『過去への渇望』 奇跡の食物が創り出す近未来ディストピア 感想 ※ネタバレ注意
近未来SFデジタルノベル、『過去への渇望』の感想記事です。『一九八四年』や『華氏451度』などディストピア小説の簡易レビューも含みます。制作サークルはEIN-CHERE様。作品のダウンロードページ(ふりーむ!)はこちらです。 → 『過去への渇望』
過去への渇望
『過去への渇望』は、選択肢のない一本道のノベルゲームです。1時間弱で読み終えました。
猟奇的でグロいシーンがあるため、苦手な方は心構えをしてから読んだ方がいいと思います。また、物語中に同性愛要素が少し含まれています(女性同士。ちなみに主人公はボーイズラブが好きらしく、そういう系の話題もチラッと出ます)。
“私たちの体は、水と『グラ』で出来ている――”という意味深なキャッチコピーに惹かれ、『過去への渇望』をプレイさせていただきました。不穏かつ切迫した導入部の語りに引き込まれ、最後までするすると読み進めてしまいました。
23XX年の日本に生きる2人の女子高校生が、数百年前の文献を見つけるところから本編は始まります。短編ですがテーマ性の強い作品です。「もしも自分が、主人公とその親友のような立場に置かれたら」……読み終えた後に、どうしてもそのことを考えてしまいました。
もともと近未来を舞台にしたディストピアものが好きなので、この作品の主題にはかなりの魅力を感じました。
以下、ストーリーの核心的なネタバレを含む感想です。未見の方はご注意ください。また、「ディストピア」をテーマにした小説の紹介も併せて書いています。
『過去への渇望』のあらすじ
最初に、『過去への渇望』のあらすじを書きます。
過去への渇望
23XX年、日本。人類は、「水」と「グラ(GULA/Great Useful Live Absorption)」によってその胃袋を満たしていました。1日3錠、水と一緒にグラを呑む。それだけでヒトは生命と健康を維持できるのです。
わずか数百年前に偶然発見されたグラは、社会のあり方すら変えてしまう、まさに「奇跡の食品」でした。
さて、主人公の「伽耶」はある日、幼なじみで親友の「音羽」からあるデータを見せられます。それは数百年前の雑誌のデータでした。大規模な検閲を生き残ったその文献を、音羽はネット上で偶然に入手したのです。
過去を調べた人間は消されてしまう……伽耶も音羽もそんな都市伝説じみた話を耳にしたことがありました。しかしその並外れた好奇心ゆえに、2人は貴重な過去の文献を見過ごすことができませんでした。
こっそりと読み始めたその雑誌の中で、2人の目を引きつけたのは「ある単語」でした。どうみても文脈から浮いているように見えるのに、文章中で当然のように使われているその単語。雑誌が刊行された時代から数百年後に生きる2人には、なぜかその単語の表す意味がよくわからなかったのです。
好奇心に駆られた伽耶と音羽は、謎を解くためにさらなる文献を探し始めます。
伽耶と音羽を戸惑わせた単語が意味するものとは? 過去の大規模な検閲で消されたものとは? そして、人類は何を失ってしまったのか? ごく純粋な好奇心によって始まった調査はやがて、23XX年を生きる2人を破滅へと追い立てることになります。
関連性のある「ディストピアもの」小説を4つ紹介
過去への渇望
『過去への渇望』は、数百年後の日本を舞台とする作品です。そして、作品の核心部分を眺めてみると、その背景にはいわゆる、ディストピア的な社会が存在しているような気がします。
ご存知の方も多いと思いますが、「ディストピア」は主にSF小説で根強い人気のあるテーマ・概念です。
非常にざっくりと表現してしまえば、ディストピア=「アンチ・ユートピア」です。一見して平和で幸福な理想郷的社会(ユートピア)に疑惑の目を向け、その政治的・社会的な問題点を描き出す。ディストピアをテーマとする作品はおおむねそういったストーリーを持つことが多いです。
ディストピアものに共通して存在する要素は、全体主義、管理社会、粛清、検閲、格差社会、産児制限……などでしょうか。その中のどの要素に主軸を置くかは作品によって様々です。
多くのディストピア小説に通底していると個人的に感じるのは、「人間性の否定への批判」です。人の尊厳、自然な心の動き、他者への共感と思いやり、信条……そういったものを一切認めず、「理想」の名の下に公然と人間性を踏みにじる国家と社会への批判こそが、ディストピア小説の多くに内在しているものだと私は思います。
次の項目(「『過去への渇望』の感想」)に移る前に、「ゲーム内容と関わりがあるor個人的に印象深いディストピア小説」について触れたいと思います。わりと趣味丸出しです。一部小説のネタバレ情報もあるのでご注意ください(特に『ギヴァー』に関して)。ゲームの感想を見たい方は、カッコ内のリンクから下へ飛んでください。
まず、全体主義国家による統治を風刺した『一九八四年』(ジョージ・オーウェル)は非常に有名です。現代に至るまで読み継がれている名作であり、ディストピアものの代表作品と言っていいと思います。
管理社会、聞こえのよいプロパガンダ、監視と粛清など、オーウェルは全体主義国家の実像を鋭く描き出しています。執筆された時代背景を鑑みても、その洞察と執筆・刊行にこぎつけた気概には目を見張るものがあります。
次に、これは個人的に好きな作品ですが、『華氏451度』(レイ・ブラッドベリ)という小説があります。
『華氏451度』の世界では、本の所持が禁止されています。本を持っていることが発覚すれば、所有者はたちまち逮捕され、その所蔵する本は残らず焼かれます。主人公は焚書を担当する役人であり、タイトルの「華氏451度」は、本のページ(紙)が燃え始めるときの温度です。
『華氏451度』は、テレビやラジオへの批判を意図して書かれました。とはいえ「国家による検閲の恐ろしさ」などが克明に描かれている点で、優れたディストピア小説の1つに数えられると思います。
また、児童文学にカテゴライズされることもありますが、『ギヴァー 記憶を注ぐ者』(ロイス・ローリー)も非常に面白い小説です。
『ギヴァー』の主人公は、「コミュニティー」に暮らす少年です。安全かつ清潔なコミュニティーには、一切の痛みや苦しみが存在しません。将来の仕事や愛する伴侶を自ら選ぶ必要もありません。各成員の適性に鑑み、自分にとって最適な職業やぴったりの結婚相手を決めてもらえるのです。
将来を言い渡される12歳の儀式において、主人公は特別な役職に任命されます。「レシーヴァー」と呼ばれるその役職は、コミュニティーの記憶を受け継ぐ唯一の器です。
『過去への渇望』との関係で注目したいポイントは、「主人公がレシーヴァーに選ばれた理由」です。実は主人公は、他のコミュニティーの人間にはない「才能」、というより「感覚」を持っていました。だからこそレシーヴァーに任命されたのです。
その感覚は読者の私たちからすれば不思議でも何でもないものです。しかしコミュニティーに暮らす人間たちは、実はその当たり前の感覚を失って生きていた……そんなショッキングな事実が物語の最後に明かされる構成になっています。
以上、関わりのある or 印象に残っている3作品を挙げてみました。また、近年評判になったものとしては『カッシアの物語』3部作が挙げられるかと思います。
『カッシアの物語』は、管理・格差社会で展開される三角関係と主人公カッシアの葛藤に焦点を当てた作品です。簡潔に紹介すると、ヤングアダルト向けの恋愛に比重を置いたディストピア小説だと言えます。各国語に翻訳され、映画化の話も出ているそうです。
2作目、3作目になるとかなり作風が変わりますが、1作目の特徴は「マッチ・バンケット」という成婚システムを軸にストーリーが展開される点です。
「マッチ・バンケット」は、適齢期になった男女の市民について、最もふさわしい組合せを政府が検討・決定し発表する制度です。カッシアももちろんこの儀式に臨み、結婚相手(人気者の幼なじみ)を提示されます。しかしその後のプロセスにおいて「エラー」が生じ、彼女はマッチ・バンケットで決定された相手ではなく、ある1人の青年に強く惹かれていくことになります。
個人的な感想を言えば、『カッシアの物語』は人物描写やストーリー展開などいくつかの点で物足りなかったシリーズです。ただ、独自の用語やシステムに見るべきところがあり、くどさがなく読みやすい作品だと思いました。
『過去への渇望』の感想
それでは、上に書いたことも一部踏まえつつ、『過去への渇望』の感想を書いていきます。ストーリーに関する核心的なネタバレが含まれます。
ディストピアものには検閲や規制が付き物です。ただし、「それによって人々は何を奪われているのか」は様々だと思います。上に挙げた『華氏451度』を例にとれば、フィーチャーされているのは「本」です。人々は書物に触れる機会を失っています。
そして、『過去への渇望』において規制・検閲の対象とされているのは、「食べ物」であると言えます。
過去への渇望
伽耶と音羽が最初に不思議に思ったのは、「辛口」という単語でした。「辛い」、「甘い」という単語に関しても2人はクエスチョンマークを浮かべます。つまり2人は、辛い・甘いといった、舌で何かを味わった際に生じる感覚をそもそも知らなかったわけです。
2人が単語の意味を考えるくだりを読んだとき、「味覚の概念がないのかな」とは思いました。しかし、「なぜ味覚の概念を主人公たちは持たないのか」、「どうして政府は味覚に関する単語の意味を規制したのか」については深く考えずに読み進めました。
言ってしまえば、「水とグラさえあればOK」という文言を深く考えずに受け取っていたわけです。その説明の裏側に「水とグラ以外の食物はもはや必要とされず失われた」事実が隠れていることをまんま見落としていたことになります。
「23XX年の世界には水とグラ以外の食べ物がない」……その真実を知った直後は、正直なところ、少しだけ物足りなく思いました。
変わり果てた音羽を発見するシーンで盛り上がりがピークに達したので、その後遺書の形をとって淡々と真実が明かされることに拍子抜けしたんですよね。音羽がある意味で自滅したという真相も、政府による情報統制と粛清を匂わせていたわりには意外と控えめなオチだなーと感じました。
しかしラストの伽耶の独白を読み返す中で、「水とグラ以外の食べ物がない」という文章にしてみれば簡素な事実を、徐々に自分自身の感覚に引きつけて考えられるようになりました。そうしてようやく2人をとらえた絶望の"本質"を理解できたような気がしました。
理解した上で思ったのは、『過去への渇望』のラストは、「単純な権力による粛清よりもずっと恐ろしく哀しい結末ではないだろうか」ということです。
現代を生きる私たちは、様々な食品や料理にわりあい簡単にアクセスすることができます。辛いもの、甘いもの、酸っぱいもの、苦いもの。固いもの、柔らかいもの、歯ごたえのあるもの、サクサクとしたもの。色々な味と触感の食べ物があり、人の食の好みも様々です。食材自体も、生産者の努力や科学技術の進歩の甲斐あって、数百年前とは段違いに美味しくなっているのでしょう。
だからこそ、そもそも「食べる」「味わう」といった概念が消えるほど食文化が根こそぎ失われた世界なんて空恐ろしい悪夢でしかないと私は思います。
『過去への渇望』を読み終えた後、一度考えてみました。今生きている世界から料理や食べ物が消え、何かを味わう機会が失われたらどう感じるのだろう、と。
個人的な話ですが、私にとって食は大事な楽しみの一つです。美味しいものを食べることが好きですし、わりと色々な食べ物にチャレンジもします。これといって嫌いな食べ物もないので、色々な食材を料理したり食べたりできる時代に生まれたのは本当に有り難いことだといつも思っています。
そのせいでしょうか。食べ物もなく味わうこともできない世界を満足に想像できませんでした。ちょっと考えてみるだけで自分の足下がぐらつくような、言いようのない恐怖を覚えました。それだけ「(美味しいものを)食べる」ということが私の生活を根源から支える構成要素だからだと思います。
もちろん、単純に生命維持の観点から見れば味わうことは絶対に必要だとは言えません。効率だけを考えるなら水とグラだけでお腹を満たせるなんて素晴らしい話です。それでもほとんど本能的に、そんな「味のない」世界にはNOを突きつけたくなります。人は栄養素と合理性のみで生きるものではない、食べること自体を楽しむことだって必要だろう、と思います。
とはいえこれは、プレイヤーの私が「食の楽しみ」を知っているがゆえの反発でしかありません。23XX年に生きる一般の人々はそもそも何かを味わったことがないのだから、水とグラだけで文字通り問題ないはずです。
しかし主人公である伽耶と音羽は、かつての人間が「味わうこと」を楽しんでいた事実を知ってしまいました。「世の中には知らなくていいことがある」という遺書の言葉は、まさに2人の実感からくるものだと思います。
現実でもよくある話ですが、そもそも「失われた」ことさえ知らなければ、その不在は案外気にならないものです。しかしいったん「失われた」ことに気づき、かつそれが二度と手に入らないとわかると、人は無性に惜しいような気持ちになります。
だから、音羽と伽耶を破滅に追い込んだのは本当はグラではなく、人間の本能なのだろうと思います。知らないことを知りたいと思う好奇心。知ってしまった後の失われたものを取り戻したいという渇望。それら根源的で純粋な欲求が、2人の少女を滅ぼしたわけです。
考えてみれば皮肉というか、業の深い話だと思います。合理性の名の下にグラを開発し普及させたのもヒトなら、合理性によって抑え込んだ自然な欲求に滅ぼされるのもまたヒトです。伽耶は「自分たちは狂ったわけではない」と手記にしたためています。伽耶と同じ世界の人々は彼女の弁明を否定するでしょうが、プレイヤーとしては伽耶の認識に頷きたい気持ちです。
おそらく伽耶は気づいたのではないでしょうか。自分たちの中で目覚めた欲求はヒトにとってごく自然なものであったということに。そして、狂っているのはグラによって支配されている彼女の世界と、たった数百年の間に当然の欲求を放棄してしまった人類の方であるということに。
上に挙げた『ギヴァー 記憶を注ぐ者』の主人公は、「コミュニティー」に住んでいました。コミュニティーは「1つの社会」であって「世界のすべて」ではありません。だからこそ主人公は最終的にある決断を下すことができました。
しかし、伽耶と音羽の世界はそのすべてがグラによって覆い尽くされています。真実を知って絶望したとき、2人の少女には行き場など残されていなかったのです。
音羽はグラではない味と触感のある食べ物を欲した結果、自分の肉体に行き着きます。野草や昆虫を手あたり次第に食べた後、最期に自分の肉を食らい、それを美味しいと感じたようです。
しかし、ここで『過去への渇望』のキャッチコピーを振り返ってみると、ストーリーにおける最大の悲しみが見えてきます。
“私たちの体は、水と『グラ』で出来ている――”
過去への渇望
そう、人間の身体もしょせんは水とグラによって維持されてきたものに過ぎません。グラから逃れようとして行き着くところまで行ったように見えても、結局その支配から逃げられはしないのです。一見その狂気性ばかりが目立つカニバリズムエンドですが、個人的には切実でもの悲しい終わり方だと思いました。
*****
主人公の伽耶と彼女の親友・音羽の間には、友情とはまた異なる恋愛感情があるようです。ただ、作中の関連描写はごく薄いので、2人が幼なじみの親友同士であるというだけでもこの物語は成り立ったのではないかと個人的には思います。
率直に言うと、前半部で匂わされた恋愛感情がきちんと回収された気がしなかったんですよね。恋愛要素はどのタイミングで回収されるんだろうと思いながらプレイしたので、それが引っかかって集中しきれなかったところがありました。
文章についてはプレイヤーを引き込む空気感作りがとにかく巧いです。近未来SFものにおいて序盤での日常描写は大事だと個人的に思っています。プレイヤーがその世界に馴染めば馴染むほど、のちの展開への理解や感情移入の度合が高まる気がするからです。
『過去への渇望』の場合、近未来の女子高生の日常をプレイヤーにすんなりと読み込ませる筆力の高さがありました。メインキャラ2人の口調にはもう少し違いを出してほしかったですが、こちらも自然で馴染みやすかったです。
あと、背景グラフィックと切り替え演出も良いなと思いました。背景の種類が豊富で場面転換による切り替えも丁寧なので、自然とストーリーに集中できました。
『過去への渇望』、個人的には「もう少し長く読みたかった」という気持ちがあります。それでも読み終えた後に色々と考えさせられてしまう、印象深い作品でした。
※「SF(サイエンス・フィクション)」を主題とする作品について、いくつか感想記事を書いています。
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