジョンは何も知らないはずであり、周囲の大人も「トミーは退院した」とだけ伝えたのだろうと思います(ジョンだけでなく2人と関わっていたショートヘアの看護師さんもトミーに言及しませんが、それもトミーがアンタッチャブルな存在になっているせいではないか……と邪推したくなります)。

実は最終話の第7話で気になったセリフが1つありました。第7話前半の、「……また寝ちゃったの……?」という起き抜けのジョンの発言です。ダンデの試合を観に行かなければならないのに寝過ごしてしまったシーンでの発言ですね。

この発言を聴いたとき、「『また』ってどういうこと?」と疑問に思いました。というのも、「ジョンが寝坊をよくする」だとか「寝坊によって失敗した」だとかは、それまでのエピソードで特に描写されていなかったからです。だから、「……また寝ちゃったの……?」は唐突なセリフに思えました。

ただ、「わざわざ最終話に入れてくるくらいだから、このセリフはヒントなのではないか」と後で思うようになりました。つまり同セリフは、ジョンが第7話までのどこかのタイミングで一度寝過ごしてしまったことの示唆ではないか、それも単なる寝坊ではなく、その寝過ごしによって大事な機会を逃してしまったのではないか……と思ったわけです。

そういう方向に想像を膨らませると、「ジョンが寝過ごして大事な機会を逃した」のは、やはりトミーの「退院」の前後ではないかと思いました。つまり、トミーの「退院」はジョンが寝過ごしている間に発生した出来事なのではないでしょうか。だからジョンはトミーとお別れできず、仲直りすることもできなかったのではないでしょうか。

トミー=ジョンのドナー説だと仮定すると、トミーの退院とジョンの手術は続けざまに起こったはずで、渦中のジョンも何らかの胸騒ぎを覚えたはずです。ただ、友達が亡くなり自分の一部になったなどなかなか考えにくいことであり、周囲の大人もけして真実を明かさないだろうことから、最終的には「トミーの退院」をそのまま信じて受け入れたのではないかと思います。

そして、その無意識と意識の矛盾こそが、第7話のトミーに対する不思議な興味の薄さを生み、同時に胸を押さえる動作をさせているのではないでしょうか。以上、けっこう妄想含みで「トミー=ジョンのドナー説」について考えました。

ジョンが得た2枚の翼――あの日、一歩踏み出した「僕ら」とは誰か?

線路 子供 2人 Photo by Jonathan Pendleton on Unsplash

Photo by Jonathan Pendleton on Unsplash

ここまでトミー死亡説について、第6話の性格や第7話のトミー登場シーン、一連のコンセプトアート、第6話の病室シーンの解釈など、色々な視点から考えてきました。その上で、トミーはジョンのドナーになったのではないかという説についても(妄想多めに)触れました。

「薄明の翼」はオムニバス形式で展開されるシリーズですが、「全体の軸はジョンとトミーとして伏線を張っている」と山下監督はインタビュー記事でおっしゃっています。第1話のアンサーが第6話であり、その第6話のアンサーが第7話にあったり……といったことについても同じ記事で言及されています。

私自身は、「薄明の翼」は主人公ジョンが肉体面と精神面の両方についてサポートを得るまでの物語であると考えています。

後者の精神面のサポートを与えたのは、もちろんジョンの憧れの人であるチャンピオン・ダンデです。闘病するジョンの心の支えであったダンデは、スタジアムでの語りかけによって新しい夢(ポケモントレーナーになる)に向かうジョンの背中を強く押し、彼の心に「青空」をもたらしました。

そして、(そもそも第7話でダンデに会うには病院を出ても大丈夫な体が必要だったわけですが)「肉体面のサポート」をジョンに与えた存在は、他でもない親友のトミーではないかと思います。言うまでもなく「トミー=ジョンのドナー説」です。

親友から肉体的なサポートをもらい、憧れの人から精神的な支えをもらって、2枚の翼を得たジョンはようやく薄明の空を突っ切って未来へと羽ばたくことができた。それが「薄明の翼」の全容であり、第7話で一歩踏み出したジョンのすぐ傍らには、たしかに親友トミーの存在があったのではないか……と私は思います。

最後に、第4回の制作陣インタビューより、「薄明の翼」の演出や裏話について質問を受けた山下監督の回答を引用させていただきます。

ただ、たとえば4話のヨワシの中にメタモンが1匹いるとか、そういうのは全然言ってもいいんですけど、物語に深くかかわってくる部分は口にすると陳腐になるのであんまり言いたくないんですよ(笑)。
(中略)いっそ気が付かなくてもまったく問題はなくて。それは、「薄明の翼」のテーマにしているところでもあるので。気が付かなくても話はわかるけど、気が付くとさらに何かがある、みたいなところを目指して作っております。

監督の山下さん・助監督の渡辺さんに聞く!WEBアニメ「薄明の翼」がもっと面白くなる制作陣インタビュー!

気づかなくてもまったく問題はない、話はわかる、でも気がつくとさらに何かがある。そんな山下監督はじめ制作陣の方々の試みは、見事に成功しているのではないでしょうか。「薄明の翼」、本当に素晴らしい作品でした。最後まで心から楽しませていただきました。

*****

こんなに疑り深いのもどうなんだろうとか、ここまで行くと完全に妄想やんとか思いもしましたが、考えていて楽しかったし色々とスッキリしました。特別編に間に合わなかったことだけが心残りですが、普段の自分からするとけっこう驚異的なスピードで書けたので、そこはまあよかったかなと思います。

ところで、その特別篇(スペシャルアニメ「薄明の翼」 EXPANSION ~星の祭~)を観ました。以下、若干のネタバレを含む感想です。

完全に原作ファンに向けたプレゼントというか、原作とDLCにぐっと寄せた話で「薄明の翼」本編の話題は特に出ませんでしたね。この記事的に言えば「やっぱりそう来たか」という感想を抱きました。正直派手にNOを突きつけられる可能性も考えていたので、正直なところホッとしました(けっこう長い記事になったので)。

内容自体はストレートに胸が熱くなる展開でした。薄明本編よりもたくさんポケモンが出演していて(御三家もバッチリ)、シーンを止めつつ探すのが楽しかったです。あとやっぱりダンデがカッコイイ。CVもイイ感じですね。個人的にはマリィ&ネズさんが喋ってくれたことと、ポプラさんと例のあの人の繋がりがチラッと見えたことが嬉しかったです。

「薄明の翼」シリーズに関する感想&考察記事をいくつか書いています。

【薄明の翼】 「トミー死亡説」と10の暗示――第6話「月夜」を振り返る 感想&考察 その1
【薄明の翼】 なぜ「夜明け前」ではなく「黄昏時」か――主人公ジョンとチャンピオン・ダンデが直面する「人生の薄明」 【第7話感想】

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かーめるん
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