『SPIEGEL EI』(シュピーゲルアイ) 探索型サイコアドベンチャーゲーム 感想&考察 ※ネタバレ注意
「境界」のこちら側と向こう側とを行き来する探索型サイコアドベンチャーゲーム、『SPIEGEL EI』(シュピーゲルアイ)の感想&考察記事です。制作者はタオ様。作品のダウンロードページ(Vector)はこちらです。 → SPIEGEL EI
SPIEGEL EI
『SPIEGEL EI』は、孤児院に来た少女「アイ」が現実と心の狭間でさまよいつつ、「もう一人の自分」と対峙する物語です。全エンドの回収には2~4時間ほどかかりました。
ちなみに、“spiegel”はドイツ語で「鏡」を、“ei”は同じくドイツ語で「卵」を意味します。“spiegelei”と続けると、「目玉焼き」という意味になるそうです。
“ei”は「アイ」と発音するので、主人公の名前とかけているのでしょうか。また、ei=アイ=I(わたし)で「鏡の私」(=後述するエス?)という語呂合わせでもあるのかなーと思ったり。
『冠を持つ神の手』の制作者様が激賞されていたのを読み、興味をもってプレイしました。※かもかての感想記事も書いています。
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『SPIEGEL EI』の感想を一言で述べるなら、非常に面白い作品です。テーマ性の強いストーリー、ヴィジュアルへのこだわり、そしてある意味斬新なプレイヤーへの「仕掛け」など、見どころは盛りだくさん。完成度の高さと隙のなさが印象的なADVでした。ついつい夢中になってやり込んでしまい、気になった部分のメモや印象に残ったシーンのスクショが捗りました。
「少し風変わりなプレイヤー巻き込み型のADVがやりたい」「ミステリアスかつ一貫性のある不思議な世界観に浸りたい」「あれこれ考察するのが楽しい」「謎解きADVはもう粗方やってしまった」……という方に、特にオススメの作品ではないかと思います。
以下、『SPIEGEL EI』のストーリーやエンディングについての詳細な感想・考察です。未見の方はネタバレにご注意ください。
『SPIEGEL EI』のあらすじ
『SPIEGEL EI』(シュピーゲルアイ)のあらすじを書きます。
SPIEGEL EI
主人公は「アイ」という無口な少女です。彼女はゲームの冒頭でとある孤児院にやってきます。彼女がどういう経緯で施設に入ることになったのか、プレイヤーには当初明かされません。
同年代の「フロイ」と「テューマ」に引き合わされたアイは、2人に施設を案内してもらうことになります。しかしアイは、ふとしたことをきっかけに「鏡の中の世界」に迷い込みます。現実と鏡の中の世界を行き来するうちに、アイの精神には少しずつゆがみが生じ……。
アイを惑わし導く少女、「エス」の意図とは? アイを苛む過去とは? 「鏡の中の世界」とは何なのか?
アイの精神の歪み、エスへの対応、そしてプレイヤーの姿勢によって、物語は5つのエンディングに分岐します。
『SPIEGEL EI』の感想
先ほども書きましたが、『SPIEGEL EI』は非常に面白いADVです。細部まで制作者様の目が行き届き、テーマ性ははっきりしていて、独自の世界観や演出も見事です。個人的には大好きです。
綺麗に完成されそつがない分、ガツンとパンチの効いた要素(たとえば、『Ib』におけるギャリー青年だったり、『魔女の家』における衝撃のラストだったり、その作品を思い出したときにまざまざと浮かぶ一要素)にやや乏しい感はあるかもしれません。
とはいえ、後述するメタフィクション要素が『SPIEGEL EI』の目玉であり、ユニークなポイントだと私は思います。以下は項目別の雑感です。
サイコあるいはホラーな部分
『SPIEGEL EI』にショッキングな描写はさほどなく、背筋にじっとりと冷たい汗が伝うタイプの恐怖表現が多いです。印象に残ったのは、オイレンシュピーゲル夫人が何度もアイの部屋を覗きこむ場面でしょうか。文章や過剰な台詞を介さずに、「ああ、この母親は心を病んでいるんだな」と理解させる演出が見事でした。
その他、ポニーテールがチャーミングなフロイにはゾクッとさせられることが多かったです。予備動作なしに恐ろしいことを言う上に、バッドエンドでは狂気に塗れたオブジェクトと化すので。
キャラクターについて
一番印象に残ったキャラは、「エス」です。生きることに消極的なアイという自我に成り代わり、貪欲に生きようとする存在ですね。トゥルーエンドのアイの宣言("人は誰かの代わりにはなれない")は、エスあってこその綺麗な流れだと思います。
また、エスはアイの感情と意思を際立たせるという点において、必要不可欠なキャラクターでもありました。バッドエンドでのエスの嘆き("私は誰の代わりにもなれなかった、私は誰だったのか")は、そのままアイの心情と通じるところがあると思います。
そしてエスは、プレイヤーに直接に問題提起する存在でもあります。すなわち、お前も誰かに強制されて生きているのではないか、と。
最初は意味が分からなかった冒頭の「×××(入力したプレイヤーの名前)、あなたの声は録音されている~」という言葉は、ゲーム本編におけるプレイヤーの存在が強調される中でおのずと理解できるようになります。プレイヤーはディスプレイ越しにアイを動かしているが、実はそのプレイヤーの背後にも、「プレイヤーを操る存在」がいるのではないか……エスはそうからかっていたわけです。
バッドエンドのとある糾弾場面でそれに気づいたときは、場面の緊迫感とあいまって自分の背後の存在を疑い、ぞっとしました(プレイヤーを操る存在というのは、後述する「超自我」をも指していたのかなーと後で思いました)。
エスはその他の場面でもプレイヤーの痛いところを突いては翻弄してきます。とはいえ、最後の最後にアイの意思を尊重し見守ったプレイヤーを労うのもやはりエスなんですよね。「私を知ってくれてありがとう」というエスの言葉には胸がジーンとしました。これからまたアイという自我の日陰に回ることになるエスにとって、プレイヤーの行動は少しでも救いになったのでしょうか。
エスはアイによって切り捨てられた部分であり、アイに引きずられて死にたくないから、アイに成り代って生きようとしていました。しかし根底ではアイに対する情があり、一か八かプレイヤーを巻き込んで、アイを立ち直らせようとしたのかもしれないなーとトゥルーエンドを見て思いました。
エスのほかに気になったキャラは、「トルソ」です。無邪気な狂気を垣間見せる一方で、学ぶことに一途な姿が可愛らしかったです。ラストフェイズの発言は、「無知の知」を体得しているようで印象的でした。
難易度・バランスについて
『SPIEGEL EI』は謎解きの多いゲームです。ただ、かなり工夫され洗練されているので既視感は薄かったです。システムレベルで謎解きを仕込む等の発想はなかなかお目にかかれない気がします。「最初は詰まるがよく考えるとわかる」絶妙な難易度設定が上手いゲームでした。
また、操作性に難はありません。追いかけられ要素は少ししかなく、即死ポイントもほぼなかったです。凝っていて素敵だと思ったのは、「花」であれば形状・場所を問わないセーブポイントでしょうか。「おお、こんなところにもセーブポイントが!」と毎回発見の楽しみがありました。
グラフィック・デザインについて
グラフィックに関しては、「素晴らしい」の一言でした。行く部屋行く部屋に異なるテーマ、異なる意匠が散りばめられていて、制作者様の凝り具合に感動してしまいました。途中からマップの細かな細工を見て回るのが楽しみになっていたレベルです。
舞台はごく普通の屋敷でこれといったモチーフはなく、さらに心象世界というアバウトなイメージを具現化しなければならないので、けっこうハードルが高そうな印象です。しかしそこを逆手にとってと言うべきか、完全に独自の世界が構築されていました。
鏡の中の心象世界のデザイン群は、人の心の複雑さ・恐ろしさというこのゲームの要点を、ヴィジュアルでうまく表現したものだと思います。
プレイヤーへの「仕掛け」
『SPIEGEL EI』は主人公アイの精神と狂気を巡る物語です。そして、プレイヤーまで巻き込んで物語が展開する点が特異だと言えます。
具体的に言うと、作中の何人かのキャラクターは、「アイを操る存在」としてのプレイヤーをはっきりと認識しています。すなわち、この作品は、メタフィクション要素を持つ作品なのです。
たとえばアイの分身であるエスは、冒頭でプレイヤーから名前を聞き出し、その後も色々と話しかけてきます。当初エスの言動にクエスチョンマークを浮かべていたプレイヤーも、「キャンセルキー」という「アイの意思に任せる」選択肢の存在を知り、徐々に「アイを操る存在」としての自分を意識するようになっていきます。
つまり、ゲーム内で何気なく行っている「はい」か「いいえ」かの選択の1つ1つは、実はプレイヤーがアイに強制した結果なのだ、と。
ある事情からうまく喋れず病的に消極的な性格のアイは、「監視されているような気配」(プレイヤーの眼差し)に怯えつつも、「幻聴」(プレイヤーの指示)に従って動かされてしまいます。盗み聞きをしろ、勝手にカップを持っていけ、嘘を吐け、誰かを傷つけろ……アイはほとんどの場合、プレイヤーの指示通りに動いてくれます。
しかしあくまでアイはアイ、プレイヤーはプレイヤーです。「アイが心からプレイヤーの選択に納得していたか」というと、必ずしもそうではありません。最悪のバッドエンド(Side: E)に至った場合、プレイヤーは、好き勝手に倫理に反する選択をしアイに強要したしっぺ返しを喰らうことがあります。
『SPIEGEL EI』において主人公とプレイヤーははっきりと区別され、その意味において感情移入は許されません。そして、ただキャラクターを高次元から見下ろすだけではなく、向こうからも同じように見返されていることを意識せざるを得ないのです。
メタ視点の取り扱いが斬新かつ独特であり、ただの奇をてらった要素としてではなく、物語の核心部分として昇華されている点が見事です。様々なフリー(ホラー)ゲームの長所を練り込みブラッシュアップした印象がある作品ですが、メタ視点を物語に効果的に組み込んだのは、このゲームにしかない強みでありユニークな点だと思います。
そのプレイヤーへの仕掛けと絡みますが、ストーリーの内容も興味深かったです。物語の語り口自体は淡々としたものです。「過去にトラウマ体験をした」、「自分の心理が投影された世界に迷いこむ」といった設定自体は他のゲームでもよく見ます。しかし、先述したプレイヤーの存在を明示する手法により、ストーリー内容に深みと想像の余地が生まれているのでは、と個人的には思います。
「このゲームのテーマってなんだろう」とやり込む中でぼんやりと考えていましたが、トゥルーエンドの流れを見てふと思い浮かんだワードがあります。それは、「自由意志」です。
一説には、人間と動物を分かつものは自由意志の有無であるそうです。しかし「人間には本当の意味での自由意志など与えられていない」という意見もあります。そこを踏まえて考えると、「トゥルーエンドに至るアイの行動」は、紛れもない「自由意志」から出たものだと言える気がします。
「どうしてそれを選択したのか」という思考のブラックボックスは通常誰にも覗くことはできません。しかしこのゲームにおいて、アイの思考のブラックボックス部分を担うのはすべてプレイヤーその人です。ということは、そのプレイヤーを最後の最後で突き放して動き始めたアイは、「完全なる自由意志によって自らの進む道を決めた」と言えるのではないでしょうか。
脳科学や哲学には詳しくないので、わりと適当なことを言っている自覚はあります。でも、アイを操作する高次元のプレイヤーの存在を強調することによって、ラストのアイの自我の確立を際立たせる狙いがあったのは確かなんじゃないかなーと思います。
『SPIEGEL EI』のストーリーは人の心のように曖昧な部分が多い印象です。しかし本筋に限ってみれば、「自分自身の生を自分で選択して生きる」というシンプルで確固としたメッセージがこめられていたと私は思います。そして、上に述べたプレイヤーへの仕掛けによって、そのメッセージはより強く鮮やかに描き出されているのではないでしょうか。
アイとエス考察――フロイトの精神分析を交えて
『SPIEGEL EI』の主軸となるキャラは2名。他ならぬ主人公の「アイ」と、アイそっくりの謎めいた少女「エス」です。話を進めると、エスがアイに成り代わろうとしていること、エスはアイの心の中の「もう一人のアイ」とでも言うべき存在であることなどが明かされます。
ところでこのエスですが、おそらく精神科医フロイトが唱えた「エス」の概念を下敷きにしたキャラクターなのだろうと思います。
以下に考察っぽい話を書きました。が、私は心理学に特別詳しいわけではないので、以下の内容が学問的に間違っていたらすみません。
アイとエスの関係に見る「エス・自我・超自我」と「エロス・タナトス」
精神科医として有名なジークムント・フロイトの出発点は、「神経症の原因って何?」だったようです。フロイトはノイローゼを心因性のものと仮定し、抑圧される人間の欲動と「無意識」に注目しました。
つまり、理性的・合理的がモットーの近代人像から離れて人間の非合理性に目を向け、意識の奥にあるもの・意識とは別のものを分析しようとしたのです。
病める近代に非合理的な人間を見出したフロイトは、「エス・自我・超自我」というモデルを唱えました。
「エス」は無意識であり、欲望に突き動かされる心です。「あれしたい」「これしたい」に素直な心、とでも言えばいいでしょうか。
とはいえ、無軌道なエスに突き動かされるだけでは、ヒトはまともな社会生活を送れません。そのため、「自我」はエスをなんとか制御しようとします。しかし荒ぶるエスは相当に強く、自我だけではうまく操れません。
ここで登場するのが、第三の「超自我」です。自我から分かれた超自我でエスを威嚇し制御することにより、ようやくエスを飼いならすことができます。超自我は、わかりやすく言うなら「良心」でしょうか。あるいは「~せねばならない」みたいな。道徳や社会的な規範を内面化し、欲望を制御するわけです。
ただし、この物語においては単純に「自我(エゴ)」=アイ、「エス」=エスと割り切れないような気がします。
自我は、(社会に適合して)生きるために奔放なエスを制御しようとするわけですよね。ところが物語の流れを見ると、アイは生きることに消極的です。そして、生きることを切望するエスにより、成り代わられたり発破をかけられるという構図になっています。
生に貪欲かつ積極的なエスと生に消極的で死に誘われるアイ。2人の関係性をそういう風に表現すると、むしろ思い浮かぶのは「エロス」と「タナトス」という概念です。
これもまた、第一次世界大戦(いわゆる"The Great War"。甚大な数の戦死者を出し、当時のヨーロッパ人の価値観をガラリと変えてしまった戦争)の後にフロイトが唱えたものです。エロス=生の欲動(自我やエスをひとまとめにしたもの)、タナトス=死の欲動(死へ向かう破壊衝動)とし、この2つをせめぎ合うものとして対置します。
この対照性に注目すると、エスはエロスの象徴であり、アイはタナトスに翻弄される……という感じで、物語にエロス&タナトス成分も入っているのかなーと思いました。以上、フロイトが提唱したモデルと関連付けての考察でした。
アイとエスの対話
『SPIEGEL EI』は、アイとエスのせめぎ合い、そして対話の物語と言ってしまってもいいと思います。
アイとエス、死の欲動と生の欲動、意識されるものと意識されないものなど、この物語はいくつもの対立軸によって構成されています。それら対置されるものが交錯し、対峙し、時に溶け合い……という展開のパターンが物語の原動力となっている印象があります。
アイは過去に負った心の傷のせいで、生きることに及び腰な少女です。生きていることに罪悪感を持っているというか、能動的に生きることを恐れているというか。だからどうしても死に惹かれるわけです。
ただ、アイの心の中に生への欲求があるのも確かです。しかしアイは自分の中の生への欲求に気づいていないようです。というより、その欲求をあえて抑え込んでいるのかもしれません。そして抑え込まれた方の心・欲求は、本来ならば、そのまま「いらないもの」に甘んじるしかありません。
しかし『SPIEGEL EI』では、抑圧された生の欲求が分離し、「死んでなるものか!」と本体に対して抵抗運動を始めます。1人の人間の心中のせめぎ合いは、表面上見えることのないものですよね(あるいは、心の病のようなものとして受け取られるかもしれません)。その見えないはずのものが、屋敷の不思議なパワーによって視覚化・実体化されるわけです。そういった表現の仕方も面白いなと思います。
エスはアイと本質的に同一の存在でもあり、トゥルーエンドを見るとやっぱり別個の存在でもあり、不思議な子です。よくわからないもの(無意識)としての「エス」に相当するキャラとしては、ぴったりだなと思います。
最初エスは克服すべき敵ポジションなのかなと思っていましたが、トゥルーエンドやバッドエンドを見ると、「ああ、すごくヒロインだ……」と感じるようになりました(アイの吹っ切れた感じと好対照)。存在感もあって好きです、エス。
キャラクター考察・感想
『SPIEGEL EI』は、謎の多い物語でもありました。この項目では、ややまとまりのない世界観・キャラ考察を書きます。プレイ中にとったメモをほぼそのまま載せました(語尾を書き換えるとごちゃごちゃしてしまうので)。ネタバレにご注意ください。
前提:鏡の中の世界
「鏡の中の世界」=必要のないものが集まる世界。「境界」を表す赤いチョークを使って行き来することができる。
この「鏡の中の世界」を完全に空想(アイの心象)として扱うのは無理がある気がする。というのも、ようせいやトルソ、貴婦人は最初からアイとは関係なくあの世界に居たらしいから。加えてテューマは、アイが来る以前から鏡の中に出入りし、ようせいと親交を持っていた様子。
たとえば、屋敷にもともとファンタジーな別世界(の存在余地)があり、そこにアイの心象風景が投影されて変化が生じたのだろうか。一方エスやティルはアイに付属するもので、アイの心が生み出した影だろう。
エス(もう1人のアイ)
「エス」はアイにとっての潜在意識。本体のアイが無意識に死に呼ばれていたために、エスが暴走を始めたものと思われる。
エスはアイに自身の存在を知らしめ、ともすれば彼女に成り代わって生きることを望んでいる。だからこそプレイヤーを利用し、アイを自らが存在する深層心理にまで導いた。エスの承認欲求と、彼女が「必要ないもの」が集まる鏡の中の世界にいたことを考えるに、アイは自分の生存欲求を無視していたのだろう。
生きたい心(エス/アイの無意識)と死に引きずられる心(アイの意識)は一人の人間の中で本来不可分。しかし屋敷の不思議な力により、エスはエスとして分離し鏡の中で活動を始めた……と考えるとしっくりくる?
テューマ(謎多き少年)
「テューマ」は謎の多い存在。主人公以外に唯一鏡の中と外を行き来できる(?)キャラクター。少女っぽい服装をしているが男の子(!)らしい。現実世界では話もおぼつかないぼんやりとした子供だが、鏡の中では熱心に本を読み理知的に話す姿が確認されている。
性格と同じくテューマの設定がフワフワしているのは、おそらく意図的なものだろう。テューマという存在について色々と考えてみたがまとまらなかったので、以下箇条書き。
現実世界のテューマと鏡の中のテューマは、アイとエスのような関係性の二人として別々に存在している?
→テューマは鏡の中の世界を知っていて鍵をそこに落としてもいるが、実際に行き来する描写はない。そもそも鏡の中の世界に浸るのはよくないと否定的だったから、そう何度も出入りしているとは思えない。もしも両者が別の存在なら、非常に幼い現実のテューマと年に似合わぬ賢さを見せる鏡の中のテューマの乖離も一定納得できる。
鏡の中の賢いテューマは、そうは見えないだけでテューマは聡い子であるという示唆?
→鏡の中の世界が心の深層を映すことがあるのだと仮定した場合の話。
鏡の中の賢いテューマは、彼にとっての「要らないもの」だった?
→鏡の中の世界は「必要のないもの」が集まる世界。そこに存在する理知的なテューマは、かつてテューマによって切り捨てられた心の一部なのかもしれない。トゥルーエンドでも賢いテューマは鏡の中の世界の仲間たちと共に横並びになっている。
鏡の中に出入りするうちに、テューマは自分にとって大事なもの/核となるものを向こうに置いてきてしまった?
→だから現実ではぼんやりとしている。実は、テューマを象徴するクラブの箱の中身が空っぽだったことが気になっている。テューマ=中身の欠落した空っぽ人間?
実は、二人のテューマはすでに入替っている?
→アイとエスのような関係だと仮定した場合の話。が、ダークすぎるのでまずない。
テューマの主体は鏡の中にあり、現実世界の彼は幻影あるいは幻覚にすぎない
→ぶっとびー。でも、PM4ではテューマの部屋が“あきべや”になり、フロイは「テューマ? 誰それ?」と発言していることが気になる。ただ、おそらくは実在するメイドさんがテューマを認識しているので、まずあり得ない説。
フロイ(メタ発言少女)
SPIEGEL EI
「フロイ」も謎が謎を呼ぶ少女である。テューマを助言者ポジションに置くなら、フロイはアイを攻撃する役割を担うのかもしれない。また、名前は「フロイト」にちなんでいるのだろうか。
フロイは一見現実世界の代表者だが、ゲームが進むにつれ、アイにメタかつ悪意のある言葉をぶつけるようになる。あれはアイの心象というフィルターがかかっているせいか、それともエスの干渉のせいか、あるいは屋敷の不思議な力のせいなのか。
「知ってますよ」スタンスが一貫しているテューマと違い、フロイはその時その時で立ち位置が異なる。たとえば、Side Bエンドでアイがまた精神を病むだろうことを予期して含み笑いをする一方、Side Aエンドではアイとテューマの共犯関係が分からず頬を膨らませている。
プレイヤーの存在を匂わせるメタ発言もお手の物。バッドエンドではアイの心に追い打ちをかけるオブジェクトとして登場することもある。ある意味テューマ以上に読めないから不気味。
ベースとしては「鏡の中の世界なんて知らない」スタンスで、そこにアイのバイアスがかかるとアイを詰るポジションになるのだろうか。でもそれにしたって、トルソやティルの場合は明らかに「幻覚ですよ、バイアスかかってますよ」サインが入るのに、フロイはまったく普通にメタ発言をかましてくる。よくわからない。
ようせい(お友達はダニエラ)
「ようせい」=謎の多い存在その3。かわいい。ようせいは「鳥+ジュゴン」っぽい外見をしている生物。空は飛べない。テューマと仲良しで光り物と白い飴が大好き。偉そうにしているわりに寂しがり屋で、海辺に住むダニエラという友達に会いに行きたいと思っている。
ようせい=「幼生」らしいから、成長すると何か別の生物になるのだろうか。ちょっと気になったのは、金髪ブロンドに白いワンピース姿のダニエラがなんとなくようせいに似ていること。もしかしてようせいが成長すると、キラキラと光る金髪を手に入れてダニエラのような人間体になる?
また、現実世界のフロイの部屋がようせいの部屋と対応していることに意味はあるのだろうか。この2人(1人と1匹)もまた、ポニテの結び目とツノとがよく似ている気がする。フロイはダニエラと同じ髪色と言えなくもないし。ようせいの進化形がダニエラで、そのダニエラはフロイの成長した姿とか?
また、終盤にダニエラがくれる光る石は「蛍石」である。蛍石は和名で、別名は「フローライト」。フロイとフローライト、もちろんスペリングは違うが引っかかる。ちなみに、フローライトは頭脳を明晰にしたり意識を高次へ導いたりする石。作中でダニエラがくれるパープル系のフローライトは、とくに明晰性や感受性を高めるという。
トルソ(無知の知)
「トルソ」は『SPIEGEL EI』の狂気要員その1。おそらくは、アイの部屋のクローゼット内に忘れられていた白いドレスを着たマネキン。トルソとその友達は、貴婦人と同じく「必要のないもの」として鏡の中の世界に居たらしい。
トルソは基本的には良い子だが、ティルと並んでアイの深層心理を抉る存在に様変わりすることがある。特にネズミのミネストローネを食べることを拒否したときの血まみれ笑顔はトラウマもの。「食べたくないなら生きなければいいわ」という言葉は、生きることに及び腰のアイの痛いところを突く言葉ではないだろうか。
ティル(アイの心の影)
「ティル」は『SPIEGEL EI』の狂気要員その2。オイレンシュピーゲル夫妻の実子であり、父の拳銃で遊ぶうちに事故死した。夫人が狂い、氏が自殺し、アイが悲劇に見舞われた元凶とも言える人物。もはやこの世の人ではないが、アイは写真からティルの姿を知り、心の中にティルの影を引きずり続けている。
ちなみに、「ティル・オイレンシュピーゲル」は中世に実在したとされる伝説的奇人の名前。ドイツ語圏では非常に有名で、民話集や交響詩の主題にもなっている。しかし『SPIEGEL EI』におけるティルに喜劇的な要素やアウトサイダー的な振る舞いは見受けられない。名前の元ネタかもしれないが、それ以上の関連があるのどうかは不明。
ティルは基本的に穏やかな少年だが、トルソと同じくアイの深層心理をグサッと刺す存在になることがある。「ずっと君についていくよ」という台詞からして不穏当だったが、差し出された手を拒否したときの「役立たず」発言には肝が冷えた。
また、「お前は僕の代用品でしかない」という言葉は、オイレンシュピーゲル家に貰われたアイが常々思っていたことだと思う。「もう必要もない」という言葉もまた、心中事件の後に家庭を失ったアイがずっと思っていたことだろう。
トルソにしてもティルにしても、まさか本当にそういうことを口にしたわけではないだろう。アイ視点では時々バイアスをかけて幻覚を見てしまうだけではないか(とはいえ、館に付属しているトルソと違ってティルはアイの影なので、ティルの発言はアイにとってはいつでも「真実」になるのかもしれない)。
アンバランス値が一定以下の場合、ティルは記憶を失った状態で再登場する。「僕を知っている人はもうほとんどいない」からの、「アイは僕を忘れないでいてくれたんだね」という言葉が胸に染みた。要らない子としての立場でティルを引きずっていたアイにとって、彼との和解は何より必要なものだったのだろう。
このティルとの対話において、アイは一切プレイヤーの指示に従わない。彼女自身の意思でティルと話し、彼女自身の意思でティルと友達となる。プレイヤーとしてはどこか寂しくもあり無性に嬉しくもあった。
5つのエンディングについて
『SPIEGEL EI』のエンディングは計5つ。分岐のポイントとなるのは、「アンバランス値」と「最奥の部屋での選択」です。Side Eを目指す場合は、「鏡を見る回数」も条件の一つとなります。詳しい攻略情報については、制作者様のサイトをご参照ください。
以下、エンディングの内容についてのネタバレを含みます。詳細かつガッツリとしたネタバレです。未見の方はご注意ください。
Side A: サニー・サイド・アップ
Side: Aは、おそらくトゥルーエンドと言っていいエンディングです。アンバランス値一定以下が条件。4つの鍵を集めて「キャンセルキー」を入手すると、最後のエスとの対話で「キャンセルキー」を選択し、アイの意思によって結末を決めることができます。
アイは文字通り、彼女自身の意思でエスに"NO"を突きつけます。考えること・選択すること・責任を取ること、引いては生きることを怖がっていたアイが、「自分で考えて自分で決める、もう誰かに責任を押し付けたりしない」と宣言するのです。
そしてアイはプレイヤーを振り向き、「もうあなたは必要ない」と告げます。ここでゲームが強制終了してびっくりしました。なんとも細やかなゲームです。
ゲームを再起動すると、今度はボートの上にいるアイ。しかし話の内容から考えると、この子は「エス」だと思います。彼女からねぎらいを受けたあと、場面変わってアイが鏡の中の世界を出ていくところが映ります。
最後に見送りに来てくれたティルとトルソ(と、もしかするとプレイヤー)を振り向き、「私を必要としてくれてありがとう」と告げ、アイは現実世界へと戻るのでした。
まさに大団円。いくつもの伏線を見事に回収した素敵なエンディングでした。
プレイヤーがアイを強制的に動かす一方で、アイもまた他人の言いなりになる自分に甘んじていたんですよね。そこのところの依存を断ち切り、「自分で考えて自分で決める、責任を人に押し付けない」とアイは立ち直ります。それに伴い、アイは自分の後ろにいたプレイヤー(=責任を押し付けられる存在)を突き放し(ゲームを一旦終了させ)ます。
そしてアイの片割れであるエスは、アイの意思を尊重して導いたプレイヤーを労い、「打ち捨てられていた私(切り捨てられたエス/アイの無意識/本当の気持ち)を知ってくれて(=プレイしてくれて)ありがとう」と告げるのです。この一連の綺麗な流れに、「メタフィクション要素をこういう風に昇華させるのか」と感服するばかりでした。
『SPIEGEL EI』は、鏡の中の世界(という名の自分の深層心理)での体験やティルとの和解(過去のつらい体験の克服)を経て、アイが再び自分の意思で生きようと思うまでを描いた物語です。紆余曲折の末にその物語が完結するときの喜びを、我が事のように感じられるエンドでした。
ところで、「サニー・サイド・アップ」は「目玉焼き」という意味だそうです。そして、目玉焼きはドイツ語で"spiegelei"。引きこもっていた殻をアイが割って、美味しい卵料理の出来上がりということなのでしょうか。
Side B: ヴィヴィアン・ガール
Side Bはノーマルエンドです。アンバランス値一定以下が条件。最後のエスとの対話で「逃げ出す」を選択します。溺死せずに扉までたどり着けばOKです。
アイはからくも現実世界へ戻ります。エスも追いかけてきません。しかしアイを迎えに来たフロイは、「どうせまた元通りになる」と不吉なことを呟き、独り笑うのでした。
一番謎が多いエンディングかもしれません。きっとまたアイは精神を病んで鏡の中の世界に誘われる、ということを暗示するオチだとは思います。ただ、フロイの立ち位置がよくわからないんですよね。単にプレイヤーに「このエンディングはダメですよ」とメタ的に伝える係だったのか、それとも大体の事情を分かっていて話しているのか。「この世界って本当に元の現実世界?」、「テューマはちゃんと存在してる?」とさえ思えてきます。
ちなみにタイトル(ヴィヴィアン・ガール)の元ネタは、20世紀アメリカの芸術家であるヘンリー・ダーガーの作品かと思います。アウトサイダー・アートの代表的な人物らしいです。
Side C: SPIEGEL IM SPIEGEL
Side Cはバッドエンドその1です。アンバランス値一定以上が条件。最後のエスとの対話で「逃げ出す」を選択します。溺死せずに扉までたどり着けばOKです。
なんとか現実世界へ戻ったアイの後を追い、エスが現実世界へ出てきます。そしてやってきたフロイが声をかけたのは、アイではなくエスの方でした。フロイにはアイの姿はもはや見えず、代わりにエスが実体となって現れていたのです。「私ならうまくやるから」と言い残し、フロイと共にその場を去るエス。アイを認識したらしいテューマもフロイに促されて去っていきます。取り残されたアイは、無言でその場に膝をつくのでした。
もしかすると、自我とエスが1人の人間の中で交代したことをヴィジュアルで表現しているラストなのかもしれません。しかし、これってアイはどうなるのか。再び鏡の中の世界に戻るしかない気がしますが、それさえできるのかどうか不明ですよね。
また、「鏡の中の鏡」というタイトルの意味も気になります。アイにとっての鏡はエスだったはずが、最終的には立場が逆転し、「エス(鏡)」の中の「アイ(エスの鏡)」になったということなのでしょうか。
Side D:
Side Dはバッドエンドその2です。アンバランス値に関わらず、最後のエスとの対話で「従う」を選択します。
出ていったエスの代わりに深層心理の世界に取り残されたアイ。彼女は溢れんばかりの水をかきわけ、一艘のボートへと乗り込みます。モノローグにて、つらい現実から逃げられたことを思うアイ。彼女の後ろにはいつの間にかオイレンシュピーゲル氏の姿があり、アイは今度こそ彼とともに水底へと沈んでしまいます。
救いのないエンディングでした(が、けっこう好きです)。心中を謀られたとはいえ、オイレンシュピーゲル氏へのアイの思慕はけっこう強かったんだなと気づかされました。親の顔を知らないアイにとって初めて家庭を与えてくれた人なので、当然と言えば当然かもしれません。
アイはもう誰に対しても何に対しても責任を取りたくなかったのでしょう。しかし、生きることは選択と責任の連続です。だからこそ、アイは生きること自体が嫌になったのだと思います。もう誰にも責められない、貶す声も聞こえないと呟いて精神の海に沈むアイを、本当に痛ましく思いました。
Side E: 幾何学模様の鳥
Side: Eは、最悪のバッドエンドです。「アンバランス値一定以上」かつ「鏡を見た(鏡の中の世界と現実世界を行き来した)回数が一定以上」の場合、PM4終了時に、フロイとテューマの部屋の間にあるドアが開きます。そこに入ればOKです。
扉の向こうにあったのはオイレンシュピーゲル氏の書斎でした。ピストルを発見したアイは幾何学模様の鳥に襲われますが、エスが現れ、アイを庇って倒れ伏します。涙を零して悲痛な言葉を遺し、エスは息絶えてしまいます。
アイは書斎を出て真っ白な世界を進みます。たどり着いた先には、亡くなったはずのオイレンシュピーゲルの姿がありました。彼はアイに、「この扉の向こうにいる“悪い子”を罰してほしい」と告げます。
アイは扉を開け、ピストルを片手に、子供部屋にいたかつての自分のもとへと向かうのでした。
自分でプレイしてこそ、このSide: Eの結末は胸に突き刺さるのだろうと思います。このエンドに至る場合、プレイヤーはアイに相当な悪行を積ませています。嘘を吐かせたり、人の物を勝手に持ち出させたり、それを壊させたり、盗み聞きをさせたり。普通のゲームであれば、そういう選択の末のしっぺ返しを受けるのは「主人公=プレイヤー」であるはずです。
しかし、『SPIEGEL EI』は明確に「主人公(アイ)≠プレイヤー」を前提にしています。プレイヤーとアイは同じ人物になることをけして許されません。
したがって、プレイヤーのバッドチョイスの末に酷い目に遭うのは主人公のアイだけです。結果として故意に主人公を悲惨な結末に導いたという感覚がプレイヤーの中で強調され、なんとも据わりの悪い気分になる構図になっています。
制作者様もそれを狙っていたのか、プレイヤーの罪悪感を煽る演出がそこかしこに散りばめられています。
たとえばエスがアイを庇って消滅したあと、アイはじっとうつむいた後で、まっすぐにプレイヤーに視線を向けます。単に画面下方を見ているのではなく、このときは本当にプレイヤーを凝視しているように見えるのが怖いところです。「あなたのせいでこうなった」と無言のうちに言われているような気がして、正直このゲームで一番鳥肌が立ちました。
そしてなんといっても、ラストの発砲するか否かのシーンは外せません。このエンドに来たということは、プレイヤーは「キャンセルキー」をほとんど使っていない(アイの意思を尊重しなかった)はずです。それなのに、アイに殺人をさせるこの場面になってプレイヤーが「キャンセルキー」を押す(アイの意思にすべてを任せようとする)と、彼女はプレイヤーに対して怒涛の勢いで糾弾を始めます。
早く今までのようにあなたが選択して、あなたがいるから私は責任を取らなくていい、私は人を傷つけたり嘘を吐いたりしない(なのにあなたが強制した)、もしあなたに体があったら私を同じことをやったのか……エスと混じり合ったアイの言葉は、清々しいほどに痛いところを突いてきます。最後の最後になって責任を放棄しようとするプレイヤーを、アイは許してはくれないわけです。
結局プレイヤーは、「自分の選択で」彼女に殺人をさせるほかありません。そのときに響く銃声は、数倍生々しく鼓膜を揺らすことになります。アイにアイの命を奪わせた責任はすべてプレイヤーにあるという実感が重くのしかかってくるからです。
プレイヤーの罪悪感をグリグリと抉りつつ、アイの意思を無きものとして扱ったことが良くなかったのだと暗に示す、本当にうまい演出・構成だと思います。
ちなみに、「あなたに体があったら~」という問いには、「はい」か「いいえ」で答えることができます。「はい」と答えると、あなたも誰かに操られているのではと指摘されます。「いいえ」と答えると、最後まで無責任だね、リセットしようとしても記憶は消えない、あなたも見てきたでしょうと詰られ、「また会いましょう」と笑顔で言われます。
前者は上でも書きましたがゾッとする言葉でした。後者はプレイヤーがけっこう下衆なので、当然アイの言葉も冷たいですね。
人は日々記憶を忘れていきますが、それは「忘れた」だけであって、完全に「消えた」わけではありません。忘れた記憶は「必要のないもの」として深層心理の底流をさまよい続け、ふとした瞬間に意識の波間に顔を出すのかもしれません。それこそアイが鏡の中の世界でエスを見つけたように。そういった「再会」は救いなのかどうか……と妙にポエティックな気分で考えてしまいました。
『SPIEGEL EI』は完成度の高いゲームであり、印象的なゲームでもありました。思索的であり、心理学や芸術分野や言語などに関する制作者様の広範な知識がうかがえる作品だと思います。
ゲームをプレイしている間、特に終盤は、本当に物語の展開に翻弄されっぱなしでした。「うわ、いきなりウィンドウが消えた!」とか「なにこれすごく怖い」とか、演出のうまさもあってとことん集中してしまったり。
なんといっても『SPIEGEL EI』では、「主人公≠プレイヤー」です。それでいてプレイヤーが排除されているわけではなく、プレイヤーもキャラクターの一人としてそのまま認識されていると言ってもいいでしょう。だから、大事な場面で他人行儀に成り行きを見守るわけにはいかないんですよね。
そういう意味で、積極的に没入していくとより楽しめる作品だと思います。実際私は最高に楽しませてもらいました。ゲームの世界にプレイヤーを巻き込み、没入感の深化とテーマの表現を一挙にやってやろうという発想、本当に秀逸だと思います。
※人の精神を深く掘り下げたゲームについて、いくつか感想記事を書いています。
・『月の扉』 19世紀英国が舞台のゴシックホラーADV 感想&攻略 ※ネタバレ注意
・『Her Story』 感想 考察 ※ネタバレ注意(ポーツマスの凶悪事件に潜む「彼女」の真実とは。新感覚サスペンスADV)
・『ドキドキ文芸部!』 ギャルゲ×サイコロジカルホラー 感想 レビュー 【Doki Doki Literature Club!/DDLC】
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